35.ジャレッド・マーフィーとプファイルの戦い1.
オリヴィエから事情を聞き、守ると誓ったジャレッドは戦闘衣を着込んでプファイルを待ち構えていた。
屋敷の庭はすでにジャレッドが地精霊に干渉して直してある。
幸いまだ花畑は無事だが、今夜の戦闘でどうなるのかわからない。オリヴィエたちは、気にしないと言ってくれたが、ハンネローネが気に入っていた花々を駄目にしてしまうのは心が引けた。
すでに、日が傾きだしている。
オリヴィエはハンネローネとお茶を飲むことを名目に一緒にいる。トレーネも給仕としてそばに控えている。
昨日の今日で新たな冒険者が用意できるとは思えないので、大きな問題はプファイルのみだ。
だが、万が一を考え、今夜襲撃があることを公爵に伝えてある。同時に、応援はあくまでもハンネローネたちになにかが起きない限り待機に徹するだけにとどめておくようにも頼んである。
ありえないと思うが、アルウェイ公爵の応援に気付いたプファイルが逃げ出してしまえば元も子もない。無論、プファイル以外の暗殺者がいないとは限らないので、そこだけは厳重に目を光らせてもらっている。万が一、なにかが起きればすぐに応援が殺到するだろう。
今夜、決着をつけなければ、オリヴィエたちは暗殺者に怯える日々を過ごさなければならない。そんなことはごめんだった。
アルウェイ公爵も、プファイルがヴァールトイフェルの一員だと知ると、お抱えの騎士たちでは太刀打ちできないと判断した。あくまでも万が一に備えながら補佐に回ると苦渋の決断をしてくれた。
同時に、側室たちになにかしらの動きがないか見張ることにも力を割いてくれるそうなので、もしかすれば今日すべてが片付くかもしれない。
そんな期待を胸にジャレッドがプファイルを待っていると、日が落ちると同時に、音もなくプファイルがアルウェイ公爵別邸の庭へ降り立った。
「昨日ぶりだな」
「矢の毒も効かなかったようだな。存外しぶといらしい。だが、今日ここで貴様を仕留め、私は任務を遂行する」
ジャレッドと同じくプファイルも万全の状態ではなかった。昨晩負った火傷や裂傷が一晩で完治するはずもなく、体中に包帯が巻かれていた。黒衣も破れ燃えた形跡を残したままだ。
それはジャレッドも同じで戦闘衣は破け、穴が開いている。焼けた場所も多く、今回の一件を終えたら新調しなければならない。少し長めの黒髪も焼かれてしまったので散髪が必要だ。
「毒なんて仕込みやがって、死にかけたぞ」
「暗殺者に毒を仕込むななどとおかしなことを言うな。殺すために幾重にも仕掛けるからこそ、標的を確実に殺すことができる――のだが、貴様の存在は全てにおいて例外だ」
「そんなこと知るかよ。さてと、さっさと戦ってお前をぶっ飛ばしたいんだけど、一応最後通告をするぞ。投降するつもりは?」
「無論、ない」
そうだろうと思った、と内心呟くジャレッドに向けてプファイルが弓を構え、矢をつがえる。
「言っておくけど、今投降してお前に依頼した人物を教えれば悪いようにはしない」
「ヴァールトイフェルの名において、依頼人を売ることはしない」
「まあ、言ってみただけだよ。俺はお前を倒すって決めているんだ。オリヴィエさまに手を出そうとしたお前を許すことができない」
「ならば倒してみればいい。ヴァールトイフェルのルールは至極簡単だ。強さこそが全てだ。貴様が私を倒すことができれば、依頼人を明かそう」
プファイルの言葉に、ジャレッドは驚きわずかに目を見開いた。
正直、意外だった。暗殺者であれば死んでも依頼人を明かさない、そう思っていたからだ。
「驚く必要はない。我らヴァールトイフェルは強さこそすべてなのだ。ゆえに、貴様が私よりも強ければ、従おう」
「単純な奴らだ」
「その単純さゆえに、組織は長く続いているのだ」
「なら、俺のすることは変わらない。お前を倒す。そして、依頼人を明らかにして、罰を与える」
決意を新たにジャレッドはショートソードを構える。
ほう、とプファイルが声を漏らす。
「貴様は剣を使うことができるのか? 剣の一族ダウム男爵家の長男でありながら家督が継げないと聞いていたので、才能がないのかと思っていた」
「家督が継げないことと俺が剣が使えないことは別なんだけど、みんながお前みたいに同じこと思っているんだよな。俺の剣がどの程度なのか――戦えばわかるさ」
「ならば戦って貴様の技量を知ろう」
右手にショートソードを構え、左手には鞘を握る。ショートソードはオリヴィエが屋敷のどこから持ち出した使い手がおらず埃を被っていたものだ。決して業物というわけでもなく、どこにでも売っている一品だった。
手入れを怠っていたせいか、あまり切れ味はよくない。だが、それでいい。
「死んでも恨むなよ」
「それはこちらの台詞だ」
ジャレッドとプファイルは視線を合わせたまま、息を殺し互いの出方を伺う。
じりじりとブーツの踵を鳴らしながら、自らの間合いに相手を誘い込もうとする。
合図は必要なかった。
お互いを理解し合ったようなタイミングで二人そろって地面を蹴る。
第三者がこの場にいれば二人が消えたように見えただろう。目にも留まらぬ速さで二人が移動した。
