【間章5】プファイルの恋の行方とこれから4.
エルネスタ・カイフは溢れていく涙を止めることができず、静かに泣いていた。
毎日顔を見せてくれるプファイルが、すぐに帰らないことを知っていたが、まさか自分のために戦ってくれていたとは思いもしなかった。
彼はエルネスタが気づいていないと思っていたが、違った。戦いに気づいたのではなく、プファイルの些細な様子の変化に気づいたのだ。
そして、知った。
「……ごめんなさいプファイル」
感謝の言葉ではなく、謝罪をしたのは、彼女が青い髪の弓使いの少年の気持ちに返事をしていないからだ。
以前から、眠れないエルネスタを気にして家に寄ってくれていた。飽きるまで話を聞いてくれた。
操られ、暴走していた自分を必死に止めようとしてくれただけではなく、愛していると告白してくれた。
だが、エルネスタはいまだに彼になにも答えてはいない。
今更、自分の中に宿る感情に戸惑うほど子供ではない。
エルネスタは、プファイルを好きであることの自覚があった。しかし、彼に答えていいのかどうか迷っていた。
「私なんて好きになってもらえる資格がないのに」
彼女がそんなことを思うのは、今までに蓄積された罪悪感からだった。
兄バルナバス・カイフが起こした宮廷魔術師殺人事件。加害者の家族として苦しい思いをした。兄を恨んだこともあった。だが、兄の暴走には元凶があり、兄だけが悪かったわけではないとわかった。
しかし、被害者にしてみればそんなことはどうでもいい。それがわかっているからこそ、罪悪感を覚えずにはいられない。
そして、先日起きた一件だ。
恩人であるジャレッドと、彼の秘書官として働き出した自分によくしてくれたオリヴィエを窮地に追いやってしまった。
呪術によって操られ、自分の意思ではなかったとはいえ、多くの人に迷惑をかけたことや、最悪の場合は家族として接してくれる彼らが死んでいたかもしれない事実は、やはりエルネスタを蝕んでいた。
ジャレッドもオリヴィエも、他のみんなも心から気にしていないと言ってくれる。
その優しさが辛く、いっそ責めてくれた方が楽になれると考えたことは一度や二度ではない。
何日も部屋に閉じこもり、家族に大きな心配をかけ、自らの未熟を嘆いた。
仮にも王立魔術師団に所属していた魔術師でありながら、自分がしたことは足を引っ張ることばかり。それで宮廷魔術師になるジャレッドの秘書官を続けていいのか、オリヴィエたちに家族として受け入れられていいのかと悩み続けている。
そんなエルネスタを支えてくれたのがプファイルだ。
彼は必要最低限のことしか言わず、エルネスタの不安や、後悔を聞くに徹してくれた。自分の中に宿った負の感情、憤り、悲しみ、をすべて受け止めてくれた。
――私はプファイルに甘えすぎているわ。
彼がなぜ自分にこう親身になってくれるのか、なぜ愛してくれているのか、理由はわからない。しかし、彼の優しさに甘えている現状が正しいかどうか悩んでしまう。
ゆえに彼の気持ちに返事ができない。
叶うのならば、彼に自分の気持ちを伝えたい。それができればどんなにいいだろう。きっと不安も恐れも消え失せ、幸せになれるかもしれない。
だが、幸せになっていいのかどうか悩んでしまうのだ。
「気にかけてくれてありがとう……愛しているわ、プファイル。でも、今はまだ、あなたの気持ちに応えられないの、ごめんなさい」
ウジウジと雨の日のような心で、愛を呟く。決して彼に届かないとわかっているから、小さな声で言うことができる。
まだエルネスタの心が快晴になる日は、遠い。
※
プファイルと別れたワハシュは、久しぶりに娘ローザと会っていた。
ローザがジャレッドと一緒に暮らすようになり、さらには公爵家の末息子に気に入られて屋敷に出入りするようになるとは、長い人生の中でも数少ない驚きだった。
