21.ジャレッド・マーフィーの動揺2.
コンラート・アルウェイとテレーゼ親子との出会い。従姉妹のイェニー・ダウムが一緒に暮らすかもしれないという話を聞き、心底疲れてしまった。
プファイルの脱走や新たなヴァールトイフェルの刺客など考えることが次から次へとやってくるため、気が休まる暇がない。
オリヴィエは見えない敵に恐れたりしないと前向きだ。その前向きさの理由のひとつに自分がいることをジャレッドは素直に嬉しく思っていた。
彼女を見習おうと覚悟はしたものの、後手に回り続けなければいけない状況が恨めしい。
どちらかと言えば、ジャレッドは敵に襲われるのではなく、敵を襲いたいと思うタイプだ。極端なことを言ってしまうと、明確な敵は片っ端から潰しておかないと安心できない一面を持っている。
そのため、恐れていなくても敵の都合に合わせなければいけない現状がもどかしかった。
ジャレッドは夕食を終えて、オリヴィエと話をした。コンラートに火属性魔術師としての素質があり、魔術師として成長していけば一角の人材になる可能性があることを。そして、コンラートの母テレーゼがかつてハンネローネに世話になっており、その恩もあるため狙うことなどしていないと断言したことを伝えた。
「そう……テレーゼさまのことは心から疑っていたわけではなかったわよ?」
「コンラートさまを含め、以前は親しかったと聞きました」
「思い出はたくさんあるわ。お父さまはお母さまとテレーゼさまとはわたくしの目から見ても親しげだったわ。でも、他の側室たちとは、不仲ではなかったけれど、特別親しくなかったかもしれないわね」
ハンネローネが狙われることをはじめ、コンラートとテレーゼへの嫌がらせも、結局は嫉妬からはじまったのかもしれないと思う。
公爵が意識して態度をわかりやすくしたわけではないだろうが、幼馴染みのハンネローネと友人の妹であるテレーゼは普段から接しやすかったのだろう。さらに、その二人が親しくなったのであればなおさらだ。
しかし、側室たちからすれば、特別視されているようにも見えたはずだ。とくに息子がいて家督を継がせたいと思っていた者にとっては、コンラートは大きな脅威に思えただろう。
ことの始まりだけ考えれば、誰が悪かったとは言えない。
ただし、ハンネローネの命を奪おうとしていることは明らかに間違っているし、コンラートたちへの嫌がらせだって同じく間違っている。
「正室が側室に疎まれるのは今に始まったことでではないし、どこの家でも同じよ。家族みんなの仲がいい場合もあるけれど、そんなのは稀だわ」
「ですね」
「テレーゼさまがよくしてくれた記憶はあるけど、他の側室方のことを思いだそうとすると嫌なことしか浮かばないわ。でも、そうなのね、コンラートも辛い目にあっているのね」
「剣術の訓練をすれば父親に媚びていると言われ、魔力があることがわかれば嫉妬され、いったいどうしろって言うんですかね、ご兄妹は?」
ジャレッドとオリヴィエは揃ってため息をついた。
はっきり言って二人に解決策はない。オリヴィエは母の一件を優先しなければいけないし、コンラートを庇ったせいで彼が関係者だと思われて巻き込まれることは嫌だと思っている。ジャレッドは完全に他家の事情なので首を突っ込むことができない。現時点でも、コンラートに魔術の手ほどきをする以上、首を突っ込んでいると言えなくもないのが悩みどころだ。しかし、コンラートと会い、人柄や向上心、そして前向きであろうとしているところは尊敬に値しているし、手助けしてあげたいと思えてしまう。
なによりもハンネローネとオリヴィエと親しかったということだけでも、手を差し伸べたくなる。
言うまでもなく、他の側室にジャレッドがコンラートに魔術を教えることは伝わっているはずだ。そして、側室たちはジャレッドをオリヴィエの婚約者としてだけではなく、敵視しているコンラート側の人間だとも思われるだろう。
その縁を繋いだのが公爵だとわかれば、なおのことコンラートが跡継ぎではないかという疑心が生まれてしまうことも考えられる。だが、止める方法などない。
