【間章8】婚約者の祖父5.
ジャレッドと別れたワハシュは単身、王都の外れにある廃墟同然の教会に足を運んでいた。
建物の中は埃臭く、長椅子や床は朽ちている。屋根からは太陽の光が漏れているのが確認できた。
「ここを覚えているかい?」
「もちろんです。かつて、あなたと私たちで訪れたことがありました」
「十数年前かな、ここを管理する人間が死んでしまってね。今では誰一人として訪れるものがいないよ」
悲しそうな笑みながらワハシュを出迎えたのは、亜麻色の髪の少年ラスムスだった。
一見するとごく普通の少年にしか見えない彼だが、ワハシュ同様何年も長い時間を生きている。
「アルメイダからあなたの手紙を受け取りました」
「読んでくれたかい?」
「はい。私は勘違いをしていたようです。ラスムス様を殺すことであなたを救おうとしていました。だが、それではあなたを救えず、すべてを解決することはできないと」
「ずっと僕のためにありがとう。本当はね、兄のように思っていた君になら殺されてもいいと思っていたんだよ。だけど、それでは解決しないんだ」
「始祖とは実に厄介な存在ですね。知っていたつもりでしたが、考えが甘かったようだ」
ラスムスは苦い顔をするワハシュを慰めるように、彼の肩に手を置く。
「いや、実際問題として僕が死ぬことができるのなら、それはそれでいいんだ。でもね、すべきことがある。やらなければならないことが残っている」
「承知しています。私は、そのお手伝いをするために参りました」
「……ワハシュくん、すまない。君の組織も、僕のせいで解散させてしまったようだね」
「いいえ、身動きを取りやすくしただけです。幸いなことに、部下たちのこれからも決まりましたので、心置きなくあなたに再びお仕えすることができます」
ヴァールトイフェルを解散することを決め、ワハシュはラスムスに会いにきた。
宮廷魔術師になることを決めたプファイルをはじめ、部下たちは暗殺者をやめ新しい道に進んでいくことになる。ウェザード王国の魔術騎士団に所属する者もいれば、それを望まない者もいる。そんな者のために、先日までツテを使っていたことを思い出す。
組織の支援者や、冒険者ギルドの知り合いを頼り、部下たちを預けることになった。ありがたいことに、部下の希望が叶ったことは喜ばしい。今後は、今までとは違う人生を送って欲しいとワハシュは願う。
「なにから始めるおつもりでしょうか?」
「とりあえず、暴走している人間を止めるとしよう」
「残念なことです。私たちの子孫ともいえる人間が、短慮な行動を起こすとは」
「ルーカス・ギャラガーくんという前例があるからね。でも、まさか、先日の一件で疲弊したウェザード王国を潰して、国を復活させようなんて過激なことを考える人間が出てくるとは思わなかったよ」
ラスムスは嘆息し、近くにあった長椅子へ腰を下ろす。
少年は、かつて自分たちの国の子孫がどこにいるのか把握していた。その中でも、不遇な扱いを受けている者や、住まう場所がない、家族がいないなど、生活に困った人間を集め小さな集落を作って生活をしていた。
そこにはかつて滅んだ国とは関係ない人間もいて、穏やかな暮らしができていた。しかし、最近になって一部の人間に変化が起きたのだ。
「気持ちはわからないわけではないんだよ。僕が過去の話を聞かせてあげることもあったし、親や祖父母から代々伝わってきた願いもあることも承知している。だけどね、ウェザード王国の、今を生きる人たちを傷つけてまで復興させるほど、あの国に価値はないよ」
ワハシュは同意も反対もすることはできない。民として、戦士として国に仕えていた人間には、かつての国の価値を判断することはできない。
王族であり、建国した始祖の血を引くラスムスだからこそ許された言葉だった。
「つらい思いをした過去があるから、知らぬ故郷へ思いを馳せることを止める気はない。でもね、国を復活させてなにになる? ルーカスくんのように王になりたいのかい? それとも僕に王になれとでもいうつもりかい? 僕はごめんだ。滅んだ国は滅んだままでいい」
「それがラスムスさまのご意思であるのなら従いましょう。ですが、どうするおつもりですか?」
「うん。すでに僕の元からさってしまった子たちが何人もいるんだ。彼らはね、ウェザード王国によくない印象を持つ国に接触を企んでいるよ。倒して、思いとどまらせたい」
「殺すのではなく?」
「自分でも甘いとわかっているけど、できれば殺したくない。もちろん、どうしようもなければいらぬ混乱を招かぬために、殺さなければならないかもしれない。だけどそれは最後の手段にしたい」
「承知しました。ところで、妹君はいかがするおつもりですか?」
問われ少年が腕を組んで、悩む仕草をする。
「そうだねぇ、あの子のことは頭を悩ませているよ。できることなら巻き込みたくない。あの子はあの子で、この現代に生きて欲しい。ジャレッド君たちのような友達もいるし、あの子を心から好いてくれる子もいるようだしね。ただ、優しいあの子が自分だけ幸せになることを望んでくれないから、巻き込むふりでもしておこうかな」
「さようで。アルメイダはどうしますか? 戦力としては申し分ないのですが」
この場に同僚の少女がいないことからいしても、ラスムスがアルメイダを巻き込みたくないことはわかっていた。だが、一応聞いておかなければならない。少年のために動くのであれば、彼女がいたほうが動きやすい。
「彼女は関わらないで欲しい。僕はね、アルメイダに幸せになって欲しいんだ。元婚約者の僕には、最後まで彼女を幸せにできなかったから」
「……承知しました。あやつが気に入っているジャレッドの祖父としては複雑ですが、それもいいでしょう」
「ねえ、ワハシュくん」
真っ直ぐ瞳を向ける、少年にワハシュは言葉を待った。
「僕は甘いかな?」
「いいえ、お優しいのだと思います」
昔から彼は変わらない。王の器ではないと言われていたラスムスだが、民からは愛され、臣下からも慕われていた。ワハシュもそのひとりだ。
彼はいつも、どんなときでも優しい。自分よりも、他者のことばかり考えている。
甘いといえば甘いのだろう。だが、それでいいのだ。ラスムスという主人は、甘いくらいでいい。
「長く生きてきたけど、今ほどうまくいかないことを悔しく思うことはないよ。僕はね、ずっとずっと前から目的をもって生きてきたんだ。みんなのためになにかをしようって、少しずつ些細なことから頑張ってきたんだよ。でも、まさか、仲間に足を引っ張られてしまうなんて、運命っていうのは残酷だね」
「……ラスムスさまの目的とは?」
「簡単なことだよ。僕はね、ウェザード王国をよりよい国にしたいのさ」




