30.ジャレッド・マーフィーの決意3.
その日の夜。オリヴィエたちと夕食を終えたジャレッドは、自室で浅い眠りについていた。
寝息を立てていたジャレッドだったが、突如目を覚まし、ベッドから飛び起きる。
「やっぱり、今夜だったか」
昼間、敷地内に施したトラップに何者かが引っかかったことを魔力を通じて知ったのだ。すぐに戦闘衣に着替え、武器を装備すると部屋の窓から飛び降りた。
侵入者は三人。その内の二人が茨に絡みつかれて捕縛されている。
「お前の仕業か」
侵入者の目の前に着地したジャレッドに、静かだが威圧する声がかけられた。
「ヴァールトイフェルだな?」
「いかにも」
月明かりに照らされた襲撃者は、揃った黒衣をまとっているが、唯一拘束されていない者だけがひとり違う。
それは、黒衣のフードをかぶっておらず、背に鏃の入った筒を背負、左手に弓を持っていた。
月光を反射する青い髪から覗く瞳は鋭く、まだ幼さを感じる少年だった。
ジャレッドよりも年下の少年が暗殺組織ヴァールトイフェルの一員であることに驚くが、暗殺組織では幼少期から暗殺者になるために過酷な訓練を強いると知識でなら知っていた。
罠にかからなかったことから少年が相当な使い手であることを推測する。ヴァールトイフェルの暗殺者は、誰もが他の組織の比ではないほどの使い手であると聞く。ならば、ジャレッドは相応の覚悟をして戦わなければならない。
ジャレッドはあくまでも魔術師であり、魔獣やときには人間とも戦うが、戦闘のスペシャリストではない。なによりも殺すことに特化した暗殺者と違い、まだ殺しを躊躇ってしまう人間性が残っているのだ。
この違いは大きい。
殺すことを躊躇う者と、躊躇わない者では攻撃ひとつでも違いがはっきりとでてしまう。
「なんのようだ、なんて聞くのは野暮か?」
「構わない。我らヴァールトイフェルは依頼を受け、ハンネローネ・アルウェイの殺害を行う。可能であればオリヴィエ・アルウェイも殺害し、邪魔をするなら貴様も殺す」
殺すと明言した以上、戦う以外の選択肢はなくなった。
「誰の依頼なのか言うつもりは?」
「無論、ない」
「今、俺がお前に依頼を辞めてほしいと依頼できるか?」
「できない」
「だよな。聞いてみただけだよ」
だが、戦わずに解決できるならそのほうがよかった。
オリヴィエたちを守りたいが、依頼を受けたとはいえ自分よりも若い少年と戦うことは躊躇われた。しかし、結果は戦うしかない。そんな現実が嫌になる。
「逆に私からも聞きたいことがある」
弓使いの少年が問う。
「なぜ、忠告したにもかかわらず我らの前に立つ? お前は、立場上こそオリヴィエ・アルウェイの婚約者だが、数日前に突然選ばれただけだ。にもかかわらず、我らの前に立ちふさがるのか?」
自分の立場も知っていることから、やはりアルウェイ公爵が睨んだ通りにハンネローネをよく思わない側室の仕業なのだろう。
夕食の間も笑顔を絶やすことがなかったハンネローネの生命が悪意ある理由で脅かされていることが我慢ならない。
そんな母を守ろうとしているオリヴィエがついでとばかりに生命を狙われていることが許せない。
今にも怒りを爆発させて少年に襲いかかりたい衝動が体内で疼くが、必死に堪えて平然を装う。戦う前から冷静を失えば、勝利することはできない。
自分が死んでも魔術師だと思われるトレーネがまだいるが、彼女だけで本当にこれからも守りきれるとは限らない。
ゆえに、ジャレッドは負けられない。
「語るほどたいした理由なんてないよ」
「ならばなぜだ?」
「簡単だよ。俺は、娘想いの母親にも、母想いの娘にも、二人を守るメイドにも死んでほしくない。ただ、それだけだ」
「理解不能だ。貴様の行動は私の理解の範疇外だ」
「人の気持ちなんてそんなものだ。他人にはわからないものだよ」
わかってもらおうとも思わない。ジャレッドが大陸一の暗殺組織ヴァールトイフェルに立ち向かう理由は、ひとえにオリヴィエたちを死なせたくない、たったそれだけの理由からだ。
ジャレッド自身が自分の身を犠牲にしてまで誰かを守りたいと思ったことが初めてなので、他人に理解されるわけがない。
「お互いに会話もできたところで、そろそろ戦おうか?」
「望むところだ。しかし、その前にするべきことがある」
少年がそう言い、拘束されている仲間に視線を移す。
「なにを――っ」
仲間を救おうとするつもりなのかと問うとしたジャレッドが慌てた。拘束されている暗殺者たちが口元から泡を吹いて痙攣していたのだ。明らかに毒性のものを摂取した者の症状だ。
「俺は毒なんて使っていないぞ!」
殺してしまえば情報を聞き出すことが不可能であるため、あえて捕らえようと事前に保険をかけていたのだ。
