4.囚われの身1.
ジャレッド・マーフィーは太陽の光が差さない薄暗い部屋にいた。ランプの灯りがなければ視界はすべて闇に覆われてしまうだろう。
日中は暑くなっているにも関わらず部屋の中は肌寒い。
「気分はどうだい、ジャレッド・マーフィーくん?」
「最悪だね。よくも俺の前に顔を出せたな……必ず殺してやる」
「なんとでも言えばいい。今の君は囚われの身なのだから」
魔術師が好んで着るローブを纏った、中年の男性の声に忌々しく顔を歪めた。
男の言う通り、ジャレッドは囚われの身である。
婚約者オリヴィエ・アルウェイが人質になっているからという意味もあるが、文字通り鎖によって拘束されているのだ。
どれだけ力を込めても、天井と腕を繋ぐ鎖はビクともしない。辛うじて立っていることはできるが、抵抗しないようにと前もって痛めつけられた体ではいつまでもつかわかったものではない。
「まさか前国王の私有地に反逆者どもの隠れ家あるとは思っていなかったよ」
「他ならぬ私が、この地の管理者だからね。王宮も魔術師協会もそうそうに気づくことはできないさ」
自慢するかのように胸を張る男は、ジャレッドの記憶が正しければ――ユーイング侯爵だ。息子が王立魔術師団の幹部であり、親子そろってギャラガー伯爵家と親しかったはずだ。
神経質めいた細身の顔に眼鏡を着用した彼は、息子と違い魔術師ではないと記憶している。
「いずれ明らかになる。この国も、魔術師協会もお前らを捜しだすはずだ」
「かもしれない。しかし、そうなったら戦えばいい。王立魔術師団はこちらの味方である以上、騎士団など敵ではない。唯一の懸念である宮廷魔術師たちも、すべてそろっていないため王族や公爵家の警護に使わざるをえない。ならば、こちらのほうが優勢にことをすすめることができる」
「お前たちは、こんなことをしてなにが目的なんだ……国に逆らってまで、なにをしたいんだ?」
抵抗することができないのなら、少しでも多く会話をすることで情報を引き出したかった。
「国王はよい王ですが、魔術師への理解が少ない」
「たったそれだけの理由なのか?」
「それだけ? 君も魔術師なら、いいや、君ほどの魔術師ならもっと評価されるべきだ、もっと地位を望むべきだ。そう思わないのかな?」
「思い上がるな。俺たち魔術師は、特別な存在なんかじゃない。他に人たちと変わらない、ただの人間だ」
「残念だよ、ジャレッド・マーフィー。君はどうやら非魔術師たちによって洗脳されてしまったようだ」
心底憐れんだ瞳を向けられたそのとき、部屋の暗がりに光が差す。
扉が開き、三人の男が入ってきた。
ひとりはユーイング侯爵と同じローブを羽織った中年の男性。もう二人は王立魔術師団の隊服を着た青年だった。
「ユーイング侯爵、そろそろいいかな。未来の義弟との会話を楽しむのは構わないが、あなただけを特別扱いするわけにはいかないのだよ」
「これは申し訳ない。いささか気がはやっていました」
「構いませんよ。さて、君、始めてくれたまえ」
「はっ」
ローブの男が顎をしゃくると、団員ひとりジャレッドの前に立つ。
彼はなにかを確かめるように、ジャレッドの体と鎖を触れていく。
「問題なく起動していると思われます」
「ならば結構。さて、ジャレッド・マーフィー殿、君は現在魔術が使いたくても使えない状態だ。ゆえに親切心から助言しよう。無駄な抵抗をすることなく、我々に従うべきだ」
男の言う通り、ジャレッドは魔術が使えない。それどころか、魔力が一切感じ取れないのだ。おそらく、この部屋か、自分を繋ぐ鎖によって封じられているのだろうが、そのような技術があることなど知らなかった。
「今までユーイング侯爵と会話ができていたのだから、返事くらいしたらどうかね?」
ジャレッドは、天井から伸びる鎖に繋がれた腕に力を込めると、体を浮かせて足を薙ぐように振るった。
