16.コンラート・アルウェイという少年5.
「見苦しいところをお見せしてしまい、すみませんでした」
「いえ、お気になさらず」
ハンカチで涙を拭い謝るコンラートの母――テレーゼ・アルウェイに、ジャレッドは控えめに返事をする。
ジャレッドたちは家人が用意した椅子に腰をかけて、瞑想するコンラートを見守っていた。
公爵は慌てた騎士が現れて連れていかれてしまったためここにはいない。
初対面の公爵家の妻を相手に、気の利いた言葉も言えず、ジャレッドは沈黙に耐え続けていたが、泣き止んだテレーゼが口を開いたことで、安堵の息をつく。
「マーフィー殿、この度は息子のためにどうもありがとうございました。改めてお礼を申し上げます」
「私自身、コンラートさまに興味がありましたので、あまり気にしないでくださると助かります」
「そう言っていただけると助かります。それで、お聞きしたいのですが、マーフィー殿から見たコンラートはいかがでしょうか?」
「先ほどお伝えしたように、火属性魔術師としての才能はあります。複合魔術の可能性を調べるために他の魔術も使ってもらいましたが、やはり火属性ですね。細かく言えば、放出魔術と収束魔術の使い手として育てていくといいでしょう」
ジャレッドの勘違いでなければ、コンラートは特に収束することに特化している。
そのことをテレーゼに伝えると、我が事のように喜んだ。
「特化しているということは、あまりいい言い方ではありませんが秀でていると考えていいのですか?」
「そうですね……確かに収束に関しては一般的に魔術師と呼ぶ平均からは逸脱しているのは確かです。その才能を生かすか殺すかはコンラートさまの努力次第です」
「どうすれば、コンラートの才能を生かすことができますか?」
実に難しい質問に、ジャレッドは頭を悩ませた。
本人の努力はもちろん、できることなら理想的な魔術の師がいることが望ましい。誰もがはじめは手探りで魔術を学び慣れていかなければならない。単身で学べないことはないが、導いてくれる人がひとりいるだけで、結果は変わってくる。ときには厳しく間違いを指摘してくれる人物ならばなお望ましい。
ジャレッドなりの考えを伝えると、テレーゼが突然深々と頭を下げた。
「――ちょっと、なにを!?」
「マーフィー殿。どうかコンラートの師匠となってくださいませんか?」
「それは公爵からも検討してほしいと言われましたけど、そんな急に答えは出せません。いえ、その前に頭を上げてください。お願いしますから!」
頼み込んでなんとか頭を上げてもらう。
ジャレッドは自分に拘る理由があると思えてならなかった。公爵からは信頼できる自分をと言ってもらったが、それだけではテレーゼの態度に納得できなかった。
「公爵からも確かに頼まれています。信頼できる魔術師にコンラートさまを任せたいという気持ちも理解できますし、その、コンラートさまが私に憧れてくれていることも存じています。ですが、それだけで私のような人間にこだわる理由はなんですか?」
「それは――」
テレーゼが不安げな瞳を揺らしてコンラートを伺う。
しかし、コンラートはこの騒ぎなど知らないかのように瞑想を続けていた。
「コンラートさまに私たちの声は聞こえていません。深く瞑想できるように導かせてもらいましたので、どうか話してくださいませんか?」
「できれば、コンラートには話さないでもらいたいのです」
「お約束します」
テレーゼがゆっくり口を開く。
「私は旦那様と親しい兄を通じて側室としてアルウェイ公爵家に嫁ぎました。ですが、私は子爵の出身であり、側室の中ではもっとも身分が低く、最後の側室だったため立場は決してよいものではありません」
悲しそうに目を伏せたテレーゼが懐かしむように、言葉を続ける。
「屋敷にきたばかりのころは、嫌がらせばかりされました。屋敷の人間にも軽く見られ、嫁いだことを嘆いていました。そんな私に旦那様は気を使ってくださいましたが、きっとそのことが拍車をかけたのでしょう。私への嫌がらせが酷くなってしまいました。そんなとき、ハンネローネ様にお助けいただいたのです」
「――え?」
まさかハンネローネがでてくるとは思わず、つい声を上げてしまうジャレッド。
しまった、と慌てて手で口をふさぐと、テレーゼが微笑む。
「気にしないでください。マーフィー殿がオリヴィエ様のご婚約者としてハンネローネ様とお暮しになっていることは存じていますので。一緒に暮らせばおわかりになると思いますが、気さくでよいお方でしょう?」
「なんと言いますか、それはもう」
「ふふふっ、あまりお変わりがないようで安心しました。私は、そんなハンネローネ様に励まされて日々を過ごしていました。ありがたいことに男児に恵まれ、コンラートを出産したときには我がことのようにハンネローネ様が喜んでくださったことは今でも忘れられません。そんな経緯もあり、自然とコンラートはオリヴィエ様に懐きました。息子がマーフィー殿を兄と呼ぶのも、きっとまたオリヴィエ様と親しくしたいこともあるのでしょう」