戦って捕縛するのは難しいかもれない。だからこそ、魔力を消費することを覚悟で捕縛用の罠を張ったにもかかわらず、捕縛に成功した者がこうして死にかけている。
「貴様が毒を使わないことは知っている。二人は自ら毒を飲んだ。私には死を見届ける義務がある」
「助けないのか?」
「こうなったのは自身の責任だ。我らヴァールトイフェルは仲よし集団ではない、暗殺組織だぞ。情報漏えいを防ぐために自ら死を選ぶことは決して珍しいことではない」
体の痙攣が静まり絶命した仲間二人に、少年は目を伏せて黙祷する。
そして、鏃を手にして弓をジャレッドに向けて構えた。
「時間をくれたことには感謝するが、手加減するつもりはない。お前を殺し、標的も殺す。私のするべきことは変わらない」
「なら、俺はお前を倒し、情報を聞き出すまでだ」
「やれるものならやってみればいい」
少年は、唇を釣り上げて挑発的な笑みを浮かべた。そこに、仲間の死を悼む感情はない。
「名乗れよ、暗殺者。俺はジャレッド・マーフィー。魔術師だ」
「私はプファイル。暗殺組織ヴァールトイフェルの一員である暗殺者であり、弓使いだ」
お互いに名乗り終えたと同時に、地面を蹴った。
ジャレッドは前に向かって駆け、プファイルと名乗った少年は矢を放ちながら後方に跳んだ。
抜いたナイフで矢を斬り落とす。次の矢が放たれる前に、仕留めようとナイフを投擲する。
プファイルに向かって直線に放たれたナイフは、弧を描くように振られた弓によって叩き落されてしまう。だが、本命はナイフではない。
魔力を練り、精霊に干渉する。
「精霊たちよ、我に力を与えたまえ――」
短い詠唱のみで、黒曜石の槍を十本生み出すと、一本を手に取り構え、九本を一本ずつ放っていく。
黒曜石の槍は意志を持つと錯覚してしまうほど、プファイルに向かって襲いかかる。彼が何度かわしても、追尾し続ける。
目的はあくまでも捕縛。そして情報を聞き出すこと。
殺すつもりはない。体力を消耗させて、捕らえ、自害させなければジャレッドの勝ちだ。
だが、プファイルもヴァールトイフェルの暗殺者の名にふさわしく、槍を矢で撃ち落とし、破壊し、数を減らしていく。
地面に落ちたまだ使える矢を回収しながら行う姿はまさに熟練を感じさせた。
槍を破壊する合間に、隙を伺いながら矢を放ってくるプファイルの技量はまさに一流であり、油断すればあっという間に射抜かれてしまいそうだ。
ジャレッドは再び魔力を練り上げ、精霊に干渉する。
大気中にいる精霊たちに願い、水のムチを生み出すと、持っていた黒曜石の槍を投擲すると同時に持ち替えてムチを振るう。
変幻自在に襲いかかる水のムチが、プファイルの逃げ場を奪い追い詰めていく。
敷地内を縦横無尽に駆け巡っていたプファイルだったが、次第にその機動性が落ちていくのが目に見えた。
冷静だった少年の涼し気な顔に焦りが浮かんでいる。対してジャレッドには余裕があった。
単純に戦うだけの技量ならプファイルの方が経験もなにもかも上だ。しかし、ジャレッドは魔術師であり、足りないものを魔術で補うことができる。
水のムチだけでは飽き足らず、数多の火球を宙に生み出し続ける。
ムチの一撃は地面を砕き、一度でも当たれば骨折だけではすまさない威力を持っていた。ジャレッドが自ら振るうことで、操作に魔力を消費される量も少なく、なによりも直撃を避けることができる。
数分の攻防で壁際までプファイルは追い込まれ忌々しげにジャレッドを睨んだ。
「いくらお前の技量が優れていても、矢では魔術に勝てない。投降しろ」
五十を超える火球を並べ、いつでも放てるようにしたジャレッドが通告するが、プファイルは静かに弓を構え、新たな矢を添える。
投降するつもりがないと判断したジャレッドが、いっせいに火球を放った刹那、
「我らヴァールトイフェルを侮るな。魔術の対処などいくらでも可能だ」
笑みを浮かべて一本だけ矢を放った。
たった一本の矢は、火球に触れたと同時に、爆発し、轟音を鳴らして爆風を生んだ。
ジャレッドはもちろんのこと、プファイルもそろって至近距離から爆炎を受けともに吹き飛ばされてしまう。
ジャレッドは地面に叩きつけられ何度も跳ねるが、途中で体制を整えることに成功する。しかし、
「――あ」
爆炎の中から三本の矢が襲いかかり、一本は頬をかすめ、一本は左肩に刺さり、最後の一本は左足の太ももを射抜いた。
バランスを失い倒れたジャレッドが目にしたのは、黒衣と肌が焼かれているにもかかわらず炎の中で弓を構えたプファイルだった。
「鏃に爆薬を仕込んだのか……」
「正解だ。だが、気づくのが遅い。私の勝ちだ、魔術師」
プファイルの勝利宣言と同時に放たれた矢は、倒れて身動きが取れないジャレッドを射抜いた。