14.コンラート・アルウェイという少年3.
翌日、昨晩の内にトレーネに頼み、アルウェイ公爵に朝伺いたい旨を伝えてもらったジャレッドは、公爵家から用意された馬車に乗っていた。
普段は徒歩行動を基本としているジャレッドにとって、馬車から見える街並みは新鮮だ。
しばらく馬車に揺られていると、公爵家にたどり着く。
「おはよう、ジャレッド。昨日の今日ですまないね」
公爵自身が出迎えてくれたことに驚き、慌てて馬車から飛び降り膝を着いて礼をとろうとして、止められてしまう。
「将来の息子に膝を着かれたら悲しくなってしまうじゃないか」
相変わらず気安い公爵にジャレッドはオリヴィエとよく似ていると思った。
出会ったころのオリヴィエは抱えている事情と警戒心から、決して気安いとは言えない人物だったが、信頼してもらえたのか最近は実に接しやすい。爵位や立場で人間関係を構築しようとしないところは好感が持てた。
「朝食はすませたかな?」
「はい。オリヴィエさまたちと一緒にすませてきました」
「そうか……。私はジャレッドが羨ましいよ。もうどのくらいハンネとオリヴィエたちと一緒に食卓をともにしていないんだろうね」
陰りを浮かべた公爵は本当に寂しそうで、かける言葉が見つからない。
一度は疎遠になることを覚悟で、ハンネローネたちの安全を優先にして別宅に住まわせて離れてしまった。オリヴィエから心まで離れてしまい、父親として悲しかったはずだ。しかし、最近になって公爵の意図を知ったオリヴィエと少しずつ和解に向かっていた。
だからこそ、今の状況がもどかしいのだろう。
表立ってハンネローネとオリヴィエを守っていると明らかにしてしまえば、側室がなにをするかわからない。いっそ、わかりやすく行動してくれれば対処はいくらでも取れるのだが、危険が伴わないわけではない。
危険を冒してまで黒幕の正体を突き止めることは公爵はやらないだろう。
優しいと言えば聞こえがいいが、優しすぎる一面は甘さとも受け取ることができる。
ジャレッドにはどちらが正解なのか判断することはできなかった。
「つまらないことを言ってしまったね。コンラートは訓練場で待たせてある。ジャレッドと会えると伝えたらおおはしゃぎしてしまってね。少し体を動かして冷静になれと命じてある。さあ、案内しよう」
「お願いします」
公爵に導かれて訓練場へ向かう。
一度屋敷の中に入り、廊下を歩いて裏手に回る。途中、使用人とすれ違い挨拶をされていく。
昨日会ったエミーリアに出くわさないか冷や冷やしたが、そのあたりは公爵も考えてくれていたようで、挙動不審なほど警戒していたジャレッドに苦笑して心配ないと言ってくれた。
しばらく歩くと、広い公爵家の裏手に位置する開けた一角に訓練場はあった。
訓練場と言っても邪魔な障害物を排除した単純な広場だ。小さな建物が隣接しているが、おそらく武器庫だと判断する。屋敷には公爵家の家人やお抱えの騎士などもいるため、彼らが日々訓練を行う場所でもあるのだろう。
魔術対策もされているようで魔力と精霊の気配を感じた。
「あそこで素振りをしているのが息子のコンラートだ」
必死に抜き身の長剣を振るう少年を指さし、遠目から紹介される。
亜麻色の髪の少年が、上半身裸で汗を流して素振りを続けていた。体つきは若干小柄だが、無駄なく鍛えられている体つきをしている。決して筋肉質ではないため細身だが、貧弱という印象ではない。
「歳は十四だ。魔力があっても、魔術師としてどうなるかわからないため剣術だけはさせている。魔術師として優れたジャレッドにこう言ったら不満に思うかもしれないが、魔術だけがすべてではない。特に戦場では戦うすべは多いにこしたことはないのだからね」
「同感です。私も嗜む程度ですが、剣術と体術は使いますので」
「失礼を承知で聞くが、剣術の才能がないと聞いたが?」
