34.少女たちの願い.
レナードは反射的に近くにいた少女の腕を掴み、ジャレッドに向けて突き飛ばした。
「きゃっ」
短い悲鳴が聞こえるが、無視して部屋を飛び出す。
「おのれ……っ」
背中を見せなければならない現状に、苛立ちを覚えながら走り続ける。
あの場で戦うことは不可能だった。ジャレッドがなぜ魔術封じが施されている部屋で魔術を使うことができたのか不明だが、応戦しようとしても術式がきちんと機能しているのかレナードが魔術を使うことはできなかった。
「あのまま戦っていれば、私は今頃……」
意思を持たぬ石像と成り果てていることになっていたはずだ。その事実が許せない。
「れ、レナード様? どうなさったのですか?」
「ジャレッド・マーフィーがくるぞ、迎え撃つ準備をしろ!」
兵士たちの待機部屋に飛び込んできたレナードから発せられた声に、魔術師たちに動揺が走る。
なぜだ、という疑問から始まり、レナードに慌てように彼が若き宮廷魔術師から逃げてきたことを察した。
「あの、レナード様、奴のいる部屋は魔術が使えないはずでは?」
「使えない。実際、私は使えなかった。だが、彼は使った。おそらく、部屋に施した術式では封じられないほど魔力が強いのだ」
そうとは知らず不用意にジャレッドの魔力を全て解放してしまったことが最大の失敗だった。
魔術師たちが再び動揺する。彼らもまた魔術封じの部屋の効果を知っているのだ。
「静かにしろ。落ち着け。まずユーイング公爵を外へ避難させろ。護衛も数人つけるんだ、いいな。残りは私とともにジャレッド・マーフィーを叩く。アヴリルはどこにいる?」
「ご息女はまだ戻ってきていません」
「どこで遊んでいる、あのわがまま娘が……いや、協調性のない娘の力を借りるまでもない。戦う準備ができたものから私に続け」
「ところでマーフィーと一緒にいたはずの少女たちは?」
「残念だが無事ではないだろう。彼は正気を失っていた。ならば、今頃は」
沈痛な顔をするレナードに、一部の魔術師が怒気を発した。
その怒りはジャレッドにではなく、少女たちを見捨てて逃げてきたレナードに対してだ。反逆行為に加担している魔術師の多くは王立魔術団に所属する人間だ。しかし、他は貴族で構成されている。
だからこそ王家に楯突くことができたのだし、戦力も兵を維持する費用もなんとかなっていた。だが、そのことが今回は裏目に出ていた。
ジャレッドの妻として選ばれた少女たちのことを知る貴族は決して少なくない。貴族同士の付き合いで彼女たちが幼い頃から知っている者もいる。さらには彼女たちの家に使える魔術師もいるのだ。
ゆえに不測の事態とはいえ少女たちをジャレッドのもとへ置き去りにしたレナードに言葉にしなくとも、怒りを覚える人間は決して少なくなかった。
「最悪の場合は殺してしまっても構わない。あの少年をここから逃すな!」
魔術師たちから返事があっても文句はひとつも出てこない。この場にはレナードに異議を申し立てる権限のある人間はおらず、そんなことをするよりも少しでも早く少女たちの救出に行くべきだとわかっているからだ。
「私に続け!」
まさか兵が不満を抱いているとは微塵も考えていないレナードは、声高々にジャレッドを倒さんと向かうのだった。
※
「きゃっ」
レナードに突き飛ばされたミリナを反射的に受け止めたジャレッドは、精神の高ぶりを自覚していた。
魔力が解放されたゆえの高揚感からか、それともようやく戦うことができるからか。
「ジャレッド、さま?」
「君たちはこの部屋から出ないほうがいい。魔術封じが施されているなら、攻撃からも守ってくれるはずだ」
「ジャレッドさまはどうなさるのですか?」
「レナード・ギャラガーを倒す」
「――っ」
「なりません!」
言葉を失う少女たちの中で、唯一声を荒らげた少女がいた。
赤毛の少女ディアナ・ユーイングだ。彼女はユイーング公爵家の令嬢であり、立場だけならレナードよりも上になるかもしれない。
「邪魔をするな」
「いいえ、あなたはレナード様の恐ろしさをわかっていません。あの方は、ただ王立魔術師団の団長を務めているわけではありませんわ。単純な実力なら宮廷魔術師に匹敵、いいえそれ以上のはずです」
ユーイング公爵はレナードと親しい間に見えたが、娘は違うようにジャレッドの目に映った。
「ディアナさまの意見に同感です。ボクたちはレナードさまに魔術を教わったことがあるし、戦いを見たこともあるけど、言葉にできないほど強かった。もしジャレッドさまが戦うのならタダではすまないと思います」
ディアナに続き、レナードに指導された経験のあるルルア・アングラートもまたジャレッドを案じる。
彼女たちは純粋にジャレッドを案じてくれいているように感じた。
「心配してくれることはありがたいけど、奴を倒さないとここから逃げられないし、オリヴィエさまも救えない。相手が強いことは承知してるよ。かりにも王立魔術師団団長なんだ、舐めてかかることはない」
「ですが!」
ジャレッドは高揚したままの高ぶりの中で驚いている。まさか会ったばかりの少女たちがこうも自分のことを心配してくれるなど思いもしなかったのだ。
「ジャレッドさま、もし戦わずして逃げられるのであればお逃げください。なにも必ず戦うことなどないのです」
「ミリナ……」
「戦えばレナードさまだけではなく、わたくしたちの家の家臣やもしかすると父たちとも相対するかもしれません。ジャレッドさまがわたくしたちの家族を傷つけることも、その逆も嫌なのです」
「わかった。極力、レナード以外に害を与えないことを心がけるよ。約束はできないけど」
敵対するならば容赦することはできないだろう。しかし、今は心優しい少女たちのために嘘をつく。
「厚かましいと承知でお願い申し上げます。どうか父を、殺さないでください。父はレナードさまにいいように使われているだけなのです。責任がないとは言いません、すべてが終われば裁かれることも覚悟しております。ですが、命だけは奪わないでください」
そう深々頭を下げたのはディアナだ。彼女に続き、少女たちが次々と頭を下げていく。
この場にいる少女たちの大半が、家族のために望まない結婚を押しつけられた身だ。それでも受けたのは、ひとえに家族を見捨てることができない優しさを持っているからだ。
「わかった」
そんな彼女たちの懇願を無下にできず、ジャレッドは短くそう言うと、朽ちた扉の残骸をまたぎレナードを追った。