金属音が鳴り響き、火花が散ったのは二人が立っていた中間地点だった。
ショートソードと鋼鉄製の弓が立て続けにぶつかり合い、音を立てて火花を散らし続ける。
お互いに最も得意な魔術と弓矢を使わない状態だが、速度と膂力は互角だった。
ジャレッドの左手に握られた鞘が剣のように振るわれプファイルに迫る。だが、プファイルは器用に上半身をひねりかわすと、右手に持っていた矢を突き出してくる。矢に毒が塗られていることがわかっているので、体に触れることは許されない。鞘で矢を叩き弾き飛ばす。
背から新たな矢を抜こうとするプファイルの胸部を蹴り飛ばすと、数歩後退した暗殺者に向かい、矢を構えさせるまえにショートソードを振るう。
ジャレッドの一撃は綺麗な弧を描くも、戦いで培ったプファイルの反射神経によって彼の肩から胸を軽く斬り裂くことしかできなかった。
黒衣と衣類が斬られ白い肌と傷口から流れた鮮血が覗く。
「やるな」
にぃ、と唇を歪めて笑うプファイルは、今までとは比べ物にならないほど早く背から矢を抜くと、弓につがえて放つ。
一度に一本しか放てない弓だが、彼の手には三本ある。一本放ち、続いて一本、さらにもう一本と間をおかずに連射した。
だが、ジャレッドも負けていない。ショートソードを振るい一本一本斬り落としていく。至近距離から放たれた矢でさえ、剣を持ったジャレッドにはもう脅威ではない。
「なるほど、それが本来の貴様の戦い方か?」
「そうだ。俺は剣士であり、魔術師だ。どちらも極めることができない中途半端者だが、戦いに困らない程度の技量があると自負している」
「現在の大陸ではあまり使われないが、貴様のような戦闘技量を持つ者を――魔剣士と呼ぶ」
「いいねぇ。その名前、もらった!」
戦っているのもかかわらず子供のように破顔しながら、ショートソードを振るい、さらに放たれた矢を斬り落とした。
「……埒が明かないな」
「俺とお前の実力はほとんど同じか」
「だが、貴様は魔術をまだ使っていない」
「俺が思うに、お前もまだなにかを隠している。だろ?」
質問に答える代わりにプファイルは笑った。
「やっぱりだ。じゃあ、お互いに本当のスタイルで戦って決着をつけよう」
「私が本来の戦闘方法を使うことはヴァールトイフェルによって禁じられている」
「それで死にたきゃどうぞ、ご自由に」
ジャレッドは不思議に思う。オリヴィエたちを狙う暗殺者であるプファイルとの戦いを楽しんでいることに。
思えば、こんなに苦戦する戦いは久しぶりだった。
飛竜の群れに囲まれて死にかけようと、数が多かっただけであり、一体の脅威はさほどではない。
戦いなど楽がいいに決まっている。難しい魔術は学び覚えても実際に使うのは、応用がきく単純なものが一番効率はいい。大技を使ってあっさり勝利などそうそうないのだ。
今までそれで乗り越えてきた。敗北も経験したことがあるが、死なずに、再度戦い相手を殺してきた。
だが、プファイルは違う。
自分の技量を確認できる対等な実力を持つ相手である彼となら、戦い続けることで己を鍛えられるのではないかと思えてしまい、もっと戦っていたいと思ってしまう。
「いや、貴様の――ジャレッド・マーフィーの強さに敬意を払い、ヴァールトイフェルの禁を破ろう」
「嬉しいことを言ってくれるな」
「事実だ。禁を破らなければ勝てないと思ったからこそだ。しかし、私が禁を破れば貴様の勝ち目はない」
断言するプファイルから驕りを感じない。彼は本当にヴァールトイフェルに禁じられている力を使えばジャレッドを倒すことができると思っている。
ジャレッドの本能がプファイルに力を使わせるなと言っている。だが、魔術師としてのジャレッド自身が、その力を見てみたいと叫んでいた。どちらを選択するべきか迷う必要はない。この時間が終わることを少し残念に思うが、ジャレッドの目的はオリヴィエたちを守ることだ。
自分の好奇心を優先して、彼女たちを危険な目に遭わせることはできない。
「なら、その力はやっぱりいいや。俺はお前を倒す。それだけは譲れない」
「奇遇だな。私も貴様を倒し、任務を遂行しなければならない。たとえ、ヴァールトイフェルの禁を破ってでも、だ!」
刹那、プファイルの体から膨大な魔力が立ち昇る。
その魔力量と質に、ジャレッドは絶句する。なぜ魔術を使わずに弓矢を使っているのか不思議なほど、プファイルの魔術師としての素質が高いことをはっきりとわかった。
完全に予想外だった事実に、ジャレッドは唾を飲み込む。例え、剣と弓の技量が拮抗していたとしても、自分の身を犠牲にしてでも無理やり殺しておけばよかったと後悔した。
「今、私は戒めを解いた。我らヴァールトイフェルは魔力に頼ることなく、己に技量のみで敵を殺さなければならない。おそらく、魔力を使った私はなんらかの罰を受けるだろう。だが、そうまでしなければ倒せない敵であるとジャレッド・マーフィーを認識した」
「光栄だ……」
「今まで一度も任務で使ったことはない。力加減ができないが――苦しまずに殺してやる」
ジャレッドは即座に対応できるように、自らも魔力を高め練っていく。
そして、
「魔弾と呼ばれた私の力を見せよう」
視界からプファイルの姿が消えた。