「確かに私には剣術の才能はありません。弟たちにも劣るでしょう。ですが、才能がないというだけで手数を減らす理由にはなりません」
公爵はジャレッドの返事に満足気に頷いた。
「ジャレッドは戦いというものをわかっているね。さすがダウム男爵の孫だ。同じ魔術師でも、この屋敷にいる魔術師たちの多くが、魔術師は魔術に専念するべきなどと頭の固いことを言う」
「魔術師は他の人間が持たない魔力を有しているせいで、わずかですが選民意識がありますからね。もちろん、全員じゃないですが、やはり他に持っていないものを持っているという自負はあるでしょう」
「気持ちはわかるんだが、私は息子に魔術以外にも自分や大切な人を守る手段があると伝えたい。魔術師が魔術に拘るのは構わないが、息子にはもっと柔軟になってもらいたいと思っているんだ。親馬鹿だと笑ってほしい」
「そんなことはありません。魔術だけではなく他にも戦うすべがあるのなら、無理をしない程度に収めておくべきです」
戦争こそ経験がないジャレッドだが、魔獣や野党、ときには魔術師や冒険者と戦ってきた。一対一だろうが乱戦だろうが、難しい魔術を使うのなら、我武者羅に剣を振った方が早い場面は多々あった。
短い詠唱ならまだしも、長い詠唱を必要とする魔術を使うなら、体を動かした方が的確な場面は何度もあり、これからも訪れるだろう。
魔術だけしか使えない魔術師が目の前で魔獣に食い散らかされた場面も目にしたことがある。
ジャレッドだって、魔術だけでは乗り越えられない場面は多々あったのだ。
「君がそう言ってくれてホッとしているよ。できることなら、コンラートに魔術師の才能があったとしても剣術だけは続けさせたいと思っている」
「そうした方がいいと思います」
アルウェイ公爵家を継ぐ前も、継いだ後も戦場に立ち続けた武人らしい言葉だった。
「コンラートさまから魔力ははっきり感じます。素振りをする度に、魔力が体内で躍動していますので、保有魔力は多いでしょう。私が教える必要もなく、魔術師としてやっていけると思います」
「そうか! うむ、ジャレッドのお墨付きがあれば安心だ」
嬉しそうに頷いていた公爵だったが、不意に笑みを消しジャレッドを見つめる。
「私はできれば信頼できるジャレッドに息子を任せたい。情けない話だが、家人たちにも派閥がある。純粋に私に従ってくれる者もいるが、妻たちに従う者も多いのだよ」
「無礼を承知でひとつだけお聞かせください」
「構わないよ、言ってごらん」
「コンラートさまのお母上が、ハンネローネさまを狙っている可能性は?」
「ない」
断言した公爵に、ジャレッドはわずかに目を見開く。
こうもはっきりと断言されるとは予想外だった。
「私が今まで調べていたことと、先日ジャレッドがプファイルから聞いてくれたことを照らし合わせて側室の二人まで絞ることができた。いや、それ以前からコンラートの母親にはハンネローネを狙う理由はなかった」
「と、言いますと?」
「もともとコンラートは跡継ぎ候補でありながら、公爵家の当主になりたいという願望も、誰かを蹴落として上に立ちたいという野心もない子だ。母親もそれをわかっているので、魔術師としての才能を育てたいと私に直接相談してきた」
「それで、私ですか?」
公爵は頷き、言葉を続ける。
「魔力に目覚めてから、魔術師という存在に自然と興味を抱いたコンラートは偶然知ったジャレッドに憧れを抱いていた。十五歳から魔獣討伐をはじめ、あっという間に魔術師協会内で有名になったジャレッド・マーフィー。どこで魔術を習ったのか不明であることから、大人たちでさえ興味が尽きない君に、息子が夢中になるのは時間の問題だったよ」
ジャレッドは静かに公爵の言葉を待つ。
特に、自分からなにかを言うことはないのだ。
