32.ジャレッド・マーフィーとオリヴィエ・アルウェイの気持ち1.
「おはよう。目が覚めたみたいね」
目を覚ましたジャレッドを迎えたのは、不機嫌な顔をしたオリヴィエだった。重いまぶたをこすろうと腕を動かすと体中に痛みが走る。
「急に動かないで。あなた、死にかけていたのよ?」
痛みに顔をしかめるジャレッドに呆れ顔を向けるオリヴィエは、眠っていないのか目元にうっすらと隈ができていた。
「死にかけて、いた?」
「ええ。あの襲撃者の矢には毒が塗ってあったみたい。もともと毒に耐性があったのか、血を流したことで体中に回らなかったのかわからなかったけど、トレーネが気付いて解毒してくれたからもう心配ないわ」
「ご心配おかけしました」
「心配なんてしてないわ! ――嘘よ。凄く心配したわ。本当に死んでしまったらどうしようって、あなたが目を覚ますまでずっと考えてたの! どうしてこんな無茶をしたのよ!?」
涙を浮かべ、突如怒りをあらわにしたオリヴィエだったが、彼女から心配してくれていることがはっきりと伝わってくる。
「オリヴィエさまたちを守りたかったんです」
「守ろうとして死なれてしまっては迷惑だわ」
「ですよね。反省しています」
「嘘おっしゃい。わたくしにはわかるわ。あなたはなにも反省していない。きっとまた無茶なことを繰り返すわ。その結果、必ず死ぬわよ」
「かもしれません」
「あなたが死んでしまったら悲しむ人はいないの? 友達は? ダウム男爵は? その人たちを考えてもなお無茶なことができる?」
もしかしたらオリヴィエも自分が死んだら悲しんでくれるかもしれない。そんな馬鹿なことを考えてしまう。
でも、きっと悲しんでくれるだろう。
まだ出会ってからわずかだが、噂と違って心根が優しいことくらいジャレッドにもわかる。多少、腹が立つことはあるけれど、強がろうとしているオリヴィエの仮面がそうさせているようにも感じていた。
恋愛感情ではないが、ジャレッド・マーフィーはオリヴィエ・アルウェイが好きだ。
彼女のためなら命をかけることを躊躇わないほど、好きだ。
オリヴィエになにかあれば、民に慕われるアルウェイ公爵と笑顔を絶やさないハンネローネも、そして彼女たちのそばにいるトレーネも間違いなく悲しむはずだ。そして、言うまでもなくジャレッドも。
「ただ、俺はオリヴィエさまを守りたいんです。あなたと、ハンネローネさま、トレーネを守りたかったんです」
「気持ちは素直に受け取っておくわ。でも、わたくしは、わたくしのせいであなたが死んでしまったら、一生自分のことを許せない。だから、お願い――危険なことはしないで」
懇願とも受け取れるオリヴィエの言葉に、ジャレッドは返事をすることができなかった。
大陸一を誇る暗殺組織ヴァールトイフェルのプファイルから、ハンネローネたちを守るために危険をさけるわけにはいかない。
戦えばどれだけプファイルが強敵かわかる。いくらジャレッドが大地属性という稀有な魔術師であったとしても、王都の住宅街にある屋敷の一角で対人戦に慣れた暗殺者を相手にすることは難しい。
戦えないことはないが、周囲に被害がでる可能性はあまりにも大きかった。大地属性魔術師の強力な魔術は地形を変えたり、周囲を巻き込んだりと、とにかく派手だ。そんな魔術を使ってしまえば、守りたい人たちを巻き込む可能性もある。
ゆえに昨晩は最小限の魔術のみで戦った。殺さないという制限をかけた上での本気だったが、殺すつもりで襲い掛かってきたプファイルと戦った結果が、今のジャレッドだ。
オリヴィエが乱入してくれなければ死んでいたかもしれない。
ならば、自分のなにかを削ることを覚悟しなければいけないと考えてしまう。魔術を十全に使うことはできない以上、ジャレッド自身を犠牲にしなければプファイルには勝てない。
「オリヴィエさま、俺は……」
「口約束すらできないのね……あなたのその正直なところは好きよ。でも、今は嫌いだわ。怪我をしているあなたに怒鳴りたくないから、替えの包帯をとってくるわね。ゆっくり寝ていなさい」
言葉に詰まったジャレッドに悲しげな表情を浮かべると、オリヴィエが部屋から出ていってしまった。
心から自分のことを案じてくれたオリヴィエに、嘘でもいいから返事ができなったことに胸が痛む。だけど、嘘をつくことは嫌だった。
自己嫌悪に陥っていると、部屋の扉をノックする音が聞こえる。
「どうぞ」