またひとつ、オリヴィエたちのことを知ることができた。
それにしても、側室を持つことは貴族の義務だと言うが、テレーゼのように嫌がらせを受けたり、ハンネローネのように命を狙われたりと、爵位が上がるとこうも大変なのかと辟易する。
「私自身もそうですが、コンラートも家督を望んでいません。アルウェイ公爵家のために力になることはもちろんですが、なにも旦那様の跡継ぎにならなければなにもできないというわけではないのです。しかし、他の側室たちはそうは思わないようで、誰もが自分の子を跡継ぎにと競わせています」
「公爵はご存知ですか?」
「ええ、存じています。旦那様も色々と苦労をなさっているようですが、本妻であるハンネローネ様にご子息がいないため、誰もが自分の子をと躍起になっています。ハンネローネ様がまだお屋敷にいらしたときはまだ後継者争いなどありませんでした。屋敷の人間の中には、優秀なオリヴィエ様が家督を継ぐべきだという声さえありました。しかし――」
「ハンネローネさまとオリヴィエさまが別宅へ移ってしまったというわけですね」
「そうです。それよりも前から、何者かがハンネローネ様を害そうとしているのは知っていました。そのせいでオリヴィエ様が疑心暗鬼となりコンラートすら遠ざけてしまったことには心が痛みました」
テレーゼはハンネローネが狙われていることを知っていたようだ。
いや、知っていて当たり前だ、と思い直す。公爵家の正室が側室に狙われているということは大事件だが、歴史を紐解けば決して珍しいことではない。
さすがにヴァールトイフェルや冒険者を雇ってまで命を奪おうとしていることは知らないだろうが、屋敷に住んでいる以上、テレーゼにも情報はいくのだろう。
「私には誰がそのようなことを企てているのかわかりません。ですが、私ではないと断言できます。最愛の息子に誓って、私は恩人であるハンネローネ様を害そうとはしていません」
「ええ、わかっています」
公爵もわかっているからこそ、コンラートを自分に会せたのだ。
「ありがとうございます。オリヴィエ様の婚約者であるマーフィー殿に信じてもらえたのであればよかったです。私は今も立場が弱く、コンラートにはいらぬ苦労を掛けています。旦那様に従って剣を必死に学んでいるのも我が子だけです。無理もありません。公爵家の跡取りになるのでしたら、剣よりも領地の運営を学んだ方がためになるでしょう。他の側室や子供たちは実際にそうしています。中には剣に夢中になっているコンラートを、旦那様に気に入られようと必死になっていると馬鹿にする者までいます」
「……それはあまりにも」
酷い、と口に出そうとして躊躇われた。誰がどこで聞いているのかわからない。
自分の発言のせいでオリヴィエたちに迷惑をかけてしまう可能性だってあるのだ。
「もちろん、コンラートは旦那様を慕っていますし、旦那様もコンラートを可愛がってくださっています。ですが、純粋に剣術を楽しんでいるのです。きっと私の知らないところでも辛い思いをしているのでしょう。そんな折に、魔力があるとわかりました。ですが、それがいいことであるのか正直判断に迷いました」
「他の方々の嫉妬ですか?」
「はい。今のアルウェイ公爵家に魔力を持つ子はいません。旦那様にも魔力がないため、とても喜んでくださいました。しかし、他の方々にはコンラートが魔力を得たことで優位に見えたのでしょう。嫌がらせが酷くなり、過激なものになっていきました」
確かに魔力を持つ人間は希少である。貴族でなければ引き込まれることをも珍しくない。
だが、魔力を持っているからといって優れているわけではない。公爵家の当主になるためにはもっと必要なことが多くあるはずだ。
部外者のジャレッドでもこの程度はわかる。なのに、なぜ、側室や他の子供たちは魔力を持っているだけを理由にコンラートに嫉妬するのか理解できなかった。
きっと、ジャレッドも魔力を持つ人間ゆえに、持たざる者の気持ちがわからないのだろう。
「嫌がらせは構わないのですが、魔力を持ってしまったせいで辛い思いするコンラートが不憫でした。しかし、屋敷の魔術師たちに言わせると、才能がないらしく、魔術師としては望めないと。すると、今度は宝の持ち腐れだと馬鹿にされる始末です。私は悔しくなりました。ですが、コンラートは魔術師になりたいと諦めなかったのです」
「それで、私に?」
「この屋敷の魔術師は少なからず他の側室方の息が掛かっています。もしも、事前に才能がないと言うようにと命じられればその通りにするでしょう。ですので、旦那様にお頼みして信頼できる魔術師を探してもらいました」