もしかしたら、公爵は自分の経歴をすべて把握しているかもしれないが、それでも自分からなにかを言うことは今のジャレッドにはできない。
「オリヴィエの婚約者に君がなったとき、コンラートは喜んでいたよ。もしかしたら君と接点ができるかもしれない。オリヴィエともまた昔のように接することができるかもしれないと。そして、宮廷魔術師候補に選ばれたと知ると、自分のことのように興奮していたよ。だから私は、頭の固い魔術師よりも、柔軟さがあるジャレッドに息子を任せたいと思ったんだ。もちろん、息子が憧れているから言うこともしっかり聞くだろうとも思っている。なによりも、安心して息子を任せることができるとジャレッドを信頼しているのが一番大きいがね」
「ありがとうございます」
ようやく自分がコンラートの師に選ばれた理由が少しだけわかった。
コンラート自身が憧れを抱いていることと、側室たちの息がかかっている可能性がある魔術師たちよりも、オリヴィエの婚約者である自分の方が信頼できると判断したのだろう。
公爵が断言したように、コンラートの母親がハンネローネを狙っていないなら、ジャレッドと関わらせても問題はない。
「ジャレッドがオリヴィエたちのことを心配してくれているのはよくわかっている。父親として、家族を守ってくれていることを心から感謝している」
「オリヴィエさまたちは私にとっても大切な方ですので、私ができる限り守りたいと思っています」
「感謝するよ。だが、できればオリヴィエたちには二人まで犯人を絞ったことを言わないでほしい。まだ確証がないため時間が必要だ。君がプファイルと会い、依頼主である妻がわかればそれでいいのだが、それよりも先にオリヴィエが動いてしまったら一大事だ」
確かに、とジャレッドは公爵の考えに賛成した。
ハンネローネを心から案じているオリヴィエに、犯人が二人のどちらかだと伝えてしまえば彼女の行動は明らかだ。だが、それは逆に側室を刺激することにもなる。
尻尾を掴めればいいのだが、いたずらに刺激した結果、警戒されてしまっても困る。なによりも自棄になられてハンネローネが危険にさらされる可能性だってあるのだ。
「わかりました。オリヴィエさまには言いません。それと、できればプファイルには今日、会わせていただいても構いませんか?」
「ありがたい、できれば私もそうしてほしかったんだよ。それと、ひとつだけ君にだけ伝えておきたいことがある」
「なんでしょうか?」
「エミーリアには気をつけてほしい。エミーリアがオリヴィエの悪い噂を流した張本人であり、母親のコルネリアが私が睨んでいる二人の内のひとりなのだ」
「――ッ」
まさか昨日会ったエミーリアがオリヴィエの悪い噂の元凶だったとはジャレッドは思ってもおらず、驚きを隠せない。まさか、妹がオリヴィエに対してそんなことをしていたことなどと、予想していなかったのだ。
なによりも、そんなエミーリアの母親がハンネローネを狙っているとなると、親子そろって悪質にも程がある。
公爵がオリヴィエに言わないでくれと言った理由がよくわかり、納得できた。
「おっと、コンラートがこちらに気づいたようだ。この話は終わりにしよう。先ほども言ったが、コンラートの母親に関しては心配しなくていいので、よろしく頼む」
「わかりました」
「では、息子を呼ぶとしよう。おい、コンラート! こちらにきなさい!」
公爵が手招きとともに呼ぶと、コンラートが地面に置いていた鞘に長剣をしまうとこちらに向かって走ってくる。
あっという間に目の前にきたコンラートは、まだそばかすと幼さが残る少年にしてはかわいらしい顔に満面の笑みを浮かべていた。
「挨拶をしなさい」
「は、はい、お父様! は、はじめまして、ジャレッド・マーフィー様! 僕はコンラート・アルウェイです。よろしくお願いします、お兄様!」