8.ジャレッド・マーフィーの新生活5.
「ジャレッド・マーフィーです。はじめまして、エミーリアさま」
はにかんだ笑顔を向けたエミーリアに対して、ジャレッドは失礼のないように礼をする。
はっきり言って、オリヴィエの姉妹が同じ学園にいることすら知らなかった。
オリヴィエからエミーリアの話を聞いたことはないので、仲はあまりよろしくないのだと察する。公爵もあまりジャレッドと会わせたくなかったようだったので、彼女に対する推測は確信に近かった。
「よろしければ、母と一緒にお茶でもいかがですか?」
「残念だが、ジャレッドはこれからコンラートに会ってもらう。お前も、お茶を飲んでいる暇があったら勉学に励め」
「あら、そうでしたの。なら、わたくしもご一緒しようかしら。コンラートばかりずるいわ。お父様は魔力を持っているコンラートを少し優遇し過ぎではないですか? 宮廷魔術師候補に選ばれたジャレッド様が、才能があるのかどうかもわからないコンラートとお会いになる必要があるのかしら?」
棘のある言葉に公爵がわずかに表情を変化させたことに気付いたジャレッドは、彼女に近づくと、
「お茶へのお誘いどうもありがとうございます。残念ですが、コンラート様にお会いしたいと言いだしたのは私の方なのです。魔術師として魔力を持つというコンラート様に興味を持ってしまい、無理を言って公爵を困らせていました」
とりあえず、嘘をついてみた。
「あら、そうでしたの?」
「はい。私自身、未熟な魔術師ですが、誰かにものを教えることができれば成長できると思っていたのですが、私の技術を教えても構わないと思える魔術師は正直いません。ですので、公爵のご子息ならばと思い、お願いしていたのです」
「確かに技術を盗まれてしまうと困りますものね。そう考えますと、わたくしたち公爵家はそんなみっともない真似はしませんし、正しい判断だと思いますわ。ですが、コンラートも癖のある子ですから、オリヴィエお姉様同様に苦労しますわよ」
あっさりジャレッドの嘘を信じてくれたエミーリアにホッと胸を撫でおろす。正直、公爵が息子をジャレッドに会わせたがっていたのだが、そのことを明らかにしてしまえばこの少女は間違いなく余計なことを言って公爵を怒らせるだろう。
面倒事はごめんだと思うと同時に、自分のことを信頼してくれている公爵を庇うことを兼ねてジャレッドは行動したのだ。
「私はオリヴィエさまに苦労したことはありません」
「あら、嘘がお上手ですね。お姉様の噂を知らないわけではないでしょう? もちろん、多くが嘘ですが、お姉様の性格の悪さと口の悪さは事実ですわ」
「やめないか、エミーリア!」
オリヴィエに対する悪意ある言葉に公爵が怒声を上げた。
しかし、エミーリアは気にした様子を見せることなく、ころころ笑う。
「でも、お父様。わたくし、嘘は言っていませんわ。ジャレッド様だってかわいそうだと思いませんか? 十歳も年上の行き遅れを押しつけられて、ねえ?」
返事などできるはずもなく、ジャレッドは沈黙を保つ。
もちろん、年齢は気にしていないが、そう伝えてもエミーリアにとってネタを提供するようなものだ。
正直、黙ってほしいと思うが、公爵を目の前にして娘にそんなことは言えるはずがない。
「そうだわ。お姉様の婚約者などやめたらどう?」
「はい?」
「わたくし、婚約者がいませんの。ですからジャレッド様のような方に婚約者になっていただければ嬉しいわ。わたくしなら、宮廷魔術師になれなどと無理難題は言いませんし、養って差しあげますわ。年齢的にも同い年なのでお似合いだと思いませんか? やはりジャレッド様のことを考えれば、若いわたくしの方が相性がいいはずです」
「そこまでだ――いい加減にしろ、エミーリア」
好き勝手に言いたい放題だったエミーリアに公爵が怒声ではなく、静かに低い声をだす。
本気で怒っていると察したエミーリアもさすがに口を閉じた。ジャレッドも、温厚な公爵がここまで怒るとは予想していなかったため、少し驚いた。
「二度は言わない、下がれ」
「……わかりました。ジャレッド様、またの機会にお話ししてくださいませ。失礼致します」
さすがに父親に逆らうつもりはないようで、すんなり部屋からでていくエミーリアだが、また会おうとちゃっかり口にしているあたりが懲りていない。
ジャレッドは返事しなかった。というよりも、二度と会いたくない。
確かにオリヴィエは表向きには性格も口も悪いかもしれない。だが、本当の彼女は心優しい人だと知っている。だからジャレッドもまた公爵ほどではないが、オリヴィエを悪く言ったエミーリアに怒りを抱いていた。
もっとも、彼女と少し関われば自己中心的な人物であるとわかるので、下手に反論するのは無駄だと察して黙っていた。だが、公爵が叱らなければどこまで我慢できていたか自信がない。
エミーリアが部屋をあとにして、足音が完全に消えると、公爵が盛大にため息を吐きだした。
「娘がすまない。不愉快だっただろう」
「いえ、お気になさらず」
「……そう言ってくれると助かる。コンラートに会うのは今度にしよう。残念だが、今息子に会えばまた娘がやってくる可能性が高い。エミーリアはわがままなので、あまり懲りるということしないのだ。私は口を酸っぱくして注意しているのだが、母親が甘くてな――いや、すまない。君にこんな愚痴を言ってしまうとは」
額に手を当てて、再びため息をつく公爵にジャレッドはかける言葉見つからない。
まだ成人していない子供であるジャレッドが慰めの声をかけても無礼に当たると思った。
とはいえ、公爵が娘たちに苦労していることだけはよくわかった。
「ご子息に一度お会いしたいとお伝えください。その上で、お任せしますので、日にちをお決めください」
「感謝するよ、ジャレッド。先ほども、私のために嘘をついてくれたな。気をつかわせて、すまないと思う。オリヴィエたちのことだけでも大変だというのに、息子まで――私は君が優しいことをいいことに甘えていたようだ。反省している」
「先ほど、エミーリアさまに言った通り、ご子息に興味があるのも事実です。ですから、こちらからお願いします。是非、会わせてください」
「ジャレッド……そう言ってくれるか。本当に感謝する。私はダウム男爵だけではなく、君にも世話になってしまうな」
申し訳なさそうな顔をする公爵を見て、祖父とどのような関係だったのか気になってしまった。
色々と知らないことが多いとジャレッドは痛感する。今までは、どうせ貴族でなくなるからと関わらないようにしていたが、これからはそうもいかない。
守るべきオリヴィエたちがいて、目指すべき宮廷魔術師という目標がある。これからは嫌でも貴族と関わっていかなければならないのだ。
今さら貴族らしく振る舞うつもりは毛頭ないが、知り合った人たちに恥を掻かせないように気を付けなければいけないと思う。
そのためにも、信頼してくれる公爵に応えようと思うのだった。