37.ジャレッド・マーフィーとプファイルの戦い3.
膨大な魔力を捧げられた精霊たちが干渉した地面が大きく隆起し、幾重もの刃と化して波のようにプファイルを襲う。
高密度に凝縮された魔弾が放たれ、風を切って一直線にジャレッドに向かう。
プファイルの矢は魔弾と呼ぶにふさわしい威力を持っていた。業物の剣を凌ぐほど、強固で切れ味のよい大地の刃を次々に貫き破壊していく。
だが、ひとつの刃を貫くごとに、失速し、威力が落ちていった。
砕かれた大地の刃が破片となってプファイルだけではなく、ジャレッドをも襲っていく。
すでに体を動かす気力がないジャレッドが障壁を展開する前に破片が体を傷つけていく。それはプファイルも同じであり、体のいたるところに破片が刺さる。
お互いに渾身の一撃を放ったため、動くことができず棒立ちだった。
大地の刃を砕き、破砕し、貫きながら魔弾がジャレッドに向かう。朦朧とする意識の中で、なんとか障壁を展開することができたジャレッドだったが、魔弾の勢いを殺すことができない。
さらに障壁を展開することで魔弾を受け止めようとしたが、すべての魔力を費やしても魔弾を受け止めることはできなかった。
魔弾は吸い込まれるようにジャレッドの体を直撃する。左肩を射抜き、後方の地面に突き刺さると爆発を起こし、大きな穴をあけた。
背後を振り返ったジャレッドは血の気のない顔をさらに悪くする。もし、体を貫通せず、矢が体にとどまれば自分の体は爆散していただろう。
障壁によってわずかに軌道がそれたことと、プファイルの渾身の一撃が想像以上だったこと。そして、矢という形状ゆえに貫通能力が高かったことがジャレッドを救った。
「……お前の、勝ちだ」
呟くような小さな声が聞こえた。
視線を真正面に向けると、砕かれながらも波となって襲いかかった大地の刃がプファイルに届いていた。
体中を斬り裂かれ、貫かれたプファイルは、縫い付けられたかのように壁と大地の刃に押し挟まれていた。
体中から血を流している姿を見て、よく意識を保っていられると心底感心する。
「最後の最後で、魔術師らしく、魔術を、使った、な……」
息も絶え絶えになりながら、どこか満足そうな表情を浮かべていたプファイル。
「お前に勝つには、大技に頼るしかなかった。だけど、お前の魔弾によって被害が少なくてすんだよ」
使うべきか悩んだ末に、周囲への被害を出すことをやむなしと思い大地属性魔術を放ったがジャレッドだった。だが、プファイルの魔弾は想像以上に威力があり、大地の刃の大半を破壊してくれたおかげで敷地内だけで被害は収まった。
「もう二度と住宅街で戦うのはごめんだ」
実は、アルウェイ公爵のおかげで周辺の住民は一時的に退去していた。
アルウェイ公爵家別宅であり、貴族の屋敷にしては小さいが、それでも十分に広さはある。隣接する屋敷もなく、道路を挟んだ数軒だけを巻き込まないようにすればそれでよかったのだが、この屋敷そのものを破壊してしまう恐れもあった。
ジャレッドは一度として、屋敷に向かって魔術を使っていない。常に屋敷を背にして戦い続けていた。
守るべき人たちがいる以上、わずかな危険すら排除したい一心だった。
「さあ、約束だ」
ショートソードを拾い、わき腹を押さえながら、体を引きずってプファイルのもとへ向かう。
身動きのとれないプファイルは逃げることもできず、だが、あがくこともしない。
切っ先を首に向けて、ジャレッドが問う。
「ハンネローネさまとオリヴィエさまを殺せと依頼した人間の名を吐け」
「残念だが、教えてやることは、できない」
「なぜだ! 俺が勝てば、明かすと約束しただろう!」
約束を違えるような人間に見えなかったが、プファイルも所詮は暗殺者なのかと落胆する。そして、それ以上にプファイルを信じた自分自身に怒りが込み上げてきた。
「約束はした、できることなら守りたい、だが、私は依頼人の名を知らぬ」
「そんな、馬鹿なことがあるか!」
息も絶え絶えに、まるで最初から言うつもりがなかったと思えるプファイルの言葉に、体の痛みを無視して怒鳴る。ジャレッドの怒りに連鎖して、つきかけていた魔力がうごめきだす。
プファイルを縫いとめていた大地に刃が粒子となって解け、体中が傷ついた暗殺者の少年は力なく地面に倒れ込んだ。力なく倒れるプファイルに馬乗りになると、襟首を掴んで再度問う。
「言え、誰が依頼した?」
「その女は、ヴァールトイフェルに依頼したのだ、ゆえに私は組織に従って行動しただけ、名前など知らない」
「――っ」
怒りに身を任せ、ショートソードを握った右手を大きく振りあげる。
「最後にもう一度だけ聞いてやる。依頼人の名を言え」
「アルウェイ公爵家の人間だ、それは間違いない」
「他には?」
「四十過ぎの、金髪の女だ」
「それだけじゃ、わからねえんだよ!」
「ヒステリックな一面がある……これ以上は、本当にわからない。すまない」
それだけで暗殺組織ヴァールトイフェルにハンネローネたちを殺せと依頼した黒幕を暴き出すことはできない。
必死に戦ったのはオリヴィエたちを守るためだった。今回こそ、勝利できたが、次の刺客に怯えなければならない。
