33.ジャレッド・マーフィーとオリヴィエ・アルウェイの気持ち2.
「意外だな、君もそうやって笑うんだな」
「失礼ですね。わたしだって笑うときには笑います。……人よりも表情が変化しないことは自覚していますが、喜怒哀楽くらいちゃんともっています」
無表情に戻ったトレーネだったが、声音は若干不機嫌そうだ。
彼女は一度咳払いをすると、話の軌道を修正した。
「脱線してしまいましたが、話を戻します。すでにお気づきかもしれませんが、私は魔術師です」
「うん、知っていたよ」
「ですが、訓練を積んだことはあまりなく、どちらかといえば対人戦の方が得意です。今までの襲撃者は雇われた冒険者ばかりでしたのでなんとかなりましたが、大陸一の暗殺組織であるヴァールトイフェルが相手となるなら、正直不安しかありません」
若干、謙遜していると思われるトレーネの言葉だが、初めて会ったときのことを思い返せば、魔術師としてよりも隠密性に長けていた彼女は――暗殺者に近い。少なくとも剣士、騎士という正道な技術の持ち主とは違う方向性の技量の持ち主だと思っていた。
ただ、魔術に関してははっきりとわからない。当初はあまり魔力を感じさせなかったが、探れば相当の魔力を感じることができる。
魔術師として十分にやっていけるだけの魔力量を保持しているのが伝わってくるが、トレーネ自身は得意ではないという。しかし、今まで屋敷を守ってきたことから冒険者に負けないくらいの実力はあるだろう。
ハンネローネを狙う黒幕だって馬鹿ではないはずだ。本当に三流程度の冒険者を雇えば足がつく可能性だってある。金で雇えるだけの高ランクの冒険者を雇っているはずだ。となれば、やはりトレーネが実力者だと推測できる。
「魔力に恵まれていることは自覚していますが、魔術に関しては力押しでしたので、いつかオリヴィエ様たちを危険に晒すのではないかと不安でした」
そんなときに、偶然にもジャレッドがオリヴィエの婚約者に選ばれた。トレーネにしては好機だったかもしれない。
「オリヴィエさまも気丈な方です。わたしを信用してくださり、襲撃されても一度も屋敷から逃げることはありませんでした」
「ハンネローネさまは襲撃に関して知っているのか?」
「ハンネローネ様のお部屋には防音魔術を施してありますので襲撃に関して存じていないと思いますが……」
言葉を止めてトレーネが目を伏せた。
「もしかしたらすべてをご存知なのかもしれません。その上で、必死にハンネローネ様に知らせまいと振る舞うオリヴィエ様を想い、知らないふりをしてくださっているだけなのかもしれません」
「そうか……」
笑顔を絶やさないハンネローネがジャレッドの脳裏に浮かぶ。あの笑顔の下で、娘が自分のために危険を顧みずに戦おうとしていることを知って、どれだけ胸を痛めているのだろうか。
なにも知らされていないことよりも辛い選択をしているのかと思うと、胸がしめつけられる思いになる。
「ジャレッド様には感謝しております」
「俺に?」
「この屋敷に住む危険を承知で、暗殺組織ヴァールトイフェルが雇われたことを知ってまで、オリヴィエ様とハンネローネ様のために戦おうとしてくださる、優しさと勇気に、わたしは心から感謝します。そしてどうか、ずっと孤独に戦っていたオリヴィエ様をお支えください」
トレーネが深く頭を下げる。
どこまでもオリヴィエたちを想う感情が痛いほど伝わってくるトレーネの言葉に、
「もちろんだ」
ジャレッドは決意を新たに返事をした。
改めて感謝の言葉を口にしたトレーネはするべきことがあると部屋をあとにした。
オリヴィエが戻ってきたら、しっかり話をしようとジャレッドは決めていた。探り合いはもう終わりにして、襲撃と忠告をされたこと、その上で屋敷にきたことを伝え、頼って欲しいと告げよう。
痛む体を動かして水を飲んでいると、包帯抱えたオリヴィエが部屋に戻ってきた。
「なにを動いているの?」
「喉が乾きまして」
「まったく。じっとしていなさいよ。子供じゃないんだからわたくしが戻ってくるまで我慢できなかったの?」
先ほどと変わらず不機嫌なままだが、それでも心配してくれるオリヴィエ。彼女の手を借りて、体をしっかり起こす。
「さ、包帯を変えるわよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、服を脱いで」
「え? いや、あの、ちょっと待ってください。自分でできます」
さすがにオリヴィエにそんなことをやらせるわけにはいかないと包帯を奪おうとするとが、ひらりと伸ばしたてをかわされてしまう。
「あら、婚約者に肌を見せることが恥ずかしいの? わたくしは平気だわ」
「……意外です」
「貴族の令嬢らしくなくて残念だったわね。もうその程度で恥じらう歳じゃないのよ!」
なんとも返事に困ってしまうことを堂々と言う人だと心底思った。
どうだと言わんばかりに胸を張っていたオリヴィエだったが、自分の発言に思うことがあったのか、失敗したとばかりに顔を引きつらせ、
「今の台詞はなかったことにしておいて。いいわね?」
と、有無を言わせない低い声を出した。
ジャレッドには言うまでもなく頷く以外の選択肢はなかった。
「さっさと包帯を交換するわよ。早く脱ぎなさい」
どうせ逆らえないと思い、観念してオリヴィエに従っていく。
ジャレッドの肌を直視したオリヴィエだが、先ほど自身が言った通り、特に恥ずかしがる様子もなく慣れた手つきで包帯を変えていく。
