6.ジャレッド・マーフィーの新生活3.
「急に呼んでしまってすまなかったね」
「いえ、お気になさらず」
アルウェイ公爵家に招かれたジャレッドは、屋敷の門番に声をかけると、すんなり公爵と面会することになった。
公爵の執務室に通されたジャレッドは公爵自ら用意してくれた紅茶に口をつけながら、テーブルをはさんでソファーに腰をかけていた。
「あの、それでお話とは?」
正直、公爵と二人きりというのはどうしても緊張してしまう。
今まで男爵家の一員として育てられてきたが、どうせ成人するまでだと貴族としては手を抜いて生きてきた。催し物に参加したことも、ダウム男爵家と友好関係がある家のパーティーにも出席したこともない。
そんなジャレッドが、いくら祖父と友好があり、婚約者であるオリヴィエの父親とはいえ、公爵という肩書を持つ国の重鎮と一対一というのは気まずい。
親子ほど年の離れた公爵と、どう会話をしていいのかも困ってしまう。
じっと言葉を待っていると、気まずそうに公爵が口を開く。
「オリヴィエから聞いているかもしれないが、手紙をもらったんだよ。君のおかげであの子もあの子なりに私とやり直そうと努力してくれている。親子の関係は正直諦めていたので、これほど嬉しいことはないんだ。しかし――」
なにか、問題があったのかと、ジャレッドは身構えた。
「歩み寄ろうとしてくれるオリヴィエに今までが今までだったので、どう返事を書いていいのかわからないんだ!」
「…………ッ」
思いきり歯を食いしばり、ジャレッドは耐えた。
もし、耐えきれなかったらきっと立場など気にせず言い放っていただろう。
――知るか! と。
本当に魔術師でよかったと心底思う。予期せぬことに対応してきた経験が、ジャレッドに目上の人間につっこみすることを回避させてくれた。
気持ちはわからなくもない。だが、娘の相談をするのに自分を選択したのは、正直間違いではないかと公爵の判断を疑う。
こういうことは同じくらいの娘を持つ人としてほしいと願うジャレッドは悪くないだろう。
「私では役に立たないと思いますが」
「そんなことはない。今まで頑なに他人を拒絶していたオリヴィエが心を開いた稀有な存在がジャレッド、君だ。だからこそ、私のことも助けてくれ!」
勘弁してほしい、と思ってしまった。
許されるのならば窓を突き破って逃げ出したい衝動に駆られるが、ジャレッドだってオリヴィエとアルウェイ公爵の仲が改善されることを望んでいる。ゆえに、
「公爵がそう言ってくださるなら俺でよければぜひ。微力ながら力になります」
「おおっ、そうか! すまない、ありがとう。ジャレッドが相談に乗ってくれれば百人力だ!」
これほど先行きが不安になったことは初めてだと、公爵に気づかれないように痛みだした胃を押さえながら、必死で笑顔をつくる。
娘に嫌われたくない父親であることを隠そうとしない公爵に付きあいながら、午前中いっぱいをオリヴィエへの手紙の返事を考えることに費やした。
色々と遠回しな言葉を選ぼうとする公爵に、素直になりましょうと控えめに言い続けるのはものすごく疲れた。
戦ってもいないのに心身ともに疲弊した代わりに、公爵は満足いく手紙を書き終えて喜んでいた。
是非とも早い和解をしてほしい。オリヴィエとアルウェイ公爵のためもあるが、この不器用な親子に巻き込まれるだろう自分のためにも切に願うのだった。
「助かったよ、ジャレッド。君のおかげでオリヴィエに伝えたいことをしっかり書くことができたよ。感謝している」
「お役に立てたのならなによりです」
「――おっと、気づけばもう昼だね。君さえよければ、昼食の支度をさせるが?」
「お気持ちだけで結構です。午後から学園に顔を出そうと思っていますので」
「そうか? 義理の息子となる君と食事をしたかったのだが、まあ、急だったからしかたがないね。今度機会をつくろう」
「楽しみにしています」
義理の息子と呼ばれるのは、少し気が早い気がするが、純粋にオリヴィエの結婚相手として好意的に接してくれる公爵にジャレッドは嬉しくなる。
アルウェイ公爵が身分で態度を変えるような人物ではないことは知っていたつもりだったが、こうして自分にも本当に分け隔てなく接してくれるのだから、頭が下がる。
