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この度、公爵家の令嬢の婚約者となりました。しかし、噂では性格が悪く、十歳も年上です。  作者: 飯田栄静@市村鉄之助
十章

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0.prologue.婚約者の危機.




 阿呆な人間はどこにでもいるものだ、とジャレッド・マーフィーは思った。

 眼前には、ロープで縛られた中年の女性貴族。綺麗なドレスときらびやかな宝石こそ身につけているが、少年の目には女性は醜悪にしか映らない。


「わたくしにこのようなことをして、楽に死ねると思わないことね! お父様にお願いしてお前たちを苦しめてから殺してやるから!」


 三流以下の悪党の台詞を吐き続けるのは、リカルド・ハーゲンドルフの母親、カタリナ・ハーゲンドルフだった。


「……まさか母が」


 絶句しているのは息子のリカルドだ。

 夜も更けた頃、新たな刺客を引き連れてカタリナは自ら乗り込んできたのだ。散々失敗を重ねているのに、よくも堂々と真正面から乗り込んでこられたものだと、その度胸につい感心してしまった。

 言うまでもなく侵入者は宮廷魔術師と元宮廷魔術師によって簡単に無力化された。そして、鬱陶しく喚くカタリナが残されたのだ。


「カタリナ様、どうして貴方が直接乗り込んでこられたのですか? そうまでしてご子息を亡き者にしたかったのですか?」

「クラウェンス! あなたねぇっ、ハーゲンドルフ家に仕える身でありながら、このわたくしにこんなことをして許されると思っているの!?」

「……わたくしの主人はカサンドラ様だけです。誰であろうと、主人の屋敷に不法侵入した人間は捕らえるだけです」


 かつては公爵夫人だったとは思えないほど顔を歪めて唾を飛ばすカタリナに、静かに老メイドは返事をした。通じないと判断したのか、元公爵夫人は、視線をデニス・ベックマンに移した。


「貴方のことは知っているわ。宮廷魔術師第一席でしょう! 国王の懐刀なんて言われていても、所詮は伯爵じゃない! ほら、はやくわたくしを自由にして、そこにいる不出来な愚息の首を刎ねなさい!」

「……あなたは」

「そうすればこの狼藉を見逃してあげるわ! いくら国王が気に入っていようと、伯爵がわたくしに逆らえるはずないでしょ!」


 つくづく馬鹿な女だと思いながら、彼女の視界に入らないように気配を消して数歩横に動く。

 デニスが宮廷魔術師だとカタリナが知っていることには驚いたが、まさか自分と彼を比べた挙句、自分のほうが価値があると言い出すとは思いもしなかった。


 貴族だろうと何だろうと、殺人は重罪だ。お家争いは良くあることだし、貴族が誰かを殺めることも珍しくない。だが、それは証拠を残さずにやっているから捕まらないのだ。ここに殺人未遂の目撃者がいて、二人は宮廷魔術師、一人は元宮廷魔術師、最後は狙われた張本人で前ハーゲンドルフ公爵の長男だ。


 どれだけカタリナが騒ごうと、実家が高い爵位を持つ貴族だろうと守りきれないだろう。彼女の実家も、宮廷魔術師を敵に回すことはしたくないはずだ。

 デニスは国王の懐刀であると同時に、魔術師協会の会長。ジャレッドは、婚約者がアルウェイ公爵家の長女であり、建国から存在するダウム男爵家の出身でもある。そこへ、元宮廷魔術師がいるのだ。


 政治的にはさておき、戦力的には間違いなく敵うはずがない。

 それを理解していないカタリナは、きっと蝶よ花よと大事に育てられた世間知らずなのか、それともただの馬鹿のどちらかか。


「おのれ……どいつもこいつもわたくしをないがしろにして……カサンドラが王都で嫁き遅れと二人で会うみたいだからこの屋敷が手薄だと思っていたのに」

「ちょっと待て」


 誰にも相手にされず、唇を噛み始めたカタリナの言葉にジャレッドが反応した。

 久しぶりに聞いた「嫁き遅れ」という単語。失礼ながら、まず自分の婚約者が脳裏に浮かんだ。なによりも、少年が知る限り、カサンドラと会うような「嫁き遅れ」はオリヴィエしかいない。


「カタリナさま」

「な、なによ」

「俺はあなたがなにかを企んでいても正直あまり興味がないんです。でもね――」


 ジャレッドはゆっくりとカタリナの小指を握った。


「婚約者のことになると話は別です。俺の最愛の人がどうしましたか? カサンドラ・ハーゲンドルフ公爵はオリヴィエ・アルウェイさまと会おうとしているのですか?」

「な、なによ、どうしてあなたなんかにそんなことを言わなければならないの!」

「言ったほうが身のためです。小指を折られたくないでしょう」

「で、できるものならやってみなさい!」


 少年は、騒ぐ元公爵夫人の息子に目を合わせた。彼は苦い顔をしたが、今のジャレッドの心情を把握してくれたのか、一度だけ小さくうなずいた。


「感謝します、リカルドさま。もう一度だけ聞きますね、カタリナさま。ハーゲンドルフ公爵はオリヴィエ・アルウェイさまと会うつもりなのですか?」

「言うものですか! あとね、そのハーゲンドルフ公爵って言い方をやめてくれないかしら。わたくしが認めている公爵は、わたくしの夫だけぎゃあぁあああああああああっ!?」


 夫人は言葉を最後まで発することはできなかった。強がりを混ぜながらも、なんとか優位に立とうと情報を漏らさなかった結果、ジャレッドによって小指がへし折られたからだ。


「いたぃっ、いたいっ……やめて、おねがい、もうやめて」

「もう一度、聞きます。ハーゲンドルフ公爵は、俺の婚約者オリヴィエ・アルウェイと会うつもりなのですか?」

「痛くしないでっ、お願いっ、話すから!」

「じゃあ、早くしたほうがいいですよ。手の指はあと九本もあるんですから」

「――ひぃっ」


 少年が本気であることを察したのか、それとも指を折られた恐怖からか、夫人の下半身にシミが広がっていく。

 失禁したことを隠そうともせず、元公爵夫人はジャレッドに怯えたまま、自分の知るすべての情報を吐き出した。




 次の瞬間、少年は、この場にいる面々に小さく断りを入れると、王都に向かって走り出したのだった。





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