1.竜来訪1.
「あっという間に二ヶ月が過ぎてしまったわね」
「慌ただしかったですからね」
冬にしては暖かい日の午後。アルウェイ公爵家別宅のテラスで、ジャレッドはオリヴィエと二人で静かなひと時を過ごしていた。
庭の花々はすっかり寂しくなってしまったが、春に向けて家族たちが手入れをしているのを知っている。少年も時間を見つけては手伝っているが、ここ最近は宮廷魔術師になるにあたり忙しい。
幸いにも事件らしい事件はなにも起きなかったが、ジャレッドとオリヴィエにとって変化の多い日々であったことは言うまでもない。
「貴族の催しものに参加したのは何年ぶりだったかしら」
「ははは、みんな驚いてましたね」
先日招かれた宮廷魔術師トレス・ブラウエルとアデリナ・ビショフのパーティーで数年ぶりに貴族として表舞台に出たオリヴィエの姿に誰もが驚きの表情を浮かべていたことを思い出す。
二ヶ月前に起きた事件により、王立騎士団と王立魔術師団が大きく編成されることとなった。統一され、王立魔術騎士団と名を変えたのだ。率いるのは宮廷魔術師第四席に席次が上がったトレスだ。
幸いなことに反発する声はなかった。前王立騎士団団長が全面的に協力しているのが大きい。
またジャレッドをはじめとする若き宮廷魔術師が加わることにより、アデリナもまた席次が上がり第五席となった。
二人にとって友人と言っても過言ではないジャレッドは、彼らが開いた祝い事に招かれ、家族を伴って出席したのだ。
もともと家族たちとも付き合いのある両者は、ありがたいことに全員を招いてくれた。
「まったく失礼してしまうわ。確かに悪い噂ばかり流れていたし、その噂を利用してもいたけれど、まるで悪魔でも見るように怯えるなんて」
かつて母ハンネローネを、父親の側室に狙われていた過去を持つ彼女は、誰も信じることができず、そして誰も巻き込まぬために他者を拒否し続けた。
悪い噂が流れるように仕向け、誰も関わりたくないと思わせるように。その過程を少々楽しんでしまったこともあり、オリヴィエを恐れる人間は実に多い。
もちろん彼女の事情を知る者は誤解だとわかっているのだが、長年貴族として表舞台に立つことなく、悪い噂でしか名前を聞くことがなかった公爵家令嬢に間違った認識を向けてしまうのは無理もないことだった。
「自業自得なことは百も承知だけれど、挨拶しただけで怯えられるなんて……わたくしってどれだけ怖がられているのかしら?」
トレスの恋人は彼からオリヴィエの人柄を聞いていたようで、年齢も近いこともあって笑顔で接してくれた。最近では、手紙のやり取りや、お茶もしているようで、ジャレッドだけではなく家族一同がオリヴィエの交友関係が増えたことに喜んでいた。
だが、やはり誤解している人間は多いらしく、公爵家令嬢に挨拶しようと現れた貴族たちは極力目を合わせないよう慎重だった。
中には「ひっ」とあからさまに怯えを見せた少女までおり、オリヴィエがショックを受ける場面などもあった。
似たようなことはアデリナのパーティーでも起きてしまい、ジャレッドとしても困ったような顔をしつつ、何度もフォローに走ることもあった。
だが、そんな甲斐あってか「噂ほどではない」と認識されたようで、最近になって学生時代の友人から久しぶりに会いたいと手紙が届いてオリヴィエが嬉しそうな顔をしているのを見かけるようになった。
家族を失わぬよう、自身を犠牲にしても戦い続けた女性は、新しい道を歩み出したのだ。
「少しずつ、誤解は解けているみたいですし、時間が解決してくれますよ」
「そうだといいのだけど」
落ち込みを見せていたオリヴィエだったが、紅茶で喉を潤すと、感情を切り替えて話題を変えた。
「ところで、先日デニス・ベックマンとあったようだけど、お母様のお話は聞けたの?」
「ありがたいことに、デニスさんにたくさん教えてもらいました。大体が武勇伝だったので反応に困りましたが、俺の知らない母を知ることができてよかったです」
「そう、よかったわ」
自分のことのように微笑んでくれる婚約者に、ジャレッドも笑顔を向けた。
宮廷魔術師になるにあたり、知己であった魔術師協会のデニス・ベックマンが宮廷魔術師第一席であると知り驚いた。
亡き母を知っていると聞いていたので、真相を知れば納得できたが、まさか一職員として働いているとは予想外だった。
宮廷魔術師第一席は謎に包まれており、国王の懐刀であることくらいしか国民には伝わっていない。国家の戦力をすべて明かさないためか、他にも何かしらの理由があるのだろう。
ジャレッドは、彼の正体を知ると同時に、秘密保持契約書にサインした。
デニスの功績は、かつて腐敗していた魔術師協会を一から立て直し、王宮との関係を改善させたものだ。
今でこそ王宮と魔術師協会の関係は密だが、かつては違う。裏取引で魔術師の情報が売買され、貴族が取り込むのを協力し、数多の見返りをもらっていたという。
現在、それらを行なっていた人間たちはそろって牢屋か墓の中だ。
――デニスさんの正体を知って驚いたのは俺だけじゃないんだよな。
宮廷魔術師として同期となるラウレンツ・ヘリングとプファイルも同様だった。前者は一職員だと思っていた人間の素性に、後者は実力を見抜けたかったことに。
そんな先達から教えてもらった母のことは、驚きであり、新鮮だった。
ジャレッドにとって優しく快活であった母だが、デニスから聞くとまったく別人だ。以前にも「破壊神」と恐れられていたと耳にしていたが、他の武勇伝を教えてもらうと唖然とした。
単身で敵国に乗り込み、主要戦力を撃破した。魔獣の群れの中に突貫し無傷で生還した。荒ぶる竜種を倒し乗り物がわりにしていたなど、正直内容を疑うものであったが、当時を思い出して身震いさえするデニスが嘘をついているとは思わず、亡き母がどれだけ規格外だったのか思い知ったのだった。
「わたくしにもジャレッドのお母様のことを教えてちょうだい」
「喜んで」
大暴れしながらも国を守った母に負けない宮廷魔術師になろう。ジャレッドはそう誓った。




