32.暗躍する影9.
王国騎士団の登場に、ジャレッドは舌打ちをした。
応援は素直に喜ばしい。しかし、自分たちに任せろと言うことには同意できない。
白い鎧に身を包み、剣や槍で武装した二十人の騎士団員がドリューを取り囲む。ドリューは警戒心を露わにして低いうなり声をあげて威嚇するも、勇猛な騎士団が恐れることはない。
「マーフィー殿、我らがくるまで脅威を逃がさなかったこと心から感謝致す。ここからは我々が引き受けましょうぞ」
エトムントと名乗った初老の騎士は、白髪交じりのひげをたくわえた背の高い男だった。
歳を感じさせない威圧感と鍛えられた肉体が、鎧越しにもはっきりとわかる。
「俺に手を引け、と?」
「ご理解が早くてなにより。貴殿が宮廷魔術師候補であることは存じておりますが、まだ正式に発表されていない以上、一介の魔術師であることは事実。なによりも未成年であり学生という身分の者に戦わせて我ら騎士団が見ているだけというのはいささか問題であるのですよ」
「俺が魔術師だから、ですか?」
「いいえ、違います。貴殿が未成年であり、我らが大人だからという理由では納得できぬかな?」
魔術師を嫌っていると有名な騎士団の部隊長であるはずのエトムントから、ジャレッドに対する悪感情が伝わってこない。
彼の言葉通り大人だからこそ、まだ子供であるジャレッドに手を引けと言っているのだ。そう言われてしまうと、納得したくないが、理解はできる。
しかし、ここで引くことは躊躇われた。
「隊長! いちいち魔術師なんかに構ってないで、さっさとこのバケモノを倒してしまいましょうよ!」
「黙れ、マルテイン! 我らがくるまで必死に戦ってくれたマーフィー殿に対して誠意を通さねばならないのがわからぬのか! ――部下が失礼した。奴は魔術師を嫌っているのだ。と言っても、騎士と魔術師の不仲は今に始まったことではないゆえ、ご存知だと思う。すまぬが、ここは我らに任せてもらおう」
「あっ、おい! 待て!」
「攻撃開始!」
ジャレッドの言葉を聞かずに、エトムントは踵を返して部下に指示をだしていく。
「そうじゃない! 任せるとか、任せないじゃなくて、あいつはバケモノじゃない。この学園の生徒なんだぞ!」
「承知の上! すでに学園の生徒会長から話は聞いているが、その上で脅威と判断したのだ。残念だとは思うが、魔力増幅薬を使用したことで重罪犯。さらにこうも姿を変えてしまっている以上、倒すべき敵として対処させていただこう!」
「解毒薬を打ったんだ! だから、効果がでるまで待ってくれ!」
もうすでに騎士団員がドリューに攻撃をしかけている。解毒薬を打ったせいか、ドリューの動きは鈍い。
剣に斬られ血を流し、槍で突かれ叫び声をあげる。だが、致命傷にはなっていない。ドリューも反撃するため、ひとり、またひとりと騎士が腕力によって殴り飛ばされ動きを止める。鋭い爪で斬り裂かれ、抉られ、貫かれ、次々と倒れていく。
「この状況を見て、まだ待てと申すか? ならば聞こう、ジャレッド殿。いつまでまてば解毒薬の効力がでるのか?」
「――わからない」
「貴殿は優しい――だが、甘い」
それだけ言うと、エトムントもドリューに向かい攻撃をしかけた。
ジャレッドは悔しげに唇を噛みしめる。
一度はドリューを殺そうとした。しかし、解毒剤にわずかな希望を託したせいで甘さが出てしまったことは自覚している。驚異的な再生能力と、ジャレッドの体を傷つけた力、そして姿を変貌させたことを考えると脅威として排除しなければならないことはわかっている。
今までのジャレッドであれば、なにも思うことなく機械的にドリューが絶命するまで己を犠牲にしてでも戦い続けただろう。
だが、ジャレッドは自分が自覚できるほど変わった。オリヴィエと出会い、少しだけ優しくなれた。その優しさが甘さになっていることは自覚しているし、今までの自分から変化したことで行動に矛盾がでていることもよくわかっている。今、一番、自身の変化に戸惑っているのはジャレッド本人なのだ。
解毒剤を打ってから時間は経過しているが目に見えた変化は未だに見られない。すでに倒れた騎士は半分を超えた。甘さを捨てるべきか、と考えるも、一度は殺しておきながら助かる可能性がある以上、非情になりきることができなかった。
ジャレッドが迷い硬直している間に、さらに騎士が倒れていく。
最初こそ優勢だった騎士たちだが、ドリューの動きが追いつき追い越していったのだ。隻腕でありながら剛力を誇り、体毛に覆われた肌は硬度を増していく。今では剣では傷つけることが難しくなっている。
