5.ジャレッド・マーフィーの新生活2.
「ジャレッド様、お待ちください」
学園に向かうため制服を着こんだジャレッドだったが、屋敷をでるまえにトレーネに引き留められた。
「えっと、どうかした?」
「アルウェイ公爵様からお手紙が届いています」
「こんな朝から? なにかあったのかな」
深刻な内容でなければいいと思いながら、手紙を開封して中身を確認する。
達筆な文字で、朝の挨拶と、回復したことへの祝いの言葉。そして、可能なら今日会いたいというものだった。
会ってどうしたいのかまでは書かれていない。もしかしたら、文字として残したくなかったのかもしれない。
可能なら、と書いてあるので急ぎではないと思うが、学園はあとでいけばいいと判断する。
「どうかなされましたか?」
「今日、アルウェイ公爵と会うことになった」
「なにかあったのでしょうか?」
トレーネもジャレッドと同じように公爵から連絡があったことで警戒してしまったようだ。
そんな彼女に、心配ないと伝えると、わずかに安堵した様子を見せた。相変わらず無表情だが、ふとした仕草で感情が少しずつ読めるようになってきた。一週間、オリヴィエと一緒に世話をしてくれたので、接する時間が長かったおかげだろう。
特別お互いのことを知りあえたわけではないが、距離が縮まったとジャレッドは思っている。
「急ぎじゃないみたいだし、オリヴィエさまたちに関することでなにかあったわけじゃないとは思うけど、万が一なにかあったら至急連絡するよ」
「お願いします。連絡してくださるのは助かりますが、ジャレッド様は使い魔をお持ちでしょうか?」
「……使い魔はいないんだよね。使役系の魔術はまったく駄目なんだ。俺はどちらかと言えば、干渉と精霊魔術、精製と操作、放出系が得意なんだ」
魔術師にそれぞれ属性魔術があるように、属性魔術も細かくわかれる。
例えば、ジャレッドが度々行う、魔力を精霊たちに捧げ干渉することで力を借りる魔術を『精霊魔術』、または『干渉魔術』と呼ぶ。さらに、精霊の力を借りた場合だろうと、己の力だろうとかかわらず、直接炎などを放つ魔術を『放出系魔術』と呼び、槍を作ったりするのは『精製魔術』、それらを操るものを『操作魔術』と呼ぶ。
どの魔術を行使するべきかといちいち意識を切り替える必要はないが、ほとんどの魔術師が無意識下に様々な魔術を行っている。
属性魔術は、あくまでも魔術師の属性でしかないのだ。
トレーネに問われた使い魔関連は『使役魔術』に当たる。使役魔術は生き物や、魔獣を使役することができる魔術を指す。属性の相性も必要なのだが、使役魔術の素質がなければ使い魔を得ることはできない。
「ジャレッド様は、大地属性という稀有な属性魔術師ですが、さすがに使役魔術は使えないのですね」
「残念ながらね」
ジャレッド自身、現状の魔術師としての素質に不満はないので、使役魔術の素質までほしいとは思わない。便利だと思うが、すでに大地属性魔術師として学ぶことが多いので、他に手を出している余裕がないのが本音だった。
使役魔術の素質を持つ者も少なく、小鳥一羽を使役できるだけでも情報伝達が可能であるため好条件で求められることがある。ジャレッドが知る使役魔術の素質を持つ魔術師は数える程度しかいない。
「私は一応、使い魔がいますが、その、あまり使いこなせていません。もっと魔術の訓練ができればいいのですが……」
「へえ、トレーネは使役魔術を使えるんだ? 凄いな。そっか、でも使いこなせないなら訓練はしないと。基礎訓練とかしてる?」
「基礎訓練ですか?」
「自分の魔力をしっかり感じ取ることからはじめる魔術の初歩訓練なんだけど、寝る前にやるだけでも違うよ」
「その、もし、よろしければ教えていただけませんか?」
「――え、俺が?」
まさか教えを請われるとは思わず、つい驚き、聞き返してしまう。
しかし、トレーネは真面目な視線を向け、頷く。
まだ魔術師として成長過程である自分が誰かに教えることなど、おこがましいと思えてならない。そもそも人になにかを教えるのは得意じゃないのだ。
