0.prologue.少年たちのその後1.
ウェザード王国にも冬が訪れていた。
ルーカス・ギャラガーが起こした反逆事件から二ヶ月が経ち、一時は国民に動揺が広がりつつもあったが、今ではすっかり穏やかな王都が戻っていた。
「ううぅ、今日も寒いな」
ジャレッド・マーフィーは宮廷魔術師任命式を一週間後に控え、緊張する日々を送っていた。
亡き母リズ・マーフィーも同じく宮廷魔術師であり、少々やりすぎるきらいはあったものの優れた魔術師だった。母の記憶こそ少ないが、だからこそ同じ高みに登ることができるというのは喜ばしい。
なによりもジャレッドを緊張させているのが、オリヴィエのことだ。
年上の婚約者と出会い、少年は宮廷魔術師になることを約束させられた。そのあとに驚きのタイミングで宮廷魔術師候補になり、今はもうすぐ任命される。
――俺とオリヴィエさまの関係はこのままでいいのかな?
ときどき、不意に将来を考えることがある。
かつては、成人してこの国を出ようと思っていた。自由気ままに各地を回り、いろいろな世界を見て回りたい、と。もしくは魔術師としての高みを目指すため、師のもとで再び学ぶことだって選択肢の中にあったのだ。
それが国に認められた十二人の魔術師の一人に選ばれることになるとは、当時は夢にも思っていなかったのだ。
「戦闘衣も出来上がったし、準備は終えてるな」
クローゼットを開ければ、藍色の軍服のような戦闘衣が綺麗にしまわれていた。
他にも編み上げのブーツ、シンプルだが耐久性を誇る短剣が揃っている。これらはジャレッドの宮廷魔術師用の戦闘衣であり、任命式後に日常的に身に纏うものだった。
国が手がけてくれただけあり、一級品だ。防御に優れ、魔術にも剣などの攻撃にも耐久性は高い。これを仕立てるだけで一財産だ。
ジャレッドだけではなく、秘書官であるリリー・リュディガーとエルネスタ・カイフにも同じ物が与えられており、二人は軍服めいた衣装は変わらないがスカートタイプである。リリーはジャレッドと同じブーツを、エルネスタはヒールを用意し、それぞれ準備は整っていた。
あとは王宮に赴き、国王から正式に任命されるだけだ。とはいえ、その後も、しばらくはパーティーなどが続くらしく、今から気が滅入ってしまう。
「公爵も色々と考えてくれているようだし、あとは俺次第……なのかな?」
先日、公爵と二人で話をしたことを思い出す。
宮廷魔術師に任命されることと同時に、ジャレッドは伯爵位を得ることになる。領地はないし、名ばかりの貴族であるのだろうが、伯爵は伯爵だ。歴代の宮廷魔術師は、任命後に屋敷を買うらしいと聞いた。
「俺にとってここが一番暮らしやすいんだけどなぁ」
現状を気に入っているのだが、あくまでもこの屋敷はアルウェイ公爵家のものである。オリヴィエにあげる話も出ていたようだが、公爵は望むのであればジャレッドにこの屋敷を譲ってもいいと言ってくれていた。
オリヴィエとジャレッドのどちらが譲り受けても生活は変わらないだろう。要は公爵家のでなければいいらしい。
おそらく対外的な問題なのだろう。
貴族のしきたりなど詳しくないジャレッドにはいまいちだった。
また、公爵との話の中で、宮廷魔術師任命後にオリヴィエと結婚することも視野にいれておいてほしいと頼まれた。
追い追い結婚することは承知しているが、公爵はできるだけ早くと言われている。
これには理由があり、現在も続いている側室を望む声を止めるためだという。
ジャレッドに今も婚姻の話が届くのは、結婚していないからだ。婚約しているじゃないかと言いたいが、貴族の婚約など家同士の都合で変わることなど珍しくない。ジャレッドとオリヴィエの関係は当人同士の問題なので変化はないだろうが、周囲はそうはみないのだ。そのせいか、オリヴィエから乗り換えて欲しいという図々しい声まで届く始末だ。
このような煩わしさから逃れるためにも結婚することが一番とのことだ。
同時に、オリヴィエが安心し、側室を迎えることに寛大になる可能性も出てくるらしい。ジャレッドとしては側室を欲しいと思わないが、公爵家や実家である男爵家からすれば違うのだ。
現在、新たな宮廷魔術師を公爵家が独り占めしている状況だ。かろうじて、リュディガー公爵家と王家は繋がりがあるものの、秘書官と友人という関係でしかない。
できることなら側室という形でジャレッドと繋がりたいという考えがあるのだ。アルウェイ公爵家も異論はないらしく、だが、娘に強要はできないとのこと。そこで、結婚することでオリヴィエに精神的な余裕と安心を与えたいのだ。
「考えなしに戦っていたころが懐かしいな」
同じ屋敷に暮らし、新たな宮廷魔術師に選ばれたプファイルなど、なにを考えているのか不明だ。彼はあくまでもこの国に住まうために宮廷魔術師になったに過ぎない。そして、彼の行動理由はエルネスタという女性にある。
彼もすでに宮廷魔術師としての準備を終えていた。秘書官こそいないが、必要としていないようで、今後も迎えるつもりはないらしい。カーキ色の戦闘衣は、ジャレッドのものと似通っており、さらにもうひとりの宮廷魔術師ラウレンツ・ヘリングとも同じだ。
宮廷魔術師候補に名が挙がることなく、異例の選抜ではあったが、先日の事件を解決したことから反対の声は少なかった。もちろん、反対する声もなかったわけではないが、プファイルはそれらの魔術師、騎士を相手にして戦い、完膚なきまでに倒してみせたことで反対の声をすべて殺したのだ。倒された者のなかには、彼の力に魅せられた者までいるらしい。
一番の問題は元暗殺者の少年が国を裏切るかどうかだったが、後見人にハーラルト・アルウェイ公爵がなることで、それらの声も静かになったのだった。
そんな彼にも婚姻を望む声は多い。貴族ではないため取り込んでしまいたいというのだろうが、そもそも窓口がわからないと公爵家やジャレッド、果てにはオリヴィエまで連絡がくるのが頭が痛いことだ。
プファイルはエルネスタ以外の女性には興味がないため、公爵家の顔を立てて相手に会うことはあるが、その場ではっきりと断っている。その姿が男らしいと親に命じられて会った少女たちが本気になってしまうこともあるのだ。
元暗殺者の少年に熱をあげた少女たちから、オリヴィエやジャレッドだけではなく、イェニーやエミーリアにまで連絡がくるのだか、厄介ごとが一つ増えたと苦笑いを浮かべるしかなかった。
「ジャレッド様、よろしいですか?」
考えに耽っていると、部屋がノックされた。返事をすると、メイド服姿の無表情の女性トレーネ・グラスラーが現れた。
「ヘリング様からお手紙が届いています」
「ラウレンツから?」
礼を言って手紙を受け取ると、学友であり、新たな宮廷魔術師のひとりラウレンツ・ヘリングからだった。




