35.攫われたイェニー2.
「よくも俺の目の前に顔を出せたな、プファイルッ!」
「ジャレッド・マーフィー、予想していたよりも怒りに支配されているな」
「当たり前だッ!」
すでにジャレッドの魔力が感情によって高ぶり、視認できるほど体から溢れ出ている。ドリューとの戦いで大きく消費したはずの魔力だが、今のジャレッドは保有している魔力とは別に生命力を魔力として変化させているのだ。意識してではなく、怒りに連動して無意識下であるため、危うい。文字通り命を削っているのだから。
だが、無理もない。イェニーを攫ったヴァールトイフェルの一員であるプファイルが目の前にいるのだ。彼が行動とは思えないが、それでも攫った組織のひとりだ。
どのような目的でジャレッドの前に現れたにせよ、倒すことに理由は十分すぎた。
「離れていてください、オリヴィエさま。あと、申し訳ないですけど、少し地形が変わるかもしれません」
「私には戦うつもりはない。伝えることと、提案をしにきただけだ」
「今さらお前の言葉を信じられるかッ!」
「落ち着きなさい、ジャレッド!」
今にも飛びかかろうとしていたジャレッドの背をオリヴィエが思い切り叩く。
叩かれたジャレッドではなく、叩いたオリヴィエの方が痛いとばかりにしゃがみ込んでしまう。十数秒ほど無言で悶絶すると、オリヴィエが立ち上がって八つ当たりでジャレッドのふとももを蹴り上げた。
「オリヴィエさま、今はじゃれ合っている場合じゃありません。プファイルを捕らえ、イェニーの居場所を聞かないと」
「ええ、それはわかっているわ。でも、よく考えなさい。そのプファイルが自分からあなたの前に現れたのよ、荒事をする必要なく知りたいことを教えてくれる――そうよね?」
問いかけとともに、オリヴィエはジャレッドからプファイルへと視線を移す。返ってきたのは、首肯だった。
プファイルは一歩前に出ると、ジャレッドの背に庇われるような形で彼のうしろにいるオリヴィエに言葉を発した。
「その通りだ、オリヴィエ・アルウェイ。こうして話すのは初めてだな、先日までお前とお前の母親を殺せと命じられていたヴァールトイフェルのプファイルだ」
「あら、命令を達成できなくて残念だったわね。ご存知かと思うけれど、わたくしがオリヴィエ・アルウェイよ。よろしく……できるかどうかはあなた次第ね」
「なるほど、噂以上に気丈な女だ。ジャレッドに相応しい」
「ありがとう。まさか命を狙っていた相手にお褒めのお言葉を受けるとは思いもしなかったわ」
オリヴィエは優雅な微笑みを浮かべているが、プファイルを注意深くうかがっているのがわかる。対してプファイルは静かな笑みこそ浮かべているが自然体だった。
諦めたようにオリヴィエがため息をつき、ジャレッドの前へ移動する。
「オリヴィエさま!」
「いいから、任せなさい」
「しかし!」
「いいから、任せないと言っているの。戦うのではなく、話しあうのよ。そうでしょう、プファイル」
「その通りだ、オリヴィエ・アルウェイ。私はジャレッド・マーフィーと戦うのではなく、預かった伝言と提案をするために現れたのだ」
「いいわ。では、聞きましょう。でも、屋敷の中に入れるつもりもないし、お茶も出さないわよ?」
「構わない。そんなものを求めているわけではない」
プファイルはジャレッドに向けて両手を上げる。
「武器などは所持していない。不安なら調べろ」
「言われなくても」
衣類の上から慎重に武器が隠されていないか探る。いっそ全裸にさせたい衝動に駆られるが、オリヴィエの前でそんなことはしたくない。どうせ全裸になったとしても安心できないのだ、意味はない。衣類をすべてはぎ取ったとしても肉体そのものに武器を隠すすべがあることをジャレッドは知っているからだ。
執拗にプファイルの体を探り続けるが、なにも出てこない。ナイフの一本でも出てくればすぐに攻撃する口実になるはずだったが、プファイルは言葉通り武器を所持していなかった。