鞭のようにしなる蹴りは、近くにいた王立魔術師団員の頬骨を砕く。そのまま狭い部屋の壁に激突し、動かなくなった男に目を向けることなく、
「これが返事だ」
淡々と男に言い放った。
「き、貴様っ!」
控えていたもうひとりの団員が、ジャレッドに激高し拳を振り上げる。
防御することもできずされるがまま殴られてしまうが、憤る団員など無視して男を見据え続ける。
「やめよ。見苦しい」
青い顔をするユーイング侯爵と違い、名も知らぬ男が短くもはっきりした声を団員に発すると、ピタリと動きが止まる。
「し、しかし……」
納得できかね恐る恐る反論するも、
「二度は言わぬよ。レナード殿が最大の敵と称した彼が、魔術が使えないからといって簡単に油断した者が悪い。そのような愚か者は我々には必要ないのだよ」
「……申し訳ございませんでした」
憮然としながらも団員はゆっくりジャレッドから離れていく。
口に溜まった血を吐きだすと、男が一歩ジャレッドに近づいた。
「君が蹴り倒した彼は王立魔術師団の中でもそこそこの使い手だったのだが、いやはや見事だよ。しかし、もう二度と抵抗はしないほうがいい。今回は見逃すが、次におかしなことをすればオリヴィエ・アルウェイの安全は保障しない」
「その意味がわかっているのか?」
「というと?」
「オリヴィエさまになにかあれば――俺が我慢する理由はなくなるんだぞ」
「だろうね。だからこそ彼女は丁重に扱うと約束しよう。君も、もう馬鹿な行為はしないと約束してくれ」
「お前たちが約束を守るのなら、今は従ってやる」
「ならば結構だ。オリヴィエ・アルウェイの安全は、この私――ラングリッジ公爵家当主、クラレンス・ラングリッジが約束しよう」
思わず絶句してしまった。
まさか目の前の男が、公爵家の人間だったとは夢にも思っていなかった。
ラングリッジ公爵家は、他の公爵家に比べると目立ったものをもたない一族だ。しかし、公爵家では珍しく魔術師を輩出することから、王立魔術師団をはじめ魔術師協会にも血縁者が所属している。
「なるほど、あんたの関係者があちこちにいるせいで情報が筒抜けだったのか」
「一族以外の人間にも協力者はいると言っておこう。誰もが、現在の魔術師の境遇を憂いている同志だよ。願わくは、君にも同志になってもらいたい」
「ごめんだね」
リュディガー公爵領の出来事をはじめ、各地で情報が正統魔術師軍に渡っていたのはラングリッジ公爵家の力であったことを知ると、納得もできた。
王家に次ぐ地位を持つ公爵家が反逆者たちに加担しているのなら、味方も集まりやすいだろう。
今までリーダーはレナード・ギャラガーだと思っていたが、捕らわれたことで彼よりも地位がある人間を見つけることができた。
だが、今はなにもできないのが悔しい。
「君ならそう言うだろうと思っていたよ。なに、時間はある。いずれ気持ちも変わるだろう。だが、その前にすることがある。待ちに待った顔合せだよ」
「顔あわせ、だと?」
「君は知っているかな。我が一族やユーイング侯爵家をはじめ、いくつかの家が君の側室に娘を宛がいたいと考えていた。しかし、残念なことにアルウェイ公爵家の小娘によってすべて拒まれてしまったよ。あの一族はどうしても君を独占したいらしい」
オリヴィエやアルウェイ公爵が自分の独占を考えていないことはわかっている。言うまでもなく勝手な憶測だ。
同時に、そのことを伝えたとしてもラングリッジ公爵が納得しないこともわかっていた。
「今ここに邪魔者はいない。存分に、我が娘たちと会ってもらいたい。将来、君の子供を産む、妻たちだよ」
「まさか、あんた……俺に」
「察しがいい子は好ましいね。そう、君にはまずその血筋を残すために、優れた妻を娶ってもらおう。喜びなさい、全員が器量よしだよ」
ラングリッジ公爵の言葉に、これからなにが起こるのか理解したジャレッドは顔を蒼白に染めるのだった。




