22.真夜中の訪問者1.
浅い眠りについていたジャレッドは、何者かの気配を感じて目を覚ました。
「誰だ?」
窓の外に誰かがいると気づき、声をかける。しかし、応答はない。
枕の下からナイフを取り出して構えると、ゆっくりと窓に近づく。
敵意は感じないが、油断はできない。
もしかしたら――と、わずかな期待を胸にして窓を開く。
「久しぶりだな、ジャレッド・マーフィー」
「元気そうでなによりだよ、プファイル」
すると、ジャレッドが予想した通り、アルウェイ公爵家から逃亡したプファイルがそこにいた。
「よくも逃げ出したな、おい。敗者は勝者に従うんじゃなかったのか?」
「今日はその謝罪にきた。脱走するつもりはなかったが、組織から迎えがきてしまったので従うほかなかった」
「やっぱりヴァールトイフェルの仕業か。そうなると、手引きしたのは側室の誰かだろうな」
「そうだ。私は意識が朦朧としていたため、ただ荷物のように連れ去られただけなので詳細までは知らない。私が知ればお前に伝わると予想したからこそ、情報を与えなかったのだろう」
「なんだ、情報もってないのかよ?」
「すまないが持っていない。だが、私はお前に敗北しながら約束を果たせていない。なので、少しでも役に立とうと思ってやってきたのだ」
義理堅いと言うべきか、愚直だと言うべきかジャレッドは迷う。
「まだ敵対するつもりは?」
「ない。お前もそうだろうが、私もしばらくは全力で戦うことはできない。なによりも、私はもう任務から外されたのでハンネローネ・アルウェイとオリヴィエ・アルウェイを狙う理由がない」
「外されたのか、誰に?」
問うがプファイルは口を噤む。
さすがに詳細まで明かすつもりはないようだ。だが、そのことを不満には思わない。
ジャレッドはプファイルが敵対しないことを知れただけでよかった。嘘をついているとは思わない。そこまでからめ手をする人物なら、自分のところではなくハンネローネやオリヴィエのところに最初から赴いて矢を突き立てていたはずだ。
「今夜は謝罪もしたかったが、忠告をしにきた」
「忠告?」
「私の後任の件だ。名を言うことはできず、詳細も明かすことはできないが、彼女は部下を数人率いてこの王都にいる。狙いは変わらずハンネローネ・アルウェイだ。しかし、標的の前に殺さなければならない相手がいる――それは」
「俺だろ?」
「そうだ」
顔色ひとつ変えることなく自分だと言い放ったジャレッドに、プファイルは頷き肯定した。
わかりきっていたことなのでジャレッドに動揺はない。
プファイルを倒した以上、もし次のヴァールトイフェルの刺客が現れれば真っ先に狙われるのが自分だと予想していた。むしろ、そうなってほしいとすら願っていた。
敵がジャレッドのことを障害だと思い排除しようとするなら、ただ迎え撃って倒すだけ。鬱陶しいが、単純でいい。なによりもその間はハンネローネとオリヴィエが狙われる可能性も下がるので気が楽になる。
「彼女はお前を殺すため万全を整えて襲ってくるだろう。だが、お前を殺すまではハンネローネ・アルウェイとオリヴィエ・アルウェイを狙うことはない。そういう性格をしている」
「それはありがたいね。少なくても、俺が死ぬまでは二人は安全だ」
「命を狙われながら笑うとは、ジャレッド・マーフィー、やはりお前は正気ではないな」
言われてジャレッドは、自分が笑っているのだと気づき、手で顔を触る。
確かに、笑っていた。口元がつり上がり、目元にしわが寄っている。なにかが楽しいわけでもないのに、ジャレッドは笑っていたのだ。
だが、楽しいから笑ったわけではない。ハンネローネとオリヴィエにしばらく安全が約束されたことが嬉しくて笑みを浮かべたのだ。
「誰かと戦い、命を奪っておきながら正気のままではいられないさ。魔術師なんて少なからずどこかしらタガが外れているものだよ」
「暗殺者が言うべきではないが、魔術師というのは恐ろしいな」
ジャレッドとプファイルがそろって小さな声をあげて笑った。
