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2.オリヴィエ・アルウェイの危機? 1.


 オリヴィエ・アルウェイは、来訪者と対面して微笑んでいた。


「この度はわたしとお会いしてくださり感謝しています、オリヴィエさま」


 来訪者の名はイェニー・ダウム。ダウム男爵家の次女であり、ジャレッド・マーフィーの従姉妹にあたる。

 そして、もしもオリヴィエが婚約者とならなければ、ダウム男爵家をジャレッドに継がせるために婚約者となっていた可能性が高い少女だった。

 まだ十四歳と幼さを残している。亜麻色の直毛を肩のあたりで切りそろえた、愛らしい容姿を持つイェニーは、長年他人を信用せず関わらせなかったオリヴィエでさえ抱きしめて頬ずりをしたくなるほど、かわいかった。


「構わないわ。ジャレッドの従姉妹ならわたくしにとっても家族と言っていいのよ。遠慮などしないでね」


 精一杯気を使った言葉なのだが、イェニーがわずかに表情を変化させた。

 おや、とオリヴィエは内心首を傾げた。

 もしかすると、この可愛らしい来訪者はジャレッドのことが好きなのではないかと、二十六年間あまり役に立ったことのない女の勘がそんなことを思う。

 同時に、ジャレッドが屋敷にいなくてよかったと心底思った。

 ジャレッドが怪我を負い、療養をして一週間が経った。魔術師というのは少しでも回復するとじっとしていられないのか、日課の鍛錬がしたいと言い出すわ、こっそり抜け出そうとするわと手のかかる子供を相手にしている気分だった。

 暗殺者を相手に死闘を繰り広げた人物だとは到底思えなかったが、日常でピリピリされるよりはいいと思っていた。なによりも、つきっきりで異性の面倒を見ることは新鮮で、内心少しだけ――いや、かなり心が躍ったのはオリヴィエだけの秘密だ。

 そんなジャレッドに間違いなく想いを寄せているイェニーがこうしてオリヴィエの前に現れたのはなにかしらの理由があってのはずだ。

 見舞いであればもっと早くきていたはずだし、ダウム男爵だけが一度訪ねてきたが、家族がおしかけないよう言い聞かせてあると言われたので、今さら見舞いはないだろう。

 ならばどのような理由で――と、考えれば、答えは簡単だ。ジャレッドに関することだ。

 こういう女同士の会話に男が、しかも当事者が加わればろくなことにならないことはオリヴィエでさえわかっている。

 ジャレッドが悪いとかではなく、誰が悪くなくてもこじれてしまうのだ。男女関係は実に難しく、オリヴィエの知識だって貴族の噂話や母からの話で知っている程度だ。なにせ、男女の関係はジャレッドが初めてなのだから、日々緊張している。


「ジャレッドではなく、わたくしに用があるのよね?」


 小さく頷いたイェニーに、やはり、と直感が正しかったと確信する。同時に、表には決してださないが内心は冷や汗をかいていた。正直、なにを言われるのか予想ができない。

 急に慕っていたジャレッドの婚約者になったことを恨まれているのかもしれないし、別れてほしいと懇願される可能性だってある。

 オリヴィエも、こんなにかわいい子がジャレッドのことを想っていたと出会った当時に知っていればなんとしてもジャレッドと距離を縮めようとは思わなかったはずだ。しかし、もう遅い。

 本人には恥ずかしくて死んでも口にできないが――オリヴィエ・アルウェイはジャレッド・マーフィーがいなければ駄目なのだ。

 簡単な女だと自分でも呆れてしまうが、悪評高く、悪い噂ばかりで、口を開けば気の利いた台詞ではなく無理難題とわがままばかり。さらには、側室から命を狙われている母親もいるのだ。普通なら関わり合いになりたくないはずだ。

 しかし、ジャレッドは違った。巻き込んでくれて構わないと言ってくれた。死にそうな目に遭っても、大陸一の暗殺組織ヴァールトイフェルから守り抜いてくれた。根本的な解決は無理だったが、オリヴィエがどんなにジャレッドに感謝しているか本人は知らないだろう。

 オリヴィエだけではない。母ハンネローネも、トレーネもジャレッドには感謝しているのだ。

 今さら、実は婚約者でしたという人物が現れたとしても、ジャレッドを想っていると言われても、オリヴィエはジャレッドを放したくない。

 同時に、彼の親族であり、彼を慕う少女を悲しませたくないとも思ってしまう。

 静かにイェニーの言葉を待っていたオリヴィエに、意を決して小さな唇が開かれる。


「オリヴィエさまにお願いがあってまいりました」

「……聞きましょう」

「お兄さまとオリヴィエさまが婚約したことは知っています。貴族でなくなりどこかにいってしまおうとしていたお兄さまを繋ぎとめてくれたことにも感謝しています。ですが、わたしはお兄さまを愛しているんです」

「――っ、そう、なのね。それで、あなたはどうしたいの?」


 ごくり、と唾を飲んだのはどちらだったのだろうか。

 両者ともに緊張しているのは間違いない。


「わたしは、幼いころからずっとお兄さまが好きで、傍にいられるならそれでいいと思っています。そして、その気持ちは今も変わっていません」

「わたくしも、ジャレッドの傍にいたいわ」

「承知しています。わたしはお兄さまとオリヴィエさまの仲を邪魔したいのではないんです」


 あれ、と予想していたことと話が違ってきたとオリヴィエは思う。


「なら、わたくしになにを望むのかしら?」


 オリヴィエに問われ、イェニーは大きく息を吸い込むと、はっきりと言い放った。


「わたしを側室にしてください!」

「――はい?」


 かけらも予想していなかった展開に、オリヴィエはつい間抜けな声をだしてしまう。

 そんなオリヴィエに気付かずイェニーはさらに言葉を重ねていく。


「オリヴィエさまのことを姉と思って接します。言うことも聞きます。ですから、わたしをお傍においてください。こちらのお屋敷では自分のことは自分ですると伺っています。わたしは祖母から一通りの家事は習っていますし、若いから体力もあります」

