1.ジャレッド・マーフィーの新生活1.
アルウェイ公爵家の別邸を襲った暗殺組織ヴァールトイフェルのプファイルとの戦いから一週間が経った。
ジャレッド・マーフィーはようやく医者の許可を得て、久しぶりに学園に顔をだすことができた。
久しぶりに袖を通した白い制服を懐かしく思う。制服の下に巻かれた包帯がややぎこちなさを感じさせるが、だいぶ回復できたことに体を動かしながら安堵していた。
少し長めの黒髪も炎で焼かれたため、トレーネが簡単にだが散髪してくれたため、だいぶ短くなってしまった。だが、オリヴィエたちには似合っていると好評だったので、今後は少し短めに髪を揃えようと密かに思った。
一週間以上足を運んでいなかった学園を懐かしく思う。今までは学園など、魔術師協会の依頼がない日に時間を潰す程度にしか考えていなかったが、友人たちがいる学園に向かうだけで心が躍り、楽しみだった。
大怪我を負ったジャレッドだったが、アルウェイ公爵家お抱えの医者と医療魔術師の治療を受けたおかげで、想像以上に回復が早かった。強い魔力を持つ魔術師は、魔力を活性化させることで治癒力を高めることができるのだが、それでも驚くべき回復だった。
オリヴィエはもっと安静にしていろと言ってくれたが、まだ住み慣れていない屋敷の部屋で、不相応の豪華なベッドや家具に囲まれた生活はジャレッドの精神を削っていた。文句を言いながらも面倒見のいいオリヴィエや、献身的なトレーネの介護は助かったが、ハンネローネまでが世話をしてくれると言いだしたときには心底驚いた。
仮にも公爵夫人が男爵家の長男の世話をするなど聞いたことがない。丁重にお断りしたが、ものすごく残念そうだったのが印象だった。
幸いと言うべきか、プファイルとの戦い以降、一度も屋敷への襲撃はなかった。
アルウェイ公爵が見舞ってくれたときに話をしたが、影ながら屋敷を守っている者たちの警戒にも引っかかっていないらしい。もしかすると、ハンネローネを狙う側室がヴァールトイフェルと縁を切った可能性もあるとのことだが、確証がないので安心はできない。
ジャレッドという守護者が現れたことで、直接的な行動にためらいが生まれたとも思えた。
それでもまだ気を抜くことはできない。黒幕を暴き出すまで、本当の平和はやってこないのだから。
「マーフィーくん!」
校舎の中を歩いていると、聞き覚えのある懐かしい声が聞こえた。
「クリスタ!」
声の主を探せば、同級生のクリスタ・オーケンが笑顔で走ってくる。彼女の後ろには、友人のラーズと、竜種退治にともに赴いた戦友ラウレンツ・ヘリングと従者のベルタ、クルトのバルトラム兄妹もいた。
「みんな、久しぶりだな! 元気だったか?」
「それはこちらの台詞だぞ、友よ。ラウレンツから竜種退治の一件は聞き、学園に顔を出さないので気になっていたが、まさか怪我を負っていたとは知らなかったぞ。だが、見る限り無事のようで安堵した」
心配してくれたのだろう、ラーズは心底安心した表情を見せてくれた。
「一番心配したのは僕の方だ! 竜種退治が終わればいきなり飛竜で帰ってしまうし、アルウェイ公爵には事情を尋ねられないし、僕がどれだけ内心不安だったかわからないだろ!」
「本当にごめんな、ラウレンツ。落ちついたらちゃんと連絡しようと思ってたんだけど、監視――じゃなかった、看護の目が厳しくてさ」
「どういうことだ?」
「な、なんでもない。忘れて。とにかく、まあ怪我もしたけど元気になったし、俺もホッとしてるよ。心配かけてごめんな」
療養している間に、ラウレンツから代表して手紙が送られてきていた。クリスタをはじめ、教師のキルシ・サンタラまで心配していると書かれた手紙を読み、ジャレッドの心が温かくなったのは言うまでもない。
返事こそ送ったが、やはりこうして顔を見合わせたことでラウレンツたちはジャレッドの無事を確かめることができてホッとしているはずだ。
「でもさ、心配はもちろんしたけど、マーフィーくんがオリヴィエ・アルウェイさまの屋敷で生活をはじめたのは驚きだったかな」
「うむ。悪い噂が真実ではないとわかっていたものの、年齢の差や、ジャレッドの境遇を考えると心配していたのだが、存外上手くいっているようでなによりだ」
クリスタの言葉にラーズが便乗する。しかし、ラウレンツだけが苦笑こそしていたが、どこか言葉に迷って発することができなかったという感じだ。
