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この度、公爵家の令嬢の婚約者となりました。しかし、噂では性格が悪く、十歳も年上です。  作者: 飯田栄静@市村鉄之助
十章

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4.始祖復活1.




 伸ばしたジャレッドの手は、見えない何かによって弾かれてしまった。イェニーの悲鳴が響く。


「お兄さま! 血が!」

「――っ、なんだっていうんだ!」


 爪が割れ、血が流れている。それだけの衝撃が襲ったのだ。不用意に近づくことは賢明ではないが、少年は婚約者のためにじっとしていることなどできない。再び彼女に向かって手を伸ばそうとする。が、


「やめるんだ、ジャレッドくん。もう遅い」

「ラスムス! 離せ!」


 腕をラスムスによって掴まれてしまい、動きが遅れてしまう。そのわずかな間に、オリヴィエを包む光が強くなっていく。


「ジャレッド!」

「オリヴィエさま! 待っていてください、今なんとかしますから!」

「いいの! なにもしないでちょうだい!」

「どういう意味ですか!?」


 突然の拒絶に、驚きの声をあげる少年に婚約者はこの状況下で勤めて落ち着きのある声を発した。


「わたくしにはわかるわ。ものすごい力が、わたくしの中にあるの。でもその力がすべて、違う誰かに奪われていく。そんな感覚が……正直、怖い。でも、それ以上に安心感を覚えてしまうわ」

「……なにを、言っているんですか?」

「ねえ、聞いて。わたくしたちは、カサンドラさまに遅れをとったのでしょうね。悔しいけど、こうなってしまったらしかたがないわ」

「諦めるのが早すぎます! まだです! なんとか、俺がなんとかしてみますから!」

「無理よ。できないわ。わたくしにはわかる。わかってしまうの。だからね、ジャレッド、お願いがあるの。聞いてちょうだい」


 オリヴィエの訴えに、ジャレッドは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。嫌な予感しかしない。この状況で、一体なにを言おうというのか。


「とても嫌なことを言うわ。きっとあなたの心を傷つけてしまうでしょう。でも、わたくしの望みはただひとつよ。――始祖が復活するのなら、わたくしごと殺してちょうだい」

「な、なんてことを……オリヴィエ! 自分がなにを言っているのかわかっているのか!?」


 驚愕と怒りを込めてジャレッドが叫ぶが、婚約者は優しく微笑むだけだった。


「あなたには酷なお願いをしてしまうわね。でもね、わたくしの婚約者だというのなら、わたくしの肉体を奪い利用するような辱めを許さないでちょうだい」

「……そんな」

「できることなら、あなたと結婚したかったわ。きっと幸せになれたでしょう。だって、今だって十分すぎるほど幸せなのだから」

「……やめて、やめてください」

「子供は三人欲しかったわ。お母さまやお父さま、みんなに愛される我が子の成長を見たかったわ」

「なら! 諦めるなよ!」

「諦めたわけではないのよ。これはね、わたくしの生きている理由だったかもしれないわ。ずっと母のために戦い、ジャレッドと出会い、色々なことがあったけど、ウェザード王国の貴族として始祖なんかに負けたりしたくないの」


 ジャレッドは思考を回転させて、この状況を打開できる手段を探す。しかし、少年の知る魔術も、なにもかも戦闘ばかりで、古の始祖への対策などなにもない。

 一抹の希望を込めてラスムスを見るが、彼は申し訳なさそうな顔をして首を横に振るだけだった。


「オリヴィエ、頼む、俺をひとりにしないでくれ。君がいなければ、俺は何も出来ないんだ。最近じゃ、夜だって1人で眠れやしないんだぞ」

「……ふふっ、困った子ね」

「お姉さま……どうか諦めないでください……」

「ごめんなさいイェニー。わたくしの可愛い、もうひとりの妹。あなたにまで悲しい思いをさせてしまうわね。ジャレッドのことお願いね」

「……そんな」


 呆然としていた妹分に別れを告げると、死を覚悟したオリヴィエは気高く微笑んだ。


「ジャレッド・マーフィー、わたくしの愛しい愛しい婚約者。どうかわたくしのことなど忘れて、新しい誰かを愛してちょうだい」


 それが別れの言葉だった。


「オリヴィエ!」


 ジャレッドの叫びが木霊する中、ついに光がオリヴィエを包み込んで姿を隠してしまう。血が流れる手を必死に伸ばし、爪がはじけ飛ぼうと気にすることなく彼女を求める。


「やめるんだ、ジャレッドくん! このままだと腕まで持っていかれてしまう!」

「離せ!」

「すまないができない! 始祖はもう復活する。今、なにをしても無駄なんだ!」

「ちくしょうっ、オリヴィエさまぁああああああ!」


 涙を流し、慟哭するジャレッドに、ラスムスもまた悲痛な表情を浮かべていた。始祖を倒したい彼だって、こんな展開は望んでいなかった。なによりもこの事態を引き起こしたのは、妹同然に可愛がっていたカサンドラなのだから。


「……オリヴィエお姉さま……そんな……こんなことって……っ」


 イェニーが大粒の涙をこぼし、地面に崩れ落ちる。ジャレッドもまた力なく尻餅をつき、力なく天まで届く光の柱を眺めていた。

 すると、


「ジャレッドくん……こんな状況だがすまない。くるよ」


 光が弱まり、中から人影が見えるようになる。オリヴィエの姿形とは違うことはすぐわかった。愛する人の姿くらい、見分けられる。


「……ああ……ようやくだ。長い長い時間を経て、ようやく私は復活した」


 ついに光が収まり、亜麻色の髪をセミロングにした女性が現れた。年齢は十八くらいだろうか。ウェザード王国の人間とは人種が違う。遠方にある東方の血を引いている人たちと似通っているのがわかった。始祖と呼ばれている人物とは思えない、ごく普通の女性だった。まだ幼さを少し残し、わずかに疲れている様子が伺える、そんな人だ。


「……あなたが、始祖」


 ラスムスのつぶやきに、彼女はにっこりと笑った。


「うん? ああ、君は私の子孫だね。つまり、君が私を復活させてくれたのかな? お礼を言うね、どうもありがとう」


 伝説の始祖ユナ・ミハラサキが復活した瞬間だった。





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