「わたくしだって知らないわよ。兄妹と言ってもコンラート以外ほとんど接点はないわ。ああ、でも、エミーリアだけは昔からよく突っかかってきたわね」
「――ッ」
不意打ちに出てきたエミーリアの名前に、ジャレッドはとっさに声を上げそうになった。
「どうかしたの?」
「いえ、なんでも。ところで、エミーリアさまというのはどのような方ですか?」
「わたくしの妹よ。母親同士が幼馴染みということもあって、あの子が小さなころはコンラートを含めて遊んだこともあるわ。でも、エミーリアの母親であるコルネリアさまは、お母さまやわたくしのことがお嫌いなのよね。態度ですぐにわかったわ。実際その通りだったのよ。すぐにエミーリアとも疎遠になったし、あの子の兄とはほとんど会話した記憶がないもの」
まさかエミーリアがオリヴィエと幼少期に遊んでいたとは驚きだ。当時はまだ、彼女たちを取り巻く状況も違っていたのだろう。ただ、昔とはいえ遊んでいた姉妹が仲違いしていることが寂しく思えてならない。
「正直言ってしまうと、わたくしが男であったらこんなにも面倒なことは起きなかったのでしょうね。正室であるお母さまの息子であれば、よほどなにかしなければ家督を継ぐことができるわ。でも、わたくしは息子じゃなく娘だった。娘であることが嫌だと思ったことはないし、女性でも当主になる方もいるけれど、ときどき息子だったらもっとお母さまを守れるのにと思うことがあるわ」
「でも、オリヴィエさまが息子だったらきっと俺たちは出会わなかったでしょうね」
「そうね。出会わなかったわね。なら、やはり娘のままでいいわ。わたくしは娘で、家督も継ぐことができず、継ぐつもりもないけれど、後悔はしていないもの」
口では後悔がないと言うが、オリヴィエは自分が娘であることを悩んだはずだ。息子であれば、と考えてもしかたがないことではあるが、そう考えずにはいられない状況が彼女たちを襲っていたのだから。
「家督に関することはさっさとお父さまに跡継ぎを決めてもらいたいわ」
口には出さないがジャレッドも同意見だ。それだけでも、ハンネローネやオリヴィエに向かう悪感情はなくなる。
むしろ、跡継ぎに選ばれた者に集中するだろう。そうなればハンネローネの命を狙う者もこちらに構っている暇はなくなるだろう。人を殺してでもなにかをしようとしている者ならば、自分の子供以外が家督を継ぐのは許せないはずだ。
もちろん、ハンネローネの代わりに別の誰かが狙われてくれればいいと本気で思っているわけではない。
それでも少しでもオリヴィエたちの現状が変わってほしいと願ってしまうのを止めることはできない。
だが、もしもハンネローネを害しようとしている者の息子が跡継ぎになれば、オリヴィエたちの危険は大きくなる可能性だってある。
変化を求める一方で、変化を恐れてしまう。
コンラートのような真っ直ぐでひたむきな少年が跡継ぎになってくれれば安心できるのに、と思わずにはいられない。
「でも、お父さまはまだ跡継ぎを決めるつもりはないようね」
「どうしてですか?」
「お父さまが現役であることも理由のひとつなのでしょうけど、コンラートを含めて未成年である子供がいるからよ。一番年下のコンラートが成人するまでの四年間はお父さまだってお元気でしょうから」
なるほど、と納得した。
公爵家となれば当主の責任は大きく、影響力も強い。未成年が当主になることは駄目ではないだろうが、父親が現役である以上難しいだろう。ならば、最年少のコンラートが成人するのを待って平等に後継ぎを選べば、少なくとも年齢が理由にはならない。
とはいえ、すでに成人している者からすれば、継ぐのは未来でも、自分が跡継ぎだという確証が欲しいはずだ。だが、現状ではもらえないため、不満は溜まっていく一方だろう。そのはけ口が、末弟への嫌がらせになっているのかもしれないと考えられる。
オリヴィエの他の弟たちがコンラート以外にどのような人物がいるのか知らないが、年下の少年に悪意ある嫌がらせをしている者のことなどどうでもいい。
いずれはどこかで知りあうかもしれないが、ジャレッドの興味は薄い。
今はただ、母想いのオリヴィエと、真っ直ぐなコンラートの状況は少しでもよくなればいいと願うのだった。