ジャレッドとラウレンツが目を合わせると、静かに彼は頷いた。
きっとラウレンツはジャレッドがただ婚約者と同居しているのだと受け取らなかったのだろう。無理もない。竜種退治の際、ヴァールトイフェルに襲われたことを彼は知っている。いや、襲撃者がヴァールトイフェルだとは知らないが、なにものかがジャレッドを襲ったことは間違いなく知っており、アルウェイ公爵がなんらかの形でかかわっていることも予想できているはずだ。
しかし、彼は誰にもそのことを話さず、自分の心の中に押しとどめてくれた。ラウレンツの気遣いに感謝してもしきれなかった。
ベルタとクルトも心配していたと声をかけてくれた。二人に感謝の気持ちを伝えたジャレッドは、みんなとともに教室に向かった。
他愛のない話が弾み、友人の大切さを改めて知ることができた。
「ジャレッド、ちょっといいか?」
みんなが教室の入っていく中、ラウレンツが呼び止めた。
「どうした?」
「少し、こっちで話がしたい」
特に断る理由もなく、教室から離れて廊下の窓側に移動した。
「僕はアルウェイ公爵家の派閥に属しているヘリング家の人間だから、公爵家の色々な話は耳にしている。聞きたいこともあるが、あえて聞かないと決めてもいる」
「助かるよ」
「だけど、ひとつだけ聞いておきたいことがある――大丈夫か?」
もしかすると、ラウレンツは知っているのかもしれない。
ハンネローネ・アルウェイが側室から排除されようとしていることを。いや、それだけではなく、冒険者を雇って襲撃をしていることくらい貴族間の噂話で知ることはできるはずだ。
だが、直接的なことは聞いてこないのは、ラウレンツなりの優しさだろう。その上で、ジャレッドに大丈夫かと問うのは、今の立場が辛くないかという彼なりの思いやりだと思う。
だからこそ、
「大丈夫。まったく問題ないよ」
心配させないためにもジャレッドの答えは決まっていた。
しばらくジャレッドを伺っていたラウレンツだったが、ジャレッドの返事を鵜呑みにしたわけではないだろうが、彼なりに噛み砕いてから頷いてくれた。
「なにかあったらいつでも頼ってくれ。僕だけじゃない。クリスタとラーズ、ベルタとクルトもお前の力になりたいと思っている。魔術だけならジャレッドひとりで大抵のことはできるのかもしれないが、魔術だけでは人間は生きていけない。だから、僕たちはいつでもお前から頼られるのを待っている」
「気にかけてくれてありがとう」
「気にしないでくれ。ああ――それと、一応伝えておくが、ドリューを覚えているか? 彼の様子がおかしいんだ。ジャレッドになにかをするとは思いたくないが、念のため気をつけていてくれ」
数日前にオリヴィエを侮辱した同級生を思いだし、ジャレッドは舌打ちをする。彼女の事情を知ったからこそ、あのときの暴言は許せそうもない。
ラウレンツは未だに気にかけているようだが、ジャレッドはもう忘れかけていた。あんな人間をいつまでも覚えていたくなかったのだ。しかし、様子が変だというのは気になる。あれから特になにも接点はないのだから、ジャレッドには心当たりなどない。
「心配ばかりかけて悪い。俺は最高の友達をもったよ」
「そう言われると嬉しいが、気恥ずかしいな。もっと早くこういう関係になりたかった」
「なに言ってんの。今からでも十分さ、俺たちの人生はこれからなんだから」
「――っ、そうだな!」
嬉しそうな表情を浮かべたラウレンツに、ジャレッドは心から感謝した。彼だけにじゃない。クリスタ、ラーズ、ベルタ、クルトのみんなに感謝してもしきれなかった。
案じてくれるみんなに事情を話せないのが辛い。巻き込んでしまうことも考えるとなおさら口には出せない。どこで誰が聞いているのかもわからず、どこの敵が潜んでいるのかもわからないからだ。
――きっとオリヴィエさまはこんな気持ちだったんだろうな。
狙われた母を守ろうと、父親でさえ信用できなかったオリヴィエ。彼女が気を許すことができるのは、母とトレーネのみだった。
今のジャレッドでさえ辛くはないが、心苦しく感じてしまうのだ。
実際に狙われ、誰も信じられない時間を何年も過ごしたオリヴィエの心中は察するにあまりある。
早く、この苦痛から解放してあげたい。ジャレッドはここにはいない婚約者を想い、想いを固くした。