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38.Epilogue.



 気怠さと痛みを感じながら、ジャレッド・マーフィーは目を覚ました。

 自分がどこにいるのかと視線をさまよわせると、オリヴィエの屋敷に用意された自分の部屋だとわかった。

 いつの間にここで眠っていたのかと疑問を浮かべた瞬間、フラッシュバックするようにプファイルとの戦いを思いだし、上半身を勢いよく起こす。


「――いづっ!」


 刹那、わき腹と肩に激痛が走り、体中からも大小の痛みが襲いかかってきた。


「あのあと、どうなったんだ?」


 返事がないとわかっていながら声に出さずにはいられなかった。


「あら、気づきましたのね、ジャレッドさん」


 すると、音を立てずに部屋の中に入ってきたハンネローネが驚いた顔をしていた。だが、すぐに嬉しそうに微笑む。


「ハンネローネさま、ご無事でしたか!」


 大きな声を上げたジャレッドに注意するように、ハンネローネは手に持っていた桶をテーブルに置くと人差し指を口元にあてる。


「大きな声をだしたらだめよ。あなたは絶対安静ですし、オリヴィエちゃんが起きてしまうわ」

「オリヴィエさま……? あ、ああ、そばにいてくれたんですか」


 言われて気づく、すぐ傍らに椅子に腰かけたオリヴィエがベッドにうつぶせになって寝息を立てていることに。

 彼女がそばにいることに安心して、大きく息を吐きだした。


「この子はジャレッドさんのことが心から心配だったのよ。あなたが意識を失い、高熱をだして魘され続けている間、ずっと手を握って声をかけていたわ」

「……そうだったんですか。あの、俺はどのくらい眠っていましたか?」

「一日かしら。あなたが庭で倒れ、お医者さまにすぐみてもらったけれど、死んでしまっても不思議ではないほどの怪我だったそうよ。怪我そのものは治療したし、医療魔術でだいぶ直してくださったようだけど、失った血液は戻らないし、魔力も数日は使えないとのことよ」


 体が重く怠い原因がわかった。

 先日、ラウレンツが魔力が尽きるまで魔術を行使したときと同じ症状がジャレッドにも起きているのだ。


「プファイルは――いえ、なんでもありません」

「襲撃者のことなら知っているわ。気をつかわなくてもいいのよ」

「やはりご存じだったんですね」


 トレーネも予想していたことだが、ジャレッドも同じように考えていた。娘のオリヴィエの行動を一緒に住む母親が把握していないわけがない。


「ええ、わたくしの命が狙われていることも、今回の襲撃者がかつてないほどの強敵だったことも、ずっとオリヴィエちゃんとトレーネちゃんがわたくしを守っていてくれたことも、すべて知っていたわ」

「どうして、そのことをちゃんと伝えていないんですか?」

「トレーネちゃんが気付いていたように、オリヴィエちゃんも気づいていたわよ。わたくしは、なにも知らない愚かな女を演じる必要があったの。言い訳にしか聞こえないかもしれないけれど、別邸に送られ、側室がわたくしを小馬鹿にしていることすら、知らないふりをしなければならなかったわ」


 ハンネローネは辛そうに目を伏せる。オリヴィエが母を守るために辛い思いをしたように、彼女もまたひとりで戦っていたのだろう。目に見えない戦いだったのかもしれないが、ハンネローネにとっては酷く辛いものだったはずだ。


「わたくしだけなら命を狙われても構わなかったの。だけど、娘たちまで巻き込まれてしまった。わたくしがなにか行動を起こそうとする前に、オリヴィエちゃんが行動してしまったから。だからこそ、わたくしはなにも知らないふりをして、娘の邪魔にならないように、側室がわたくしなどどうでもいいと思ってくれるように演じていたのよ」

「お辛かったでしょう」

「ええ、そうね。でもオリヴィエちゃんとトレーネちゃんの方が辛かったはずよ。自分を犠牲にしてまでわたくしを守ろうとしてくれたのですから」


 強い人だ、とジャレッドは心底思った。母を案ずる娘になにも言えず、察してもらうことだけしかできない。それが母親としてどれだけ辛かったのかジャレッドには予想することもできない。

 ハンネローネは眠る娘を見て、微笑む。


「わたくしは信じていました。愛する娘たちと夫が、いつかこの困難を乗り越えてくれると。わたくしができることは知らないふりをしながら待つことだけだったけれど、あなたも現れてくれたわ。あなたのおかげで、オリヴィエちゃんが久しぶりに楽しそうで、夫もあなたを信頼していたわ。そして、つい昨日はわたくしたちのために命懸けで戦ってくれた。わたくしもどれだけ感謝していいのかわからないわ」


