35.アルメイダとラスムス.
「――っ」
アルウェイ公爵家別宅に居候しているジャレッド・マーフィーの師匠アルメイダは、屋敷の主であるハンネローネ・アルウェイと竜王国の姫璃桜とお茶をしていたが、屋敷に近づく懐かしい魔力に気づき、彼女らしからぬ冷静さを欠いてしまい、思わず椅子から立ち上がる。
「どうしたのじゃ、アルメイダ?」
「用事を思いだしちゃったからごめんなさい。私の留守を任せていいかしら?」
「もちろんじゃ! 妾が家族を守ってみせるぞ」
むんすっ、と鼻息荒く意気込む璃桜に笑顔を浮かべ頭をなでると、桃色の髪の髪を揺らしてハンネローネに頭を下げた。
「奥様、申し訳ございませんが、用事がありますので屋敷を少しだけ離れさせていただきます」
「ええ、ごゆっくりなさってね」
「ありがとうございます。屋敷の結界は維持できていますし、戦力として璃桜ちゃんがいてくれるので安心かと思います。できるだけ早く帰ってきますが、なにかあったらすぐに逃げてください」
正直に言えば、いくら竜とはいえ幼い璃桜を残して屋敷を離れることに不安はある。
屋敷を守ってほしいと託された愛弟子はもちろん、発展途上だが強者の仲間入りをしているヴァールトイフェルの後継者二人もいないため、少し躊躇いが生まれている。
家族を持たないアルメイダにとって、この屋敷に住まう人たちは大切な家族である。 しかし、今も感じる懐かしい魔力は無視することができなかった。
後ろ髪を引かれる思いで一礼すると、幼い外見を持つ彼女は屋敷の外へ出た。
「よかった――きてくれたんだね、アルメイダ」
「……やはり貴方でしたか、ラスムスさま」
そこには忘れることのできないかつての主がいた。
「まさか貴方が私の前に現れるなんて、それも呪詛に侵された少年を連れて」
「すぐに気づいたんだね。さすがはアルメイダだ。ならば危険を冒して君の前に現れた理由はわかるだろ。頼む、彼を助けてくれ」
「この子……話に聞いていましたが、魔人にしてしまったのですね」
「そうせざるを得なかった、今はそれだけしか言えない。頼む、ドリューくんをどうか助けてくれ」
少年を抱えたまま膝を着き願う、かつての主の姿にアルメイダは頷くほかなかった。
さすがにハンネローネたちが住まう屋敷に彼らを上げるわけにもいかないため、王都にいくつか確保してある隠れ家に案内する。
簡素なベッドにドリューの体を寝かせると、素早く触診する。服を脱がせれば、体に痣のように黒く変色した部分が見つかった。
「だいぶ時間が経っているようですね……」
「ああ、君の前に私が知る呪術師に見せて回ったんだが、すべて無駄に終わってしまったよ。いや、それだけならまだしも、呪詛の浸食を早めてしまった」
「相当の使い手だと見ました。私と同等か、下手をすればそれ以上かもしれません。その呪術師は何者ですか?」
「詳しくは知らないんだ。まさかレナード・ギャラガーの娘があれほどの使い手だったとは……油断していた、違うな、見下していた」
「――レナード・ギャラガー? まさかとは思いますが、この国の魔術師をまとめているあのレナード・ギャラガーですか?」
手を止め、声音を変えたアルメイダに、ラスムスが自らの失言を悟る。
秘密を守る約束をしたゆえに協力者となったが、付き従ってくれているドリューに対する仕打ちを考えると、馬鹿らしくなった。
いずれ向こうもこちらの存在を誰かに明かすはずだ、と諦める。
「君の言うレナード・ギャラガーで間違いない」
「ラスムスさま――貴方は今、なにをしているのですか? すべてお話してくれると約束してくださらなければ、この子を治療しません」
「すべては話そう、だから頼む――彼を、ドリューくんを救ってくれ」
「約束しましたよ?」
「僕だって約束を守るくらいの分別はあるよ。彼を頼む」
返事の代わりにアルメイダは苦しむ少年に向かい魔力を流し込む。呪詛の治療方法は現代ではないに等しい。そもそも呪詛そのものが少ない。多くの場合が、ダンジョンや呪いの品から不意にかかってしまうものだ。
呪術師を名乗る者もいるが、その多くがアルメイダの足下にも及ばない者たちばかり。中には、解呪を得意としている魔術師もいるようで、おそらくラスムスが頼ったのはその誰かだ。
――私の前に顔を出せない理由はわかるけど、もっと早くきてほしかったと思わずにいられないわね。
内心舌打ちをしたくなった。それほど、ドリューを蝕む呪詛は強力だったのだ。現代でこれほど強い呪術を見たことはない。
「ドリューくんは助かるかい?」
「ええ――助けます。私の呪詛でこの子の呪詛を相殺します。正直、久しぶりの解呪となるのですが、私にも呪術師の矜持がありますので」
「頼もしいよ。いつだって君はそうだった。ワハシュくんもきっと変わっていないんだろうね」
「彼も昔のままですよ。ラスムスさまのよく知る、彼です」
「なら――きっとワハシュくんは今も僕を殺そうとしているだろうね」
命を狙われていると自覚している少年は、嬉しそうに笑う。
「はい。そのためにヴァールトイフェルを作り、多くの兵を集めました。貴方を必ず殺すために」
「ふふっ、嬉しいな。彼は本当に、昔と変わらない。長い時間を生きていると変化は訪れるものだけど、変わらないものを見つけると昔を思い出すよ」
「ラスムスさまもあの頃とお変わりなく――残念です」
笑みを浮かべるラスムスに対し、アルメイダは悲し気だ。
呪詛を解除するための疲弊とは別に、表情が悲しみに歪んでいるのは決して気のせいではないだろう。
「アルメイダ・シュタイン――君こそこの長き時間の中でどう変わったかな? 弟子を取り、家族同然に愛し愛されていると知ったときには嬉しく思ったのに、君はこうして僕の前に入る」
「貴方が助けを求めたからです」
「うん。それには感謝している。でも君は断れたはずだ。断らせなかったが、断ろうとする意志を見せることはできたはずだ。少なくとも昔の君ならそうしていたと思うし、拒絶されるだけの理由が僕にはあるので文句は言えない」
「かもしれません。ですが――私は変わりました。ジャレッドと出会い、生まれ変わったのです」
アルメイダの言葉に、やはりラスムスは嬉しそうに微笑むとタオルを手にして汗を流すドリューの額を拭う。
「それでいいよ。君は変わるべきだ。もう僕のことなど忘れて、ワハシュくんとは違う道を進むべきだ。誰かに愛され、誰かを愛し――幸せになってほしいよ、かつての婚約者アルメイダ・シュタイン」