そんな思いをオリヴィエたちにさせなければいけないことが、辛く悲しい。そして、申し訳なかった。
「――殺せ」
プファイルが呟く。
「躊躇うことはない。暗殺者として、敗北すれば、待っているのは、死だ。貴様に、有益な情報を、渡すこともできず、恥を晒したまま、生きていたくない。だから、殺せ」
「言われるまでもない!」
いっそ、望みどおりに殺してやろうと思ったそのとき、
「――駄目よ、ジャレッド・マーフィー」
ジャレッドの背後から聞き覚えのある声が届いた。
「オリヴィエ、さま?」
首だけ振り向くと、間違いなくオリヴィエ・アルウェイがそこにいた。
「どうして、ここに?」
ハンネローネとトレーネとともに屋敷の中にいるはずの彼女が、いつの間にどのような理由で、この場に現れたのか理解できなかった。
「あなたにはとても感謝しているわ。だから、もういいのよ」
静かに微笑み、傍に寄ろうとするオリヴィエに向かい、ジャレッドは声を荒げた。
「近づくな!」
「どうして?」
「まだ、暗殺者が死んでいない。近づけば、なにをされるかわからない。お願いだから、危険な真似はしないでくれ」
「わたくしが見る限り、あなたが組伏している暗殺者はもう身動きできないほど痛めつけられているように見えるけど?」
「それでもだ! 相手はヴァールトイフェルの暗殺者だぞ、こんなところにのこのこやってきて、あんたに危機感ってものはないのか!?」
守りたい対象が自ら危険地帯に現れたことで、今すぐにでもプファイルを始末しようと握りしめているショートソードに力を込める。
しかし、ジャレッドがプファイルに向けて振りおろそうとする前に、オリヴィエのか細い指が腕を掴んだ。
少しでも力を入れれば、彼女の制止など容易く振り払うことができる。傷ついた体でもそのくらいの余裕はあった。しかし、できなかった。
「なぜ、止める?」
「あなたこそ、なぜ殺そうとするの? 勝負はついているでしょう?」
「かもしれない。だけど、こいつは嘘をついた。依頼主を教えると言っておきながら、名前すら知らなかった!」
「それでも殺す必要はないわ」
「だから、なんでそうなるんだよ! オリヴィエの命を狙った暗殺者だぞ! いや、あんただけじゃない、ハンネローネさまのことも狙っていたんだ。トレーネが立ち向かえば、彼女だって害されていた。なのに、殺すなと言うのか? 生きていれば、こいつは必ずオリヴィエたちをまた狙うぞ!」
ひとつでも憂いを断ち切っておきたいジャレッドの中で、プファイルは殺す以外に選択肢はない。
まともな情報すら持っていなかった暗殺者を野放しにするほど、ジャレッドは馬鹿ではないし、甘くもないのだ。
「わたくしたちのために、あなたに手を汚してほしくないの」
「俺はもう人を殺したことがある。とっくに手は汚れている。今さらひとり殺した人間が増えても、俺はなにも感じない」
「そうだとしても、傷ついたあなたにそこまでしてほしくないのよ、ジャレッド」
オリヴィエはジャレッドの腕を掴んだまま、プファイルに視線を向ける。
「ねえ、あなたは依頼主に直接会っているのよね?」
「ああ」
言葉短く返事をしたプファイルに、オリヴィエは満足そうにうなずくと、
「なら、似顔絵を描く手助けにはなるでしょう。協力するつもりは?」
「敗者は、勝者に、従う」
「結構。ですってよ、ジャレッドがこの暗殺者を殺さなければ、お母さまとわたくしを狙う黒幕に一歩近づくわ」
「――っ、わかったよ。だけど……」
掴まれていない左腕で拳を握る。左肩に激痛が走るが、無視してプファイルの顔面にすべての力をつぎ込んで振り下ろした。
「ジャレッド!」
責めるような声をだしたオリヴィエだったが、プファイルを殺したわけではない。
「気を失わせただけだ。これで、今日はもう安心できる」
「なら、この人を近くに控えているお父さまの部下に引き渡すわ」
「……気付いてたのか?」
「当たり前でしょう。もっとも、わたくしがではなくトレーネが気付いたのだけどね。さあ、剣をおろしましょう。もう戦いは終わったわ」
言われるがまま、ジャレッドはゆっくりと手をおろし、ショートソードを地面に置く。
安堵の息を吐く、オリヴィエに手を握られて立ちある。
「怪我の手当てもしなければいけないわね。すぐにお医者さまを呼ばせるから、とりあえず――ジャレッド!?」
なぜか慌てて大きな声を出すオリヴィエを不思議に思いながら、ジャレッドは体から力が抜けていくのを感じた。
視界が傾き、体中に衝撃と痛みが走り、ようやく自分が倒れたのだと理解した。
ドレスが汚れることなどお構いなしにオリヴィエが体をゆすりながらなにかを言っているが、ジャレッドの耳には彼女の言葉が届かない。
涙を流しているオリヴィエに、泣かないで、と伝えたかったが虚脱感のせいで口を動かすこともできず、かわりに血に濡れた手で彼女の手にそっと触れた。
強く手を握りしめてくれたオリヴィエの体温を感じながら、ジャレッドは暗くなっていく視界を他人事に感じながら――意識を手放した。