 ありがとう、と心から感謝の気持ちを伝えられたジャレッドは困った表情を浮かべ、首を横に振った。


「感謝しないでください。俺が勝手に守りたいと思って、勝手に戦っただけです。それに、庭も壊してしまいましたし、たくさん心配をかけてしまいました。すみません」


 ジャレッドはハンネローネに感謝してもらうつもりは毛頭なかった。

 誰かに頼まれたわけではなく、ジャレッドが勝手に守ろうと決意して戦ったのだ。

 オリヴィエは関わるなと止めたが、それでも戦い抜いたのはジャレッドの意志だ。


「謙遜しないで。わたくし、あなたのような方が息子になってくれること本当に嬉しいと思います。宮廷魔術師になれなどと無理な条件を言われたみたいだけど、きっと娘はもうあなたじゃなければ結婚はできないと思うの」

「……そうでしょうか?」

「ええ、母親の勘よ。間違いないわ」


 悪戯めいて微笑むハンネローネにジャレッドは戸惑う。

 確かに自分は婚約者の立場だが、ハンネローネとオリヴィエたちから危険が遠ざかれば、お役ごめんだと思っていた。オリヴィエだって、問題がなくなればきちんとした地位を持つ相手を見つけることができるはずだ。

 男爵家の、しかも家督を継ぐことのできない長男よりも、もっと相応しい男がいると思えてならない。

 だけど――、もし本当に、ハンネローネの言う通りなら、少しだけ嬉しいかもしれない。


「わたくしはトレーネちゃんにジャレッドさんが目を覚ましたことを伝えてくるわね。包帯を変えてあげたいけれど、トレーネちゃんが一番上手だからよんできます。その間に、狸寝入りしている娘としっかりお話をしてあげて」

「――え?」


 まさか、と思いオリヴィエに視線を移すと、


「……ぐー、ぐー」

「わざとらしいっ!」

「……すー、すー、むにゃ」

「いや、もう起きてるってわかりましたから」


 つい突っ込んでしまったジャレッドと、悪あがき続けるオリヴィエに笑ってしまうのを必死で堪えながらハンネローネが部屋を出ていく。


「……寝てるわよ」

「会話できてますよね。はぁ、もう面倒なので起きてください」

「面倒ってなによ! 悪かったわね、狸寝入りで! お母さまと話しているのが聞こえたからおきてしまったのよ、悪い!」

「悪いなんて言ってないじゃないですか」


 勝手に怒りだすオリヴィエに、ジャレッドの知っている彼女であるとどこかホッとした。

 母に狸寝入りを見破られたことが恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして涙ぐむ彼女は本当に二十六歳かと疑いたくなるほどかわいらしいと思えた。

 どこにも怪我をした様子がないことを確認すると、つい笑みがこぼれてしまう。


「なにを笑っているのよ」


 オリヴィエはジャレッドが自分のことを笑ったのだと勘違いしたのか、不機嫌そうに頬をつねってくる。

 あまり力を入れていないため、痛くない。しかし、彼女の指が小刻みに震えていることに気がづいた。


「オリヴィエさま?」

「本当によかった……」


 手を放したオリヴィエは、突如溢れだした涙を指で拭う。


「どうして急に……もしかして、怪我でもしたんですか?」

「いいえ、違うわ。ごめんなさい。あなたが意識を失ってしまったとき、本当にどうしようかと思ったの。助けがきてくれたけど、あなたは出血のせいで死にかけてしまったから、こうして元気な姿を見たらほっとして」

「心配かけてすみません」

「もう、心配させないでね。――と、頼んでもあなたはきっとまた無茶をするんでしょうけど、一応言っておくわ」


 無茶をするなと言われて、無茶をしたジャレッドのことをきっとオリヴィエは呆れているはずだ。

 不謹慎だが、涙まで流して心配してくれたことに嬉しさを感じてしまった。


「ねえ、ジャレッド・マーフィー」

「なんですか、オリヴィエ・アルウェイさま?」

「お母さまがおっしゃっていたように、わたくしはお母さまが事情をすべて知っていることをわかっていたわ。その上で、勝手にひとりでお母さまを守ろうと暴走していたのよ。あなたの傷ついた姿を見て、自分の愚かさを自覚したわ」


 自嘲気味に呟くが、しかたがないことだと思う。

 母が狙われた事実。父は立場上もあって味方ができなかった。ならば娘であるオリヴィエが必死になるのは必然だ。しかし、タイミングも悪かった。ハンネローネが行動を起こすよりも、オリヴィエが行動してしまった。

