33.暗躍する影10.
ドリュー・ジンメルの遺体は、ジャレッドが戦ったときのように再生することなく、死亡したものと判断された。
遅れてやってきた魔術師協会を率いていたのはデニス・ベックマンだった。彼は遅れたことをジャレッドに謝罪した。動ける魔術師を総動員したかったようだが、事が急だったせいで時間がかかってしまったらしい。
ジャレッドは文句などなかったが、魔術師協会と折り合いが悪い騎士団が――とくにマルテインが嫌味を散々言い放ち、デニスの顔が引きつっていた。
ドリューの遺体は魔術師協会に騎士団が運ぶことになり、研究員たちによってなにがあったのかを解明されることとなった。
同じことを二度も起こさないようにするため、魔力増幅薬の取り締まりを強化し、人体に害のある薬物も同時に撲滅する動きにでるようだ。
未成年の学生が亡くなる結果となったのは、魔術師協会も騎士団も思うことはあったようで、協力して進めると聞いた。
ドリューの亡骸が運ばれていくのを眺めながら、どうしてこのようなことになったのかジャレッドは考えていた。
自分のことを殺すと呟いていたドリューを思いだし、魔力増幅薬に手を出したのは自業自得でもきっかけは自分だったのではないかと思ってしまう。
なによりも、どこで魔力増幅薬を手に入れ、そもそも本当に魔力増幅薬だったのかどうかもわかっていない。
この問題はドリューだけではない。魔術師として伸び悩む者なら誰でもドリューと同じ目に遭う可能性がある。
少しでも早く、魔術師協会と騎士団がドリューに薬を与えた誰かを捕まえてくれることを願う。
「マーフィーくん」
「……クリスタ、大丈夫だった?」
「うん。わたしたちはずっと見学席で守られていたけど、マーフィーくんは怪我してるね。医務室にいこう?」
「ああ」
クリスタに腕を引っ張られてジャレッドは歩く。
視線の先には、ラウレンツたちがドリューの亡骸を運ぶ騎士たちを遠目に眺めている。
お互いに気づき、視線を合わせると言葉を交わすことなく頷いた。
「なんだか、ものすごく疲れたよ」
ジャレッドは力なく呟くも、クリスタはなにも言うことなくただ隣を歩き続けた。
*
「思いがけずジャレッド・マーフィーの弱点を見つけたな。予定よりも早いが、行動に移そう」
校舎の屋上からローザ・ローエンはジャレッドの戦いの一部始終を観察していた。
確かにプファイルを倒しただけはあると納得できるが、彼女から見ればジャレッドの戦い方は荒く、恵まれた魔力と才能に任せた力押しに見えた。
宮廷魔術師候補に選ばれるだけの実力はあるとは思うが、所詮はその程度だ。複数の属性魔術を同時に展開することができる希少性と、精霊に干渉することができる特異な体質をどこまで魔術師協会が把握しているかわからないが、手放したくない人材であることは間違いない。まだ荒削りではあるが、将来性を考えれば宮廷魔術師にすることで国に繋ぎ止めて置くことは最善の判断だと思えた。
――しかし、甘い。
情報が欲しかったとはいえ、プファイルを殺さず捕らえたこと。途中までは殺すつもりで戦い、実際に殺しておきながら、復活したドリューに対して解毒剤が現れただけで希望を持ったことに甘さを感じずにはいられなかった。
「ただ、戦えば苦戦するかもしれない。ジャレッド・マーフィーの底が私には見えなかった」
なにかを隠しているのか、それとも病み上がりのため存分に力を発揮できなかったのかまではわからない。それでも、三つの属性魔術を同時に使ったときの魔力、制御は未熟さがあるとはいえ目を見張るものがあった。
それゆえに、変貌を遂げたドリューには驚くしかない。
いくらジャレッドの戦い方が荒くとも、甘くとも、十分すぎるほど強者と呼べる。ヴァールトイフェルの中でも、自分たちのようにワハシュに直接鍛えられた者でなければ太刀打ちできないことは認めていた。
「しかし、あの学生になにがあった? どうしてあのような変化を遂げた?」
だからこそ、ドリューになにがあったのかローザは気になる。
「知りたい?」
「――ッ」
突如背後からかけられた声に、腰の短剣を抜き構える。
ヴァールトイフェルの中でも、父の後継者のひとりとして相応の力を持つと自負しているローザにとって、容易く背後を取られていたことは驚き以上に屈辱だった。
射抜くような視線で睨みつけると、声の主は困ったような笑みを浮かべていた。
「驚かせちゃったかな?」
「貴様……」
どこか人懐っこさを感じさせる少年は、ローザよりも年下に見えた。
柔和な印象を受ける整った容姿、癖のない亜麻色の髪、若干小柄な体躯からは、戦闘者であり暗殺者としての訓練を受けたローザの背後をとることができるとは思えない。
鍛えた気配がまるでない体つきもそうだが、戦闘を経験しているとも思えない。だが、声をかけられるまでローザは気づくことができなかった。
