23.オリヴィエ・アルウェイの決意5.
オリヴィエは信じられないと頭を抱えていた。
まさか先日自分たちの命を狙うために屋敷を襲撃したヴァールトイフェルの刺客が、こともあろうに夜中に屋敷を訪れて婚約者に助言と激励をしたなどと聞かされても、はいそうですか、と信じられるはずがなく、とりあえずジャレッドの正気を疑った。
しかし、繰り返される説明を受けて、真実だとわかると、今度は諦めたようにため息をつく。
自分もずいぶんとトラブルの多い人生を送っているが、ジャレッドも負けず劣らずトラブルに好かれていると心底思う。
まさか脱走した暗殺者が、自身を倒して捕まるきっかけとなった張本人に助言と激励にくるなどと普通は思わない。
だが、ジャレッドがこんなつまらない嘘をつく必要はなく、プファイルの話が本当であれば一週間ほどの猶予があることが確かだ。さらに言えば、その猶予はジャレッド次第で伸びるのだから、信じたいとも思う。同時に、ジャレッドを関わらせてしまったせいで真っ先に命を狙われているこの状況に、なんと謝罪していいのかわからなくなる。
名ばかりの婚約者とその母親のために、二度も死にかけ、今もまた命を狙われているジャレッドに申し訳がなく、気を抜けば彼の目の前であっても大声を上げて泣いてしまいそうだった。
涙を必死にこらえて、気づかれないように気丈に振る舞わなければならない。
優しく、お人好しで、少し甘い大切な婚約者は、戦闘者であるため察しもいい。ジャレッドに対して申し訳ないと思っていたことを知られてしまえば、責める必要などないのに自分自身のことを責めてしまうだろう。
「そのプファイルというヴァールトイフェルの元刺客の言葉を信じれば、一週間後くらいに襲撃してくるはずなので、今ではなくそのときに警戒すればいいのね?」
「ええ、まあ。といいますか、俺が警戒すればいいんです。狙われているのは俺なので」
暗殺者に狙われているというのにへらへらと笑っているジャレッドを頬を引っ叩きたい衝動に駆られてしまう。きっと、ハンネローネとオリヴィエが狙われるよりも気が楽なのだろうが、そうはいかない。
ジャレッドがオリヴィエたちを案ずるように、オリヴィエたちもジャレッドを案じているのだ。
ジャレッドが狙われている間は安全だと言われて喜ぶことができるはずがない。
「でも、あなたが狙われるのよ?」
「今さらですよ。俺はヴァールトイフェルがオリヴィエさまとハンネローネさまを狙う限り戦い続けます。ならば、俺を直接狙ってくれた方がまだ対応ができます。なによりも、あなたたちが傷つかないならそれが一番いい」
やっぱり、と予想していた通りの答えが返ってきてしまい、オリヴィエは盛大にため息をついた。
薄々気づいていたが、ジャレッド・マーフィーという少年は自身のことをないがしろにしているとしか思えない。先日のプファイルとの戦いのときだってそうだ。傷を負い、死にかけ、それでも戦った。
――赤の他人である自分たちのために。
オリヴィエが知る限り、ジャレッドになにかあれば悲しむ人は多い。
学園の友人たち、ダウム男爵とダウム男爵夫人、そしてかわいらしい彼の従姉妹のイェニー。
もちろん、オリヴィエだって悲しむし、ハンネローネとトレーネだって同じだ。
ジャレッドだってそのことに気づいていないわけがない。だが、考えないようにしているといわんばかりに自身のことをないがしろにする。
そのことを止められないことに不甲斐なさを覚えてならない。
「わたくしは、あなたになにかあったら許さないわよ」
「俺を、ですか?」
「ええ。あなたを許さないわ。生涯かけて許さないから」
「怖いなぁ」
「なら、命を大事して。わたくしだって、あなたを失いたくないのよ?」
悩んだ挙句気の利かない言葉しか出てこない自分が嫌になるオリヴィエ。ジャレッドはそんなオリヴィエに困ったように笑うだけだ。
嘘でもいいから安心させてくれる言葉が欲しいと思うのは、オリヴィエのわがままなのかもしれない。それでも、ジャレッドを心底案じているオリヴィエは彼が無茶をしない保証が欲しかった。
「オリヴィエさま、大丈夫です。俺は死にませんよ。まだするべきことがたくさんあるんですから、そう簡単に死んでやれません。相手がヴァールトイフェルだろうと、なんだろうと、戦って、勝って、あなたたちを守ってみせます」
「信じていいの?」
「信じてください。それに――俺は今嬉しいんです」
「嬉しい? どうして?」
ジャレッドはゆっくり拳を握りしめる、見つめながら口を開く。
「俺の魔術が誰かを守るために使うことができる。誰かを傷つけるだけだと思っていた魔術が、誰かのためになると知ることができたんです。こんなに嬉しいことはありません。実を言うと、コンラートさまに魔術を教えることだって、引き受けておきながら今さらこんなことを言うのはどうかと思いますが――正直嫌でした」