「わたしの魔術が今よりも成長すれば、オリヴィエ様とハンネローネ様たちをお守りする手段が増えます」
返事に迷うジャレッドに、トレーネが畳みかける。
うぐっ、とジャレッドは言葉に詰まってしまった。彼女の言う通りなので、反論しようがない。
「はぁ。わかったよ。教えればいいんだろ」
「ありがとうございます」
教えることは苦手でも嫌いではないので渋々頷く。
誰かになにかを教えるということは、自分の一部を必然と教えてしまうこともあるため危険が伴うが、トレーネならば心配はないと思えた。
「でも、どうして今まで誰にも師事しなかったんだ? 学園に通わなくても、魔術師の私塾はどこにだってあるし、魔術師協会に頼めば誰かしら紹介してくれるはずなんだけど」
そもそもジャレッドはトレーネの魔術属性さえ知らないのだ。魔術における基礎を教えることができても、その続きまで考えるなら師を探した方が効率のよい伸び方をするはずだ。
無論、デメリットもある。師弟関係ができ、弟子は師匠に手札をさらすことになってしまう。魔術師協会の仲介を頼めば、基礎だけを教えてくれる魔術師も多々いるが、結局その後は独自で学ばなければならない。
「時間がなかったこともそうなのですが、信頼できる方を探すことができませんでしたので、魔術に関しては基本的なことを独学で勉強して、力押しだけでやってきました」
「そう、だったな。ごめん。信頼できる魔術師を探すのが一番大変だよね」
「ですから信頼できるジャレッド様にお教えいただきたいのです」
「わかったよ。俺でよければ」
「お手数ですが、お願いします」
「だけど、基礎だけだ。あまり誰かになにかを教えるのは得意じゃないんだ。魔術を自分のものにしたいなら、やはり自分で訓練を続けないといけないんだ」
結局、素晴らしい師匠と出会うことができても、どれだけ魔術師としての才能があったとしても、己が努力しなければ意味がない。
事実、才能がなくても努力すれば実ることも珍しくないのだから。
「わかっています。ところで、ジャレッド様は誰かに師事したのですか?」
「俺? ――えっと、独学ってことでお願い」
「……わかりました。そういうことにしておきます」
自身のことをはぐらかしたジャレッドにトレーネはなにも聞かなかった。追及されないことをわずかに安堵しているジャレッドの様子を目にして、なにか隠したい過去があるのだとトレーネは思う。
誰にも詮索されたくない過去があることはわかっている。ジャレッドに関しては、オリヴィエたちの状況もあって調べられるだけ調べてある。そのことに対して悪いと思っているし、命じたオリヴィエも罪悪感を抱えている。
調べた結果、ジャレッドの経歴に空白があるのも確かだった。空白期にジャレッドがどこでなにをしていたのか期間が短かったこともあり、知ることはできなかった。
現在は、ジャレッドが信用できる人物だとわかっているので調査は行われていない。だが、ジャレッドの空白期になにがあったのかオリヴィエはもちろんトレーネも知りたいと思っている。
「ジャレッド様」
「なに?」
「いつかお話してくださると信じています。オリヴィエ様も、ご自身のことを明かしてくださらないジャレッド様に寂しさを感じておりました」
「そっか。覚えておくよ」
オリヴィエが自分のことを知りたがっていることはわかっていた。信頼できる人間ができたため、その人のことを知りたいという気持ちは理解できる。多くを知ることでもっと安心ができるからだ。
しかし、ジャレッドには躊躇いがあった。
隠し続けることではないが、明かせば彼女からの自分を見る目が変わってしまうのではないかと思ってしまうのだ。
――ま、俺が勝手に怖がっているだけか。
心底自分のことを情けないと思いながら、屋敷の外へ足を向けるジャレッド。途中、トレーネから馬車を用意すると言われたが、少し考えごとをしたかったので歩いていくと伝えた。
トレーネに見送られながら、ジャレッドはアルウェイ公爵家に向かった。