「何者だ?」
「うぅん、そうだね。僕はドリューくんの友達だよ?」
「友達だと?」
「そうさ。彼はとても追い詰められていたんだ。エミーリア・アルウェイから脅され、ジャレッド・マーフィーに怯えていた。にも関わらず、誰にも頼ることができないかわいそうなドリューくん」
芝居が掛かったように大きく手を広げて、歌うように少年が語る。
「エミーリア・アルウェイはドリューくんを脅したことすら忘れ、ジャレッド・マーフィーに熱を上げている。あまりにも馬鹿げていると思わないかい?」
「そのことに関しては同意しよう。確かに馬鹿げている」
「ドリューくんは脅した本人が忘れていることも知らず、追い詰められていた。見かねた僕は彼に手を差し伸べて、友達になったんだ」
友達、という単語を耳にしたローザが鼻で笑う。
言うまでもなく、ドリュー・ジンメルになにかしたのは目の前にいる少年だ。
あのように人間以外の姿に変貌させ、命を無意味に奪わせておきながらどの口が友達などと言えるのかとローザは軽蔑する。
彼女自身、戦闘者であり暗殺者でもあるため必要であれば戦い敵を殺し、ときにはどんな手段も取ることはある。それでも、目の前の少年のように利用した人間を友達などと言うような恥知らずな真似はしない。
「貴様がなにを考え、なにをしたのかまでは知らない。知りたくもない。だが、貴様のせいでひとりの人間が死んだことは覚えておけ。命をもてあそべばいつか報いを受けるぞ」
「おっと、まさかヴァールトイフェルの人間にそんなことを言われるとは思っていなかったけど、これからは気をつけるよ」
「我らを知っているのか?」
「知っているよ。詳しくはないけどね」
ローザは少年の首筋に短剣の刃を当てる。
「ヴァールトイフェルのなにを知っているのか答えてもらおう。答えれば殺すことだけは許してやる」
「おお、怖いなぁ。でも、僕は今から友達を迎えにいかないといけないんだ」
「友達? まさかドリュー・ジンメルのことか? ならば、奴は死んだ――いや、貴様も知っているはずだ」
ローザの言葉に少年は楽しそうに笑う。
子供がおもちゃを見せびらかすように、得意げに、自慢げに。
「ドリューくんは死んでないよ」
「な、に?」
「離れて見ていた教師は実に的確なことを言ったね。僕の与えた力は確かにドリューくんの体に負担を強いてしまった。だけど、すべてが想定内だったんだよ。彼は一度変貌を遂げた。ジャレッド・マーフィーに一度殺されながらも、再生さえして見せた。しかし、生まれ変わった彼が十全に力を使いこなせるはずがなく、限界が訪れたため死に等しい深い眠りについてしまったんだ」
ローザは間違いなくドリューが絶命したと思っていた。
ジャレッドと同じように、ドリューの魔力を探りかけらも残っていないことから、魔力をすべて使い果たし、力尽きたと判断していた。他にも判断材料はあるが、魔術師である以上魔力がなくなることは死につながる。
だからこそ、ドリューが絶命したと判断した。しかし、少年は違うと言う。
もっとも人間の姿から魔獣のように姿を変え、頭部を破壊されてもなお再生したのだ、今さら絶命したドリューが生きていたと言われても驚きは薄い。
「貴様の目的は知らないが、どうやら化物を作ったようだな」
「嫌だなぁ。そんな酷い言い方をしないでよ。ちゃんとした名前があるんだよ――僕たちは人間を超越した『魔人』さ。よく覚えておいてほしい」
「魔人、か。頭の片隅程度に入れておいてやろう」
「ありがとう。じゃあ、僕はこれで失礼しようかな。ドリューくんが目覚めたときに、僕がいないと心細いだろうしね。君は君で、ジャレッド・マーフィーの観察を続けて」
ローザの事情をすべて知っているとばかりに微笑む少年に、彼女は舌打ちをする。
「もしも邪魔をするなら――」
「しないよ。するわけがない。僕も君と同じようにジャレッド・マーフィーが邪魔なんだ。もちろん、理由は秘密だけどね。だから、君が殺してくれるならそれで構わないんだよ」
少年は首筋に当てられた短剣の刃をどかすと、ローザから離れていく。
隙だらけに見える少年の動きだが、それがわざとなのかどうかも判断できず、ローザはなにもできない。
「それじゃあ、さようなら。もしかしたらまた会うかもしれないね」
少年はそう言い残して消えた。
ローザが気配を探っても見当たらない。ここに最初からいなかったかのように、姿を消したのだ。
「不気味な奴め……」
警戒しても無駄だと考え、ローザは視線をジャレッドに戻す。
彼女のするべきことはかわらない。ジャレッド・マーフィーを殺し、邪魔者を排除した上で標的であるハンネローネ・アルウェイとオリヴィエ・アルウェイを殺すだけだ。
そのために、ジャレッドに対して確実な方法をとる必要がある。
彼女の脳裏には、彼が大切に思っている人間が浮かんでいた。