 ゆえに母はなにも知らない愚かなふりをして、オリヴィエは母のふりに気づきながら、母は娘のために、娘は母のために見て見ぬふりをしていた。

 オリヴィエたちが悪いのではない。すべては誰かを雇ってまで、ハンネローネを脅かそうとした人物のせいだ。


「でも、これからは違うでしょう? もうお互いに隠し事をする必要はないですから、協力して困難を乗り越えればいいんですよ」

「そうね、そうよね。ありがとう。わたくし、必ずお母さまたちと一緒に乗り越えてみせるわ」


 でも、とオリヴィエは不安そうに続ける。


「あなたはそれでいいの? 今回のように危険なことはこれからもあるはずよ。わたくしたちに事情に関わって、死にかけて、嫌にならないの?」

「なりません」


 即答したジャレッドに、ムッとするオリヴィエ。


「もうちょっと考えなさいよ」

「十分に考えた結果で動いているので、これから俺自身になにがあっても後悔はしませんよ。でも、もしも後悔するとしたら――」

「したら?」


 オリヴィエの手を強く握り、ジャレッドは目を見つめる。


「――あなたたちになにかが起きたときだ。だから俺は、これからもあなたたちを守ります。俺が守りたいから、大切だと思うあなたたちを守り続けます」

「……ジャレッド」

「だから俺に、あなたたちを守らせてください」


 ジャレッドの言葉を受け、握られている手にオリヴィエがそっともう片方の手を重ねる。

 そして、ちょっと不満だといわんばかりに頬を膨らませると、


「そこはあなたたちではなくて、わたくしを守ると言ってほしいわ」

「――俺に、オリヴィエを守らせてほしい」

「ええ、守ってね、わたくしの婚約者さま」


 ジャレッドの言葉に満足したオリヴィエが嬉しそうに微笑む。

 彼女の笑顔を見ていると、心が温かくなるのを確かに感じた。

 まだ愛情と呼べる感情はない。だけど、好きだと思うし、大切だと思っている。もちろん、オリヴィエだけではなく、ハンネローネもトレーネも大切だ。守りたい。

 だけど、オリヴィエのことだけは少しだけ守りたい強さが違った。

 母親を守ろうと強くならなければいけなく、親しい人を作ることができなかった不器用なオリヴィエの力になりたい。

 早く彼女を自由にしてあげたい。

 そんな想いが胸の奥底からこみ上げてくる。

 気づけば、オリヴィエが潤んだ瞳でこちらを見つめていた。ジャレッドは気恥ずかしくなって、逃げようとしたが、手を握っているせいで離れることができない。

 ゆっくりと近づいてくるオリヴィエの吐息を感じてしまい、無意識に鼓動が高鳴った。

 オリヴィエが求め、自分が応えようとしていることに気付き、ジャレッドもまた動こうとしたそのとき、


「は、ハンネローネさま、そんなに乗りだしてしまってはばれてしまいますっ……」

「大丈夫よ、今のあの子たちはお互いしか見えてないわ。そういうトレーネちゃんだって、まじまじと見ているじゃないの」

「オリヴィエ様にとって初のラブシーンですので、メイドとして見逃すことはできません。それに、生涯オリヴィエ様とハンネローネ様に仕えていく以上、ジャレッド様の愛人になる可能性もありますので、参考までに……」

「わかりました。そう言うのなら、しっかりと見て勉強しなさい」

「もちろんです」


 主従揃って覗き見している二人に気づいてしまい、ジャレッドとオリヴィエが揃って動きを止めた。

 彼女は自身がしようとしていたことをはっきりと自覚し、真っ赤になって震えると、


「お母さま、トレーネ! どうして覗き見なんてしているのよ!」


 誤魔化すように、怒鳴りだした。

 握っていた手が離れてしまい、少しだけ寂しさを感じてしまった。

 ジャレッドの視界の中では、守りたいと思った人たちが楽しそうにしている。

 真っ赤になって怒るオリヴィエと、言い訳するハンネローネ。しれっとしているトレーネ。

 三人が楽しそうにしているのを見て、一時的ではあるが守ることができたのだと実感できた。

 そして、ジャレッドは新たに決意をする。

 プファイルが暗殺組織ヴァールトイフェルの一員だった以上、これからも同じような強敵が現れるかもしれない。

 おそらく、組織に依頼した黒幕がはっきりするまで戦いは続くはずだ。アルウェイ公爵任せになるだろうが、側室のことまでジャレッドが調べることはできない。だが、協力を求められたら迷うことなく力になるだろう。

 少しでもはやく、オリヴィエたち家族が安心して暮らせるように。オリヴィエたちが幸せでありますように、と心から願う。


「ジャレッド・マーフィー! あなたもわたくしと一緒に文句ぐらいいいなさい!」






 この度、公爵家の令嬢の婚約者となりました。しかし、噂では性格が悪く、十歳も年上です。

 だけど、噂なんてあてにはならず、オリヴィエ・アルウェイは家族思いの女性でした。

 ジャレッド・マーフィーは彼女と、彼女の家族を守るためにこれからも戦います。





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[一言] オペラかなんかですか?
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