突然明かされたジャレッドの本心にオリヴィエは凍りつく。
まさか、嫌だとはっきり言うとは思っていなかった。思い返せば、ジャレッドはいつも自身の立場を下に置き、気遣ってくれている。
コンラートの一件だって、オリヴィエも頼んでしまったし、公爵も渋るジャレッドに頼みこんだと聞いている。
父は父なりに息子のためを思ったのかもしれないが、ではジャレッドのことはどうだったのだろうと、考えると答えは出てこない。父の性格を考えると、ジャレッドを利用しようとも、上手く使おうとも考えてはいないはずだ。信頼できるジャレッドに息子を任せたいという、ただそれだけだったと思える。
だが、ジャレッドにとってはきっといい迷惑だったはずだ。コンラートに興味を持っていても、所詮は赤の他人だ。接点を見つけても婚約者の弟でしかないのだ。
「ごめんなさい。わたくし、あなたに強要してしまったのね?」
「あ、いえ、違いますよ。そうじゃないんです。まあ、断れない雰囲気はありましたけど、俺は俺なりに考えて納得したからコンラートさまに魔術を教えることにしたんです。俺が嫌だったのは、魔術を教えていいのかどうかわからなかったからです」
「どういうことかしら?」
尋ねられたジャレッドは慎重に言葉を選びながら説明していく。
「先ほども言ったように、俺の魔術は誰かを傷つけてばかりでした。戦うために無駄をそぎ落として戦闘面に特化させた魔術が俺の魔術です。ですから、そんな傷つけることしかできない魔術をコンラートさまに教えるのが嫌だったのです」
「あなたは魔術が嫌いなの?」
「いいえ。嫌いとか好きとかはありません。魔術師であることに誇りを持っていますし、母のような魔術師になりたいとも思います。でも、――きっと俺にとって魔術はどこまでも戦うための手段のひとつでしかないんです。それが少しだけ寂しいと思います」
でも、とジャレッドは微笑む。
「オリヴィエさまに会えて、俺は魔術で誰かを守ることができました。コンラートさまのひたむきな姿を見て、力になりたいと思うことができました」
「ジャレッド……それは誤解よ」
「誤解?」
オリヴィエは、この自身のことを過小評価し過ぎている婚約者に、どうすれば胸にくすぶる感謝の気持ちが伝わるのか悩む。
どれだけジャレッドが多くの人を救っているのか知っているオリヴィエにとって、いつになれば本人が自身の重要性に気づいてくのかもどかしい。
だから、精一杯心を込めて口に出して伝えよう。
「あなたは確かに戦うことだけしかできなかったのかもしれないわ。でも、あなたが戦い倒した魔獣に苦しめられていた人たちを救っているじゃない。この間も竜種を違法に狩ろうとする冒険者たちから住民を救ってくれたわ」
オリヴィエはジャレッドが握りしめていた拳をそっと両手で包み込む。
「あなたの魔術で多くの人が救われているのよ、わたくしもそのひとり。だから、忘れないでね。あなたはこれからも多くの人を救うことができるのよ、でも、そのためには自分のことをないがしろにしないで大切に思って――お願い」
「でも……」
しかし、未だに納得しないジャレッドに、オリヴィエの中でなにかが音を立てて切れた。
大きく息を吸い込んで、駄目な子供を叱るように思いきり声を張り上げる。
「でもじゃないわっ! ジャレッド・マーフィー! あなたには力があるのよ。だから、人を傷つけるとかそういうことを悩む前に、まずは自分から守りなさい。自分のことを大切にできない人間に、誰かを大切にはできないわ。でも、あなたはわたくしたちを大切に思ってくれている。なら、自分のことだって大切にできるはずよ、違う?」
優し気な笑みから一変して、怒りをあらわにしたオリヴィエに、
「違いません!」
とっさに返事をしてしまうジャレッド。
「よろしい。――あら、最初からこうして叱った方がよかったみたいね。なら、これからはそうしましょう」
「か、勘弁してください」
満足そうに頷き、まるでいいことに気がついたとばかりに今後を企むオリヴィエにジャレッドは敵わないとばかりに白旗を上げて降参する。
少し情けなく肩を落とすジャレッドを見てオリヴィエは内心ほっとする。
今までは負い目から強く言えなかったところがあったが、これからはジャレッドを大切に思うからこそ言うべきことと伝えるべきことはしっかりと言おうと決める。例え、その結果嫌われたとしても、ジャレッドが自分を大切にしてくれるなら構わない。
大切にしてもらっているだけ、大切だと思う気持ちを返したいオリヴィエの不器用ながらの決意だった。