短く返事をすると、現れたのはメイド姿のトレーネだった。相変わらず無表情だが、先日まで感じていたわずかな警戒心を今は感じない。
なにか心情的な変化でもあったのかと疑問に思っていると、表情を変えずにトレーネが口を開く。
「今、オリヴィエ様が泣いておられました。なにかありましたか?」
「危険なことをするなと言われたけど、約束できなかったよ」
「――はぁ。嘘でもかまわないので、オリヴィエ様を安心させてください」
「あの人に嘘はつきたくない」
「結果、泣かせてしまっても、ですか?」
「ごめん」
責めるような視線に謝ってしまった。
だが、ジャレッドはやはりオリヴィエに嘘はつきたくなかったのだ。
「オリヴィエ様はジャレッド様のことをずっと案じていました」
「俺のことを?」
「はい。ジャレッド様が竜種退治に向かったときも、食事はもちろん睡眠を取ることができないほど心配なさっていました。昨晩もそうです。わたしがついていますと言っても、自分たちのせいでジャレッド様が傷ついたことにご自身を責め続け、一睡もせずにただ目覚めるのをまっていました。オリヴィエ様は不器用な面が目立ちますが、本当にお優しい方なのです」
彼女が優しいことはわかっていた。だが、竜種退治に向かった自分をそんなに案じていたとは知りもしなかった。昨晩のこともそうだ。心配してくれていたことはわかったが、まさか自分を責めていたなどと夢にも思っていなかった。
「わたしは思うのですが――ジャレッド様はもうすでにオリヴィエ様のご事情を知っているのではないでしょうか? ですから急に同居をお決めになり、襲撃者と戦った。違いますか?」
「全部は知らないよ。だけど、ハンネローネさまが側室たちに快く思われていないこと、そして狙われていることを偶然知ったんだ。だから、急いできた。できればオリヴィエさまから話してもらいたかったから聞いてみたけど、はぐらかされたよ」
「どうして事情を知ったのですか? アルウェイ公爵様からお聞きになりましたか?」
「いや、違う。ヴァールトイフェルに襲撃されて忠告されたんだ」
「――っ」
はっきりとトレーネが息を飲んだのがわかった。
「知っているのか?」
「まさかヴァールトイフェルまで動かすとは、本気でハンネローネ様とオリヴィエ様を亡き者にするつもりなのですね、側室様は」
「誰が黒幕か心当たりは?」
「残念ですが、どなたも怪しいのでわからないのです。昨晩も、ジャレッド様がヴァールトイフェルの襲撃者と戦っているときに、奴らとはまた別の人間が屋敷へ侵入しようとしていました。わたしはジャレッド様に襲撃者をおまかせし、そちらを捕縛しましたが、ただ金に雇われた冒険者でした」
プファイルとの戦いの裏でそんなことが起きていたなど知るよしもなく、ジャレッドは驚きを隠せなかった。まさか大陸一の暗殺組織をおとりに使うなど、贅沢な作戦だと思う。そして、また冒険者か、と内心で悪態をついた。
「トレーネに怪我は?」
「三流の冒険者程度に後れを取りません。ですが、申し訳ございませんでした。ジャレッド様が戦っていた人間が、まさかヴァールトイフェルの一員とは思いもせず、お助けに向かうべきでした。冒険者を倒したあと、わたしはハンネローネ様の部屋でお守りしていたので……」
「怪我がないならいいんだ。俺はオリヴィエさまとハンネローネさまももちろん、トレーネのことだって守りたいと思っているから」
「わたしも、ですか?」
無表情だったトレーネの顔がわずかに動く。おそらく驚いたのだろう。
「だって、俺はオリヴィエさまにトレーネも家族だって言われているから、俺はこの屋敷に住む全員を守りたいんだよ」
「……ジャレッド様は、この屋敷に住まわれる危険性をおわかりになったと思います。その上でまだ、守りたいと思ってくださるのですか?」
「当たり前だろ。どうしてそんな簡単に気持ちが変わると思うんだ?」
むしろ、なぜ今も守りたいのかと問われたのが疑問だ。
想いは変わらない。オリヴィエを、ハンネローネを、そしてトレーネも、みんなのことを守りたいとジャレッドは心から思っている。そして、ハンネローネを狙う黒幕を暴き、彼女たちに平穏が訪れるまで変わらないだろう。
「なるほど、そうなのですね」
「なにが?」
「ジャレッド様はお優しく、そしてお人好しなのだとわかりました」
目に見えてはっきりと表情を変えて、トレーネは笑った。
 




