36.友人不在の学園9. 危機、激突、王立魔術師団6.
クリスタ・オーケンは、大穴の空いた校舎の壁から聞こえる生徒たちの悲鳴を無視して、床に倒れるラーズの傍らへ膝を着いた。
意識こそ失っているが呼吸は整っていることに安心の息を吐く。制服が破れむき出しになった背には、鞭の裂傷と炎のせいで火傷を負っている。
「ごめんね、ラーズくん」
必死になって自分のことを守ってくれた友人に、胸の温かさを覚えるが、同時にそれ以上の罪悪感が湧く。
もっと早く戦っていれば、正体を知られることを恐れずに行動していれば、彼が傷つかずに済んだのだと思うと胸が痛い。
「あれ?」
気づけば瞳から大粒の涙がこぼれていた。
涙はラーズの頬に流れ落ちる。
「……クリスタ、逃げろ」
意識を失ってもなお案じ続けている友達想いの王子に、
「ありがと、ラーズくん」
泣きながら笑顔を浮かべ、感謝の気持ちを口にした。彼が起きていたら告げることができないから、意識のないいまだこそ、ありったけの感謝を込めた。
「見つけたぞっ!」
だが、そんな時間はあっという間に終わることとなる。
顔を上げれば、怯えと怒りを宿した王立魔術師団員が二人、クリスタたちを見つけ向かってきている。
「よくも副団長を――」
「その命で償え!」
一切の躊躇いなく、魔術を放とうと魔力を高めた団員たちに向かいクリスタは迷う。
どれだけ早く行動しても距離があるため発動を阻止できない。ならば攻撃ではなく、防御に徹するべきか、それとも――。
戦闘経験が少ないクリスタの思考が止まる。最善を選択できないまま、硬直してしまった。もうすでに遅い、身体能力強化魔術を発動することも忘れてラーズを守ろうと彼の体に覆いかぶさった。
だが、
「私のかわいい生徒をこれ以上傷つけさせるわけにはいかないかなぁ」
どこか面倒くさそうで、眠たそうな声とともに、魔力を帯びた水が鞭のように暴れた。水鞭は意思を持つ蛇の如く暴れ狂い、魔術を発動させんとしていた団員たちを薙いだ。
吹き飛ばされた団員に信じられないと目を大きくしたクリスタの耳に、ヒールで床を鳴らす音がゆっくりと近づいてくるのが聞こえる。
「キルシ、先生?」
「ああ、キルシ先生だ。助けにきたぞ――遅れたようだが、ここからは任せてもらおう」
恐る恐る振り返ると、担任教師のキルシ・サンタラがいた。
いつも通りくたびれた白衣を羽織り、銀縁の眼鏡の下には寝不足のせいで目元に隈を作っている。手入れを怠った紫色の髪は肩口で切りそろえられているが、ボサボサだ。
クリスタのよく知る、面倒くさがりで研究だけしていればそれでいいと豪語するキルシに思えたが、瞳が違う。明確な怒りが浮かんでいた。
「そこの馬鹿王子と一緒に動くなよ」
「……はい」
「いい子だ。さて、よりにもよって子供を襲ったクソッタレども。職員室どころか、研究棟まで団員を寄こしやがって――さすがに頭にきたぞ」
魔術によって生み出された水鞭の先端が、大蛇となり威嚇する。
起き上がった団員は、キルシに向かい忌々しげに叫んだ。
「なぜ、お前が――こんなところにいるんだ!」
「はぁ? そりゃ、私がここの教師だからだ。見ればわかるだろ?」
とてもじゃないが外見は教師に思えないが、今そのことを指摘する人間はこの場にいない。
「う、嘘を吐くな。なにが教師だ、――宮廷魔術師第二席賢人サンタラがなぜ学園にい、っだぁああああああああっ!」
言葉を最後まで言わせずに、水蛇がうなりをあげて団員を打った。絶叫をあげて体を浮かせた男は、壁に激突し、力なく倒れる。
「うわー、簡単に私の正体を言いやがって。ちっ、秘密にしていたのに。まあ、いいや。うん。切り替えは大事だからね。まあ、じゃあ、とりあえずうちのかわいい生徒に手を出したんだから――お前ら王立魔術師団は全員死ねよ」
面倒そうに間延びしていた声が、氷のごとく冷たく変化した。
刹那――王立魔術師団員の四肢が飛んだ。
つんざくような絶叫がほとばしり、廊下に木霊する。いっそ殺してくれたほうが慈悲があった。
続いて、倒れていた団員のほうに近づくと、意識を失っていることを確認して、腕を足でへし折る。
よほど強く打ちつけたのだろう、本来なら激痛で起きるはずだが、不幸中の幸いというべきか男は目を覚まさなかった。
不幸にも意識がある状態で四肢を失った団員は、勢いよく失血したせいでもう痛みを感じていない。それどころか意識が朦朧としていた。ただし、先ほど垣間見たキルシの感情の籠らない冷徹な瞳を忘れることができず、失血死するまでの短い間――恐怖に体を震わせ続けるのだった。
「キルシ先生が、宮廷魔術師? それも、第二席なんて」
「大したことなんてないない。教師以外だとラーズ馬鹿殿下以外は知らないんじゃないかな。お前も言ったらだめだぞ。とくにジャレッドにはね」
「なぜですか?」
「あとでびっくりさせたほうが――おもしろいだろ?」
屈託なく笑うキルシはとても今しがた残酷な方法でひとりの命を奪ったとは思えなかった。
とてもじゃないが宮廷魔術師第二席には見えなかった。しかし、クリスタは確かに感じた。
一瞬だけ高めた魔力の強さと総量。魔術で生みだしたとはいえ水に意思を与え、自在に操って見せたこと。いくらクリスタが特殊な魔術を使えるとしても、戦って勝てるかと問われれば否だ。
キルシ・サンタラの底がとてもわからなかった。




