29.囚われの身8. ジャレッド1.
ジャレッド・マーフィーは冷水を浴びて目が覚めた。
「強情だね、君は。もっと年相応のかわいげがあったほうがいいと思うのだけどね」
「……だま……れ」
声をうまく発することができない。
長い時間、水を浴びせられ続けたせいで体温と体力が揃って奪われていた。
眼前には名も知らぬ貴族の呆れたような笑みを浮かべる男がひとりと、顔色の悪い十代半ばの少女が二人。
「冷水を浴びせ続ける拷問は辛いよ? いくら君が宮廷魔術師になる実力があったとしても拷問まで慣れていないだろう。なぜ我慢する?」
「知る、か」
「もしやこのお嬢さんたちが不満かね? 君の妻となりたいと願う少女たちの中でも容姿、性格ともに優れた子を用意したのだが……さすがオリヴィエ・アルウェイ殿の婚約者と言うべきだね。いささか女性の趣味も特殊のようだ」
睨みつけてやりたかったが、瞼が重く意識が朦朧としてしまいできない。悔しさを抱く余裕すらない。
「ふむ。このままでは死んでしまうかもしれないから、一度中断しよう。君たち、彼の体をしっかり拭いてあげなさい。未来の妻ならそのくらいできるでしょう。私はレナード様にこれ以上の拷問は無駄だと報告してきます」
「は、はい」
男の命令に怯えたように少女たちが返事をした。少女たちは手に握っていたタオルを片手に、床の上で力なく倒れるジャレッドの傍へ。
二人掛かりで濡れていない床まで引きずると、上半身裸のジャレッドの体を力強く擦るように拭き始めた。
すでにジャレッドの限界は近い。三時間以上、魔術師が作った冷水を浴びさせられ続けたのだ。体力も気力も限界を超えていた。
向こうの要求はたったひとつだけ。少女たちと結婚し、子を作ること。それだけだった。しかしジャレッドは拒んだ。嘘でも、首を縦に振ることをしなかったのだ。
その結果が、拘束が腕だけにもかかわらず逃げることができないほど弱り切った姿だ。
「あの、大丈夫ですか?」
「ごめんなさい、わたくしたちのせいで……」
少女たちの心配と謝罪に返事をすることさえできない。
謝る必要なんてないと言ってあげたい。彼女たちの事情はすでに聞いている。魔術師至上主義を掲げる一族に生まれながら、魔力を持たない子供や、兄妹がいる。もしくは、両親が魔力を持ちながらも魔術師と呼ぶほどではないせいで組織内でも立場が危ういという。
それゆえに少女たちはジャレッドの妻となることを望み、家族のために少しでも役立とうとしているのだ。
いっそこのような組織など逃げ出してしまえばいいと思うが、それができるならとっくにしているだろう。実際、レナードのもとを離れた人間もいるらしい。
彼女たちは、いや、彼女の一族は逃げることもできず、魔術師としての才が薄いため怯えているだけなのだ。
先ほど、ジャレッドに紹介された少女たちだけではなく、他にも似た境遇の少年少女がいるらしい。
「シア、お湯を用意して」
「わかりました。お姉さま。お待ちください」
シアと呼ばれた少女が一度廊下に出るとカップをもって現れた。
「さ、ジャレッドさま、お飲みください」
カップから熱が伝わり、体が欲するが、手を伸ばすことさえできない。
「……ジャレッドさま、失礼いたします」
朦朧とする意識の中で、少女が自らの口にお湯を含み、ジャレッドの唇に己の唇を重ねた。
少しぬるくも温かい湯が口に流れ、喉を通っていく。
「んっ……がはっ、はっ……」
「慌てないでください。ゆっくりとお飲みください」
再び少女が湯を含み、ジャレッドの唇に唇を重ねる。
三度繰り返し、ジャレッドは少しだけ熱と落ち着きを取り戻した。すると、意識が遠ざかっていく。できることなら部屋に見張りがいない今こそ脱出のチャンスかもしれないが、この少女たちに責を負わせられるかもしれないと考え、断念する。
体力を回復させてから逃げよう。そう決め、暗くなる視界に身をゆだねていく。
薄れゆく意識の中で、
「隙を見つけて必ず逃がして差し上げます。それまでどうか辛抱してくださいませ」
そんな言葉を聞いた気がした。