「……こうしてお前と食事をするのはどれくらいぶりだろうか?」
「幼い頃は、何度か。私が戦闘者として成長してからは、覚えがありません」
「そうか。私は父親として失格だな」
「そんなことはありません。私はもちろん、あなたを父親として尊敬し、慕う者たちは数多くいます。プファイルもそのひとりでしょう」
父親が食事に誘ってくれたことだけでも驚いたというのに、過去を振り返り反省する姿に、ローザは内心驚愕していた。
「父上、どうかしましたか?」
「いや、自分でもらしくはないことをしている自覚はある。だが、よく成長したお前と共に時間を過ごしたいと思ったのだ」
「ありがとうございます」
成長を褒められ、ローザは顔に極力出さず喜んだ。
今まで父に認められようと、強くあるべきだと鍛え続けた。慢心ではなく、事実として強くなった自負もある。だが、ジャレッドと初めて出会い、戦ったとき、イェニー・ダウムに敗北したことは苦い思い出である。
オリヴィエの屋敷で暮らすようになり、気づけば家族として受け入れられていた。父ワハシュはもちろん、組織の人間と家族らしいことをした記憶は、幼い頃しかないためローザは敵対したにも関わらず暖かさを与えてくれるあの家族が好きだった。
だが、まさか父とこうして家族らしい時間を持つことができるとは予想もできなかった。
緊張し、食事の味をよくわからない自分に、思わず苦笑が漏れる。
「この国が我々を受け入れようとしていることは知っているだろう?」
「はい。先日の反逆のせいで国力が落ちたと周辺諸国に思われているせいですね。友好国、同盟国が多いとはいえ、中には虎視眈々とこの国に戦争をしかけようとする国もあるのが事実。その対策でしょう」
大陸最強の暗殺組織が、ひとつの国に吸収されたと聞けば、ウェザード王国を狙う輩への牽制となる。
いたずらに刺激するわけにはいかないので、国が暗殺をすることはないだろうが、この国の守りを固める時間は稼げるだろう。
「宮廷魔術師を増やそうとしているのもおそらくそのためだろう」
「確かプファイルにも話がありましたね。驚いていいのか呆れていいのか判断に迷いますが、プファイルの実力を考えれば宮廷魔術師以上なので欲する気持ちはわかります」
以前から決まっていたジャレッドをはじめ、同等の実力を持つプファイル、ルザーをも宮廷魔術師にしようとする動きは、国の保有戦力を上げたいからだ。
宮廷魔術師というわかりやすい地位が揃っていればいるほど、周辺国に力があるのだと示せる。
ジャレッドたちに数歩劣ってしまうラウンレンツが宮廷魔術位に名が上がっているのも、将来を見越してであり、宮廷魔術師の席を埋めたいからというものだ。
無論、そのことは当の本人ももちろんのこと、他の人間も承知しているだろう。それに反対の声がないのは、ラウレンツ・ヘリングという少年が立てた功績が認められているからであり、将来に期待されているからだ。
「この国はおもしろくなっていく。ローザよ、お前はどうする?」
「どう、とは?」
「ヴァールトイフェルを継ぐか? それとも、お前に恋い焦がれる少年と連れ添うか?」
「それは……その」
「ゆっくり考えるといい。お前には時間がある。恋するのも愛を育むのも、自由だ。私には邪魔をする権利はない。なによりも、この時代に暗殺者はもう必要ないのだから」
ローザは不安になった。まるで父がいなくなってしまうのではないか。そんな気がしたのだ。
「父上? どうかなさったのですか?」
「いや、なに……私が求めていたものが近づきつつある。その前に、色々と考えたいことがあるのだ」
父親の言葉の意味が理解できず、ローザはただ首をかしげるばかりだ。
そんな娘にワハシュは小さな笑みを浮かべるだけで、それ以上なにもいうことはなかった。
その後、父娘はまるで普通の家族のように穏やかな時間を過ごしたのだった。