「――あら、この子、さらっと若いことを主張しなかったかしら?」


 悪意がないと信じたい。十二歳も年齢差があるのだから、若い子から若いなどと言われてしまうと心が怪我をしてしまうのではないかと不安になる。


「少しですが自衛もできます。祖父から剣の手ほどきは受けています。まだ若いので、至らぬところはあるかもしれませんが、どうかお願いします!」

「――やっぱり若いことを主張していないかしら? それともわたくしが気にしすぎ?」


 若さはとにかく、オリヴィエは正々堂々と自分に側室にしてほしいと言ってきたイェニーに好感を抱いていた。

 しようと思えば、ジャレッドに直接言えばいいし、それこそダウム男爵から側室にと口添えをしてもらうことだって可能だ。

 なによりもジャレッドとオリヴィエはまだ婚約者止まりの関係なのだ。正式に結婚すると決めたわけではないので、別の結婚相手がお互いにできる可能性だって皆無ではない。無論、ジャレッド以外などごめんだが、可能性としてはありえない話ではないのだ。

 しかし、イェニーは自分をたてた上で、あくまでも側室でいいと言った。本当なら正室でありたいはずだが、傍にいられるのならそれでいいと言う。なんともいじらしい。


「あなた、どうしてわたくしに直接言いにきたの?」

「お祖父さまとお祖母さまから、オリヴィエさまは仮に側室を認めても気に入らないと駄目だとおっしゃっていたと聞きました。ですから、気に入ってもらおうと直接お話したかったのです」


 若さゆえの行動なのか、すべてが計算なのかまではわからないが、少なくとも好感を持つことができる。


「あなたの行動は自分で考えたの?」

「いいえ、お兄さまとの縁がなかったことを悲しんでいたら、お祖母さまが助言してくださいました。正直、オリヴィエさまとお兄さまを邪魔するようで嫌だったのですが、自分の心に嘘はつけません」

「正直に教えてくれてありがとう。ところで、今回わたくしとこういった話をすることは家の方々はご存知?」

「お祖母さまは知っていますが、お祖父さまは知りません」


 なるほど、とオリヴィエは理解する。

 ジャレッドの祖母は、できることならイェニーとジャレッドの縁を結びたいと考えている。もともと結婚させるつもりであり、なによりもイェニーがジャレッドを慕っているのだから無理もない。

 いきなり婚約者が現れてしまったせいで恋心が破れてしまうのは、オリヴィエからしてもかわいそうだと思う。

 同時に、理由はわからないがダウム男爵夫人は孫を手放したくないと思っているかもしれない。

 ダウム男爵はそこまで考えていないと思われる。その証拠に今回の話はダウム男爵を通さずに行われている。

 オリヴィエは別に公爵家にしがみついているつもりはないので、ジャレッドが予定通り貴族でなくなっても構わない。宮廷魔術師候補になった以上、宮廷魔術師になれば爵位は与えられるので、貴族でいられる可能性だってないわけではない。

 だが、ひとつの選択肢として、ジャレッドがダウム男爵となりオリヴィエが男爵夫人となる未来もあるのだと父に言われていた。当時は、ジャレッドのことは父に巻き込まれてかわいそうにとしか思っていなかったので深くは考えなかったが、ダウム男爵夫人はジャレッドに男爵位を継がせたいと考えている可能性だってある。

 今までの事情からとりあえず疑うことが癖になっているオリヴィエは、ダウム男爵夫人が孫の恋心をただ応援しているだけだとは思えなかった。そうであるならそれでいいのだが、違えば問題になるかもしれない。

 なによりも、このかわいらしい年下の少女のことも、気に入ってもすぐに信用はできない。どこに敵がいるのかわからない日々を過ごしたオリヴィエには、害があるようには見えない少女でさえ疑ってしまう。もしかしたら、なにか企んでいるのではないか、と。

 そんなことを思ってしまう自分がときどき嫌になるが、そうしなければ今まで生きてこられなかった。

 できることならジャレッドの親族とはよい関係でありたいと思う。


「イェニー、わたくしはあなたのことは気に入ったわ。でも、わたくしだけがあなたを側室にすると簡単に返事はできないの。まずダウム男爵に話をしなさい。その上で、改めて話をしましょう。わたくしはあなたのことは嫌いじゃないわ。姉妹になれたら素敵だと思っているのよ」

「……オリヴィエさま」

「ジャレッドにも話しておくから、後日また、ね?」

「……はい。すみませんでした」


 しょんぼりしてしまったイェニーだが、彼女もまさかこの場で承諾をもらえるとは思っていなかったはずだ。


「ほら、そんな暗い顔をしないで。イェニーのことをお母さまに紹介したいわ。テラスでお茶にしましょう。よかったらジャレッドの話を聞かせてくれるかしら?」

「はい、喜んで!」


 笑顔を取り戻したイェニーを連れて、母のもとへ向かう。

 ジャレッドが成人するまで二年を切っているが、それでも時間はある。場合によっては結婚を早めることができるのだが、現状抱えている問題もあるためそれは無理だろうし、するつもりもない。

 それでも、かわいらしい年下の少女の出現に、オリヴィエは危機感を抱かずにはいられなかった。




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