いくら同じ貴族でも男爵家の人間と、公爵家の当主では雲泥の差がある。他の公爵ならば、ジャレッドをいいように利用しても、アルウェイ公爵のように親し気に接してはくれないだろう。
「そうだ、オリヴィエのことばかりを考えていたせいで伝え忘れていたんだが、あのプファイルという少年が目を覚ましたよ」
「――そうですか。なにか喋りましたか?」
「いや、まずは傷を癒すことに専念させているよ」
「まだ、命の危険がありますか?」
「君と戦った直後は、君と同じように死にかけていたが、今は持ちなおしているよ。ただ、傷の具合でいえば重傷だったため大事をとらせているんだよ」
暗殺組織ヴァールトイフェルの暗殺者であるプファイルは、ジャレッドに倒されアルウェイ公爵家の手のものに捕縛されたときには重傷だった。ジャレッドもそうだが、二人そろって命の危機だったのだ。
公爵家お抱えの医者と医療魔術師のおかげで助かったものの、大地の刃と化した波に体中を斬り裂かれたプファイルは想像以上に傷を負っており、ジャレッドに比べて回復は遅かったらしい。
公爵がどこまでプファイルから情報を引きだすつもりなのかわからないが、おそらく尋問が待っているはずだ。拷問まではしないだろうが、公爵の妻と娘を狙ったのだから手加減はないだろう。
だが、公爵も内心は複雑なはずだ。大切な妻と娘を狙うように依頼したのもまた公爵の妻の誰かなのだから。
同時にジャレッドはプファイルの身も案じずにはいられない。プファイルはアルウェイ公爵家の人間が依頼主だと言っている。名こそ知らなかったが、顔を見ればわかるはずだ。そうなれば依頼した側室も黙ってはいないだろう。口封じに動く可能性だってある。
もっともあのプファイルが、簡単に殺されるとは思っていないが、危険があることには違いない。
もしかすると、プファイルが捕まったことを知った側室の誰かが、暴走する可能性だってあるのだ。その結果、オリヴィエとハンネローネになにかあってはたまったものではない。
「ジャレッドに聞きたいが、彼は喋ると思うかな?」
「いいえ、思いません」
「私も同感だ」
即答したジャレッドと同意見のようで、公爵も頷く。
「プファイルは、仮にもヴァールトイフェルの暗殺者です。尋問対策をしていると考えていてもいいでしょう」
「だが、君には情報を明かした」
「ほとんど役に立たない情報でしたが……」
「いや、そうでもない」
思わずジャレッドが息を飲む。
まさか、と公爵の顔に視線を向けると、深くうなずかれた。
「私の側室で金髪にヒステリックな一面を持つ者は二人だけだ。もちろん、たったそれだけで決めつけるつもりはないが、私自身が以前から怪しんでいた二人とできすぎているほどに合致する。はっきりした証拠がないのが残念だがね」
「なら、プファイルをその側室のどちらかと会わせればいいのではないでしょうか?」
顔を合わせたことがあるプファイルならば、会えばすぐに答えがでるはずだ。
しかし、ジャレッドの提案に公爵は苦い顔をして首を横に振った。
「なにか問題でも?」
「もちろん私も彼と側室を会せることを考えた。しかし、彼はおそらく私の言うことなど聞かないだろう。彼は目を覚ましてから一度もなにも喋らない。それどころか、飲まず食わずだ。一日中眠ってばかりで、目を覚ましたところに声をかけても相手にされない」
「なら、どうして俺には情報を?」
「それは君が勝者だからだよ」
公爵の言葉に、ハッとジャレッドは思いだす。プファイルはヴァールトイフェルは強さこそすべてだと言っていた。その言葉通りなら、プファイルに勝利したジャレッドに情報を明かした理由も納得できる。
あまり役に立たないと思われた情報だったが、プファイルはプファイルなりに約束を守ったのだとわかった。
「俺とプファイルを会わせてくれませんか?」
「それは、構わないが……」
「もし公爵の言う通り、俺が勝者だからこそプファイルが情報を明かしたというのなら、会話もするはずです。俺から公爵のお考えになっているように面通しをするように言います」
「君に迷惑ばかりかけてしまってすまない。だが、本当に助かる。ありがとう」
公爵はジャレッドの手を取り、深く感謝の言葉を伝えた。