「気は済んだか?」
「ああ。それでも、オリヴィエさまに手が届く距離に一歩でも足を踏み入れたら殺すぞ」
「承知した」
再びオリヴィエを庇うように彼女の前に立つと、万が一に備えて警戒する。
「ジャレッド、もういいかしら?」
「はい、どうぞ」
「男が男をまさぐる光景は目に毒ね、今後はわたくしが見ていない場所でするようにお願いしたいわ。さて、プファイル。ジャレッドはこの通り、かわいらしい従姉妹をあなたたちに攫われたせいで頭に血が上ってまともに会話ができるか不安だから、わたくしが代わりにあなたと話すわ、いいでしょう?」
「構わない。ジャレッド・マーフィーに伝えるべきことが伝えられるなら、それでいい」
「なら結構よ。じゃあ、まずあなたが預かってきたという伝言から聞かせてちょうだい」
オリヴィエに頷いたプファイルは、ゆっくり口を開く。
「我が組織ヴァールトイフェルの長ワハシュの娘ローザ・ローエンから、ジャレッド・マーフィーに伝言だ。今夜、王都の外れにあるアルウェイ公爵家の別宅に単身でこい。応援も武装も一切許さない。目的はイェニー・ダウムではなく、ジャレッド・マーフィーの命だ。お前が命を差し出せば、ヴァールトイフェルの名のもとにイェニー・ダウムを解放すると約束しよう――と言うことだ」
「ジャレッドがいかなかった場合は?」
「なにも言われていない。ローザはジャレッド・マーフィーが人質を見捨てるという選択肢をとらないことを確信していた」
「ずいぶんと買われているわね。仮に、ジャレッドが命を差し出したとして、イェニーが無事で戻ってくる保証は?」
「言葉では信じられないだろうが、我々は約束を違えない。もし、ローザがイェニー・ダウムの命を奪えば、私がローザを殺すと誓おう」
仮にも仲間を殺すとはっきり言い切ったプファイルにオリヴィエはもちろん、頭に血が上っていたジャレッドさえ驚きを浮かべた。
「我々は決して清い存在ではないことを自覚している。ゆえに、約束を違えることはせず、誠意をもって行動するように教えられている。たとえ、人を殺すことで肉体が穢れたとしても、魂までは穢れないように心がけている」
「そう……そこまで言うのなら、イェニーに関しての心配はしなくていいのね?」
「そうだ。ローザは目的のためなら手段を問わない冷酷な女だが、対象ではない少女を殺すほど悪党ではない。しかし、ジャレッド・マーフィー、お前がローザに逆らえばイェニー・ダウムは危険になる」
「そんなことは言われなくてもわかってる。つまり、俺が命を差し出せば、イェニーは助かるんだろ? だけど、俺が死ねば次はオリヴィエさまたちが狙われる――俺に、どうしろっていうんだ!」
ジャレッドにイェニーを見捨てるという選択肢はない。命を差し出すことで彼女が戻ってくるのなら躊躇うことはない。しかし、ジャレッドが死ねば、本来の標的であるオリヴィエとハンネローネに危険が迫ることになる。
どちらかを助けようとすれば、どちらかが犠牲になってしまうことに、ジャレッドは答えがでない。
すると、オリヴィエがプファイルに問いかける。
「ここまでがローザというあなたの後任からの伝言よね。なら、あなたからの提案は?」
ジャレッドと違い、冷静さを失わず会話をすることで少しでも情報を得て最善の選択肢を導こうとするオリヴィエ。彼女もまた、イェニーを救いたいのだ。自分だけが狙われているのであれば、気にせずイェニー助けなさいと言いたかった。しかし、大切な母親が本当の標的であるため、イェニー優先することはできない。
「今までは、あくまでもローザからの伝言だ。ジャレッド・マーフィーが命を差し出せば、間違いなくイェニー・ダウムは無事に解放されるだろう。だが、ジャレッド・マーフィーが死ねば次はお前たちだ、オリヴィエ・アルウェイ」
しかし、とプファイルは獰猛に笑う。
「簡単なことだ。ジャレッド・マーフィーがローザ・ローエンを倒せばそれでいい」