第三者が見れば、気の合う友人が笑いあっている光景に見えただろう。
「いつ襲ってくる?」
「わからない。だが、一週間は襲ってこないだろう。私が公爵家から逃げ出したことで誰もが警戒し、気を張っているはずだ。狙うなら、その警戒が若干薄れたタイミングだ」
「気が緩んだ瞬間に襲われれば対応が遅れる。それは致命傷になるな」
「おそらく全戦力をもって殺しにくるはずだ。私と戦ったときのように手加減はするな。手加減をして倒せる相手ではないし、少しでも手を抜いていると判断されれば彼女は怒り狂う。結果、起きなかった被害が起きてしまう可能性がある。戦うなら、躊躇することなくはじめから殺すつもりで戦え。できなければお前は死ぬだろう」
「というか、暗殺者プファイルくんさぁ――かなり情報明かしているぞ? いいのか?」
プファイルからの情報はありがたいが、自分のせいで組織に粛清されるなどすれば目覚めが悪い。
だが、気にしていないとばかりにプファイルは平然としている。
「今の私は暗殺者ではない。ただのプファイルだ。組織を裏切ることはできないが、お前に対しての義理を果たさなければいけない」
「そんな義理堅くならなくてもいいのに……」
つい呆れてしまう。こうまで愚直な人間が、暗殺組織ヴァールトイフェルの一員であることが不思議に思えた。
きっと、出会いと立場が違ったらいい友人になっていたのかもしれない。そのことが少し残念だと思えた。
「ひとつ誤解があるようだから言っておこう――ジャレッド・マーフィー、お前を倒すのはこの私だ」
「へぇ」
「一度は敗北した。ゆえに、今はこうして敗者としての役割を果たそうとしているが、私はまだ生きている。ならば、またお前と戦い、今度は私が勝利しよう」
「そしてハンネローネさまとオリヴィエさまを殺すのか?」
「そんなことはしない。私がお前に勝ちたいから再戦を望むのだ。だからこそ、私以外に倒されては困る」
「俺は倒されたりしない。守りたい人がいるんだ、絶対に負けられない」
ジャレッドの言葉にプファイルは安心したような表情を浮かべた。
「ならば甘さは捨てろ。敵と認識した者は躊躇なく殺せ。守る者がいるというのなら、守るべき者のことだけを考えろ」
「まさか暗殺者からアドバイスされるとは思わなかった」
「私もこんな助言をするとは思わなかった。存外、お前のことを気に入ったのかもしれない」
「それは嬉しいけど、やっぱり立場的にまずくないか?」
「構わない。組織への忠誠は私の中で変わっていない。だが、そこへジャレッド・マーフィーへの興味と、戦いたいという欲求が加わっただけだ。私は願っている――お前がヴァールトイフェルを退け、守りたいと願うハンネローネ・アルウェイとオリヴィエ・アルウェイを守り切ることを。そして、私はそんなお前を倒したい」
熱のこもった鋭い眼光に射抜かれ、ジャレッドはつばを飲み込みながらも負けじと睨み返す。
「事が片づいたら戦おう。誰も邪魔が入らない場所で、お互いの全力で」
ジャレッドはプファイルに手を差し伸べる。
差し出されたジャレッドの手を困惑したように一瞥すると、しばらく迷う仕草をしてから、苦笑して握り返した。
「やはりお前は面白い――死ぬなよ」
「情報ありがとな。死なないよ」
お互いに一度だけ強く手を握りしめる。
言葉を交わすことなく、手を放し、プファイルは窓の桟に足をかけた。
「一週間で体を可能な限り回復させておけ。彼女は私よりも強く、容赦がない。倒すのではなく、殺すつもりで戦え、いいな?」
念を押すプファイルにジャレッドが頷くと、彼も頷き返すと、窓の外へ飛び出した。
プファイルを追って窓の外を覗くが、周囲に人影は見えず気配もない。魔力を探っても痕跡ひとつ見つからなかった。
「――どうやっているのか今度教えてくれないかな?」
暗殺者の隠密性を少しだけ羨ましいと思うジャレッドは、プファイルからもたらされた情報をどうしようかと頭を悩ませる。
そして、オリヴィエだけには教えておこうと決めた。