「手慣れていますね」
「トレーネがよく怪我をするのよ。あの子、変なところで不器用なところがあるから見かねて手伝っていたらずいぶんと上手くなったの」
その怪我はおそらく屋敷を襲う冒険者との戦いのせいかもしれない。
「オリヴィエさま、少しだけ俺と話をしましょう」
今のオリヴィエとなら話し合うことができる。そんな理由もない思いから口を開く。
「どんな話をしたいの?」
「俺は竜種の一件を解決したアッペルの町で、暗殺組織ヴァールトイフェルの暗殺者に襲撃されました」
オリヴィエがすぐそばで息を飲むのがはっきりと感じ取れた。
彼女に背中を向けているため、どんな顔をしているかまでは分からないが、包帯を巻いている手が震えているのをジャレッドは見逃さなかった。
「撃退に成功しましたが、忠告されてしまいました。あなたたちに近づくな、と」
「なのにわたくしたちの屋敷にきたのね。あなた、本当に馬鹿よね」
「ええ、馬鹿みたいです。でも、オリヴィエさまたちのことを放っておくことなんてできません」
「どうして? どうして、あなたとは縁もゆかりもないわたくしたちのために、危険を覚悟して守ろうとしてくれるの?」
「縁ならあるじゃないですか。俺はオリヴィエ・アルウェイの婚約者です」
「今は、冗談はよして!」
ジャレッドは決して冗談のつもりはなかったのだが、オリヴィエは納得いかなかったようだ。
「言葉にするほど大層な理由はありません。オリヴィエさまとハンネローネさま、そしてトレーネを守りたいから行動しているだけです」
「やはりあなたは馬鹿ね、大馬鹿よ」
「それに、アルウェイ公爵からも頼まれてしまいましたし、俺は脅されようが殺されようが引くつもりはないんです」
「お父さま、が?」
信じられないと呟くオリヴィエは、かつて自分の訴えを聞いてもらえなかったことを思い出しているのかもしれない。
「公爵もハンネローネさまを害そうとする人間がいることを存じていました。まあ、普通に考えれば当たり前ですよね。でなければ正室を別宅住まいにするはずがありません」
「それは、お母さまを蔑ろにしていたから……」
「本当にそう思いますか? ハンネローネさまを蔑ろにしていながら、あなたのために婚約者を探したりするでしょうか?」
「そんなこと、不良物件のわたくしをさっさと片付けたいのだわ!」
頑なに父親のことを信じられないオリヴィエが声を荒げた。
ジャレッドは彼女に言い聞かせるように言葉を重ねる。
「公爵は心からオリヴィエさまを愛しています。俺に、そう打ち明けてくれました。俺とあなたがうまくいっていると思って、本当に嬉しそうにしていました。ハンネローネさまを狙う者が大陸一の暗殺組織だとわかると顔を蒼白にしていました」
「わたくし、信じられないわ」
「でも事実です。今も公爵は、ハンネローネさまを狙う見えない黒幕を探すために行動しています。そのせいでオリヴィエさまとの関係がうまくいかないことも覚悟しているのでしょう。すべては愛する人を守るために」
別宅にオリヴィエとハンネローネを住まわせているのも、彼女たちを狙う側室たちの誰かの注意を引くためだ。正妻の立場のハンネローネが蔑ろにされていると思われれば、いずれ自然と現在の立場を失うと錯覚させることができる。そうすれば手を汚す必要はないと思わせることができる。
公爵は仮令娘に嫌われようと、愛する家族を敵から守るために苦渋の決断をした。
オリヴィエには理解できないかもしれないが、ジャレッドは理解できる。危険から少しでも離そうとした父親の愛情だ。
公爵の予想外だったのは、本来なら一緒に住まわせようとしていた家人や護衛をすべて拒否されてしまったことだろう。おそらく、陰ながら見守ってはいるかもしれないが、直接的な助けは本当の意味で危険になるまで行なわれないだろう。
手助けしてしまえば黒幕に陰ながら守っていることが知られてしまうからだ。
そういう意味では単身で戦えるトレーネの存在は大きい。そして、婚約者という名目で一緒に暮らすことのできるジャレッドも今後役に立つだろう。
ジャレッドとオリヴィエの婚約は偶然だったが、公爵はプラスに考えたはずだ。
すべては愛する妻と娘を守るために。
「オリヴィエさま、アルウェイ公爵は間違いなくあなたたちを愛しています」
オリヴィエはジャレッドの背中を抱きしめて涙を流した。背中に彼女の熱を感じ、声を押し殺して泣いているのを感じる。
「俺もオリヴィエさまたちを大切に思っています。出会いこそ偶然で、あまりいいものではありませんでしたが、俺はオリヴィエさまのことをおもしろい方だと思いました。ハンネローネさまに息子と言われ嬉しかった。あなたたちを大切に思っているトレーネだって俺は守りたいんです」
「……ありがとう」
「いいんですよ。俺はオリヴィエさまの婚約者なんですから。気にせず巻き込んでください。困っていたら助けを求めてください」
ジャレッドの言葉を受け、オリヴィエは抱きしめる力を強めて、押し殺していた声をあげて泣いた。
彼女の手にそっと手を重ね、握る。
「俺がいます。トレーネだっています。あなたはひとりじゃありません。だから、頼ってください」
「……う、ん。うん!」
今までずっと愛する母を守ろうという重圧に耐えていたオリヴィエの心が少しでも軽くなればと、ジャレッドは願わずにはいられなかった。