少しの戦闘でさらなる進化を遂げているドリューが最終的にどうなってしまうのか予想すらできなかった。
ジャレッドの中で、ドリューを倒せと危機感が叫んでいる。
大地属性魔術は派手なので騎士団を巻き込む恐れがあるため今は使えない。もうすでに魔力もつきかけているので限界もある。ならば、乱戦となっている場にジャレッドも混ざるしかない。
ナイフを抜き、ジャレッドも戦いに加わろうとする。しかし、先ほどエトムントに叱られたマルテインという男が気づき、怒声を上げる。
「魔術師は黙ってそこで見ていろ!」
ジャレッドの動きに気づいたマルテインが首だけこちらを向き、忌々し気に睨む。彼の瞳には明らかに魔術師を嫌悪する色が宿っていた。
言い返そうとしたジャレッドだったが、ドリューが咆哮したため口を閉ざす。
魔力が込められた衝撃波がドリューの喉から放たれ、騎士たちが吹き飛ばされていく。残ったのはエトムントとマルテイン、そしてジャレッドだけだ。
「マーフィー殿に引けと言いながらこの体たらく……実に情けない」
「隊長! 弱音はいいからこのバケモノを早くなんとかしないと! 戦えば戦うほど強くなっていますよ!」
二人の握る剣は刃こぼれをしていて、白い鎧にもひびが入っている。ドリューを相手に魔術を使わず鍛えた体と剣技のみで戦っている二人の実力は騎士団の名にふさわしい。
だが、劣勢なのは目に見えて明らかだ。
ジャレッドは魔力を練りながら、二人に並ぶ。
「なんのつもりだ、魔術師?」
「アンタたちだけに任せておけない」
「魔術師の手など借りるか! あのバケモノは俺たちが殺す!」
「何度も言わせるなっ、あいつはバケモノじゃない! この学園の生徒だ!」
「言い争いはあとにするのだっ! 彼を救うにしろ、退治するにしろ、この場から逃がしたら大事となる」
エトムントの怒声にマルテインが黙り込む。ジャレッドはその隙にエトムントに向かい、
「悪いけど、もう引くことはしないぞ。俺を関わらせたくないなら、力づくでやってみろ」
「今さら言ったりしませんぞ。恥ずかしながら我らの劣勢――であれば、力をお借りしたい」
「なら、ともに――ッ! なんだ!?」
協力関係を築けたと思った矢先、ジャレッドが大きく目を見開いた。
目の前ではドリューが変貌を遂げたときのように、苦しんでいる。胸をかきむしり、爪が胸板を傷つけながらもなお、苦しみのせいで手を止めることができないように見えた。
「いったい、なにが起きているのだ?」
エトムントもまた驚きを顔に張り付けていた。
ドリューから感じる魔力が波打つ。小さくなったと思えば、次に瞬間に大きく跳ね上がり、また小さくなる。
全力疾走を続けたあとの心臓のように、不規則な躍動を続けていく。
「――限界が訪れたんだ」
見学席からキルシの声が届いた。
「本当に魔力増幅薬を使用したのか不明だけど、体を変えるほど劇的な変化を起こした以上、どこかに無理が生じる。そこへ解毒薬を打ったんだから体の中でなにかが起きても不思議じゃない」
「治るのか?」
「わからない。答えは――もうでるはずだよ」
キルシの言葉通り、答えはすぐに訪れた。
ドリューの体が一回り小さくなった。体毛は残ったままだが薄くなり、刃のような爪も短くなっていく。
苦しみに叫んでいた声もだんだんと小さくなり、そして途絶えた。
声を出すことができないまま、膝をついて未だ苦しむドリュー。全体的に人間だったときの面影を取り戻したせいで、痛々しさが増していく。
そして、ぴたり、と体の動きが止まった。
「ドリュー・ジンメル?」
ジャレッドが声をかけるが、返事はなく、視線がこちらに向くこともない。
もう一度、声をかけようと一歩近づいたそのとき、ドリューの体が音を立てて地面に倒れた。
「お、おい!」
駆け寄ろうとしたジャレッドの肩をエトムントが掴み、首を横に振る。
「マルテイン――確認しろ」
「はっ!」
倒れたドリューに慎重に近づくと、マルテインが首にそっと手を当て、しばらくすると首を横に振った。
続けて、口元に手をあて、胸の上にも手を置く。
「絶命しています」
「そうか……。マーフィー殿、彼から魔力を感じるだろうか?」
「いいえ、なにも感じません」
恐ろしいほど強力ではっきりと感じ取ることができた魔力は、今はもうなにも感じない。絶命したとはいえ、残留する魔力すらかけらもない。
キルシの言葉通り、限界が訪れたのかもしれないが、ジャレッドには突然すぎて腑に落ちなかった。