16.ジャレッドとデニス.
「……マーフィー殿」
食堂から出てきたジャレッドを待っていたのは、デニス・ベックマンだった。
「カサンドラはひとりです。よければ行ってあげてください」
「……よろしいのですか?」
遠慮があるのだろう。彼はカサンドラの元婚約者だ。今の彼女に駆け寄りたい気持ちがあるはずにもかかわらず、婚約者を失ったジャレッドを気遣っている。
「どうぞ。もうあの女に用はありません。この屋敷でおかしなことをされても困りますから、ついでに見張っていてださい」
「感謝いたします」
「やめてくださいよ、お礼なんて。別に俺は」
「そして謝罪いたします」
「謝罪? どうして?」
謝られる理由がわからなかったジャレッドがつい首をかしげると、デニスは深々と腰を折った。
「私はジャレッド殿をお助けすべく王都に戻ってきました。ですが、結果的には敵対してしまった。申し訳ございません」
「ああ、そんなことですか。謝る必要なんてありませんよ。元婚約者なら守りたかったんですよね」
正直言うと、デニスがカサンドラの婚約者だったということには驚いている。
彼が元婚約者を守ったことに怒りはない。無論、あのときは邪魔されたという憤りがあった。もしかしたらオリヴィエが帰ってきていたかもしれないという考えもないわけではない。
しかし、それ以上に羨ましい。ジャレッドはオリヴィエを失ったが、デニスはカサンドラを守れたのだから。
「……ですが」
「いいんです。俺もあのときはどうかしていました。カサンドラを殺してオリヴィエさまが戻ってくる確証もなかったですし、そんな取り戻し方をしてもあの人は喜ばなかったと思いますから」
取り戻せなかった強がりでない。もちろん、カサンドラを殺して本当にオリヴィエが戻ってくるのならどんなことをしてでも成し遂げた。今だってそれは同じだ。だが、口にしたようにオリヴィエが喜ぶはずはないともわかっている。
それでもオリヴィエにそばにいて欲しかったのは、ジャレッドの嘘偽りない気持ちだ。
「俺がこんなことをいう筋合いはないのかもしれませんけど、言わせてください」
「お聞きします」
「カサンドラ・ハーゲンドルフは自分にはなにもないとふざけたことを言っています。ラスムスが必死で彼女のために駆け回ったのに、あなたがずっと気にかけていたのに、クラウェンスさんだっているのに……あの女には必要なものが揃っている。欲しているものがそばにある。それを気づかせてあげてほしいんです」
育った境遇には同情しよう。母を失い途方に暮れていたのも、兄弟仲が悪かったのも、かわいそうだと思う。だが、たったそれだけのことで自棄になったとしか思えないカサンドラの生き様は共感も理解もできなかった。
例えば、自分が幸せになるために誰かの犠牲を強いたのであればまだわかる。他人を蹴落としても幸せになりたいというのが人間だ。共感することはできないだろうが、まあ理解はできただろう。
だが、会ったこともない見知らぬ先祖のために人生を犠牲に、他人を巻き込んだ彼女の感情ははっきりいって理解の範疇の外にある。いや、違う。理解などしたくない。
もう二度とそんなことをしないようにするためにはどうすればいい。簡単だ。身近に愛してくれる人がいるのだと知ればいい。自分が愛せる人たちがいるのだとわかればいい。そうすれば、見知らぬ先祖に縋ったりしないはずだ。万が一、それでも始祖を一番に思うというのなら、改めて敵になるだけだ。
「俺は少し屋敷を離れます。もしかしたら始祖が戻ってくるまで俺も戻ってこないかも知れませんけど、気にしないでください」
「ジャレッド殿、いったいなにをするつもりですか?」
「カサンドラは俺じゃあ始祖に勝てないといいました。だけど俺は始祖を倒さなくちゃいけません。だから、力を十全出せるようにしてきます」
「ならば、ジャレッド殿がご不在の間、このお屋敷をお守りしましょう」
「……頼みます。別にカサンドラもいてくれて構わないので、お願いします」
軽く頭を下げたジャレッドはデニスに背を向けて足を進める。
そんな少年の背中に、宮廷魔術師第一席は再び深々と頭を下げたのだった。




