25.オリヴィエ・アルウェイとリリー・リュディガー 5.
「わがままを言っている自覚はあるのよ。まだ三ヶ月と少ししか一緒にいないから、わたくしたちの関係もこれからだということも。だからこそ――怖いの」
「オリヴィエ・アルウェイがなにを怖がるというんだい?」
「たった三ヶ月よ。春に出会って、いくらたくさんのことがあったからとはいっても、時間だけを考えればリリーとたいした差はないのよ?」
年上の幼なじみの弱音に合点がいく。
オリヴィエとジャレッドは間違いなく濃い日々を過ごしてきただろう。だが、時間にしてみれば半年にも満たない。これから、という長い目で見れば、リリーを含めこれから出会う誰もが同じに考えられるのかもしれない。
十年後に振り返ったとき、オリヴィエもリリーも同じく十年前と一言で済んでしまう。
年下の婚約者と出会ったのが少し早いだけ――それが公爵令嬢の不安だった。
ジャレッドにとってオリヴィエが特別であることは変わりないのだから、そんなことをいちいち気にする必要なんてない。そう言っても聞きはしないだろう。乙女心とはそんなものだ。
「君は――本当にジャレッドを愛しているんだね」
「そうよ。愛しているし、独占欲だって強い自覚もあるわ。こんな女に引っかかってジャレッドもかわいそうよ。でも、もうわたくしは彼なしでは生きられないわ」
依存というには弱いが、単純な愛よりも強いオリヴィエの想い。以前の、頑なに家族以外を誰も近づけないようにしていた彼女はもういないとわかる。
ようやく家族愛以外の愛情を知り、頼ってもいいのだと安心できる異性にも出会えたのだ。
かつてのオリヴィエはもうおらず、弱くなってしまったとも見える。だが、それでいいのだと年下の幼なじみは安心する。
もう無理をして強い真似をしなくてもいいのだから。母を守ろうと、女性であることを押し殺して、幸せを犠牲になくてもいいのだ。
「でもね、それ以上に――ジャレッドが誰かに取られてしまうのではないかと心配なの。そして、そんなことを考えてしまうわたくしのことが嫌になるわ」
「それでいいんだと思うよ。誰もが愛情を知れば、愛する人と出会えば、きっと同じようなことを考えるはずだ」
リリーだってそうだ。ジャレッドの一番ではなくてもいいと口で言いながら、最愛の婚約者を羨ましく思ってしまう。
「貴族って嫌よね。どうして側室なんて制度があるのかしら」
結局のところ、オリヴィエは怖いだけ。
側室が増えることによって、婚約者の心が自分から離れていくのではないかと不安なのだ。
訪れるはずがない「もし」にただただ怯えているのは――ひとえに初めて手に入れることができた愛情を逃がしたくないから。
「ねえ、オリヴィエ。君と話していて、わたしは自覚したよ――ジャレッドにひとりの異性として愛情を抱いているんだって」
「……わかっていたわ」
脈絡もなく自らの想いをはっきり告げたリリーに驚くことなく返事をする。
恋愛初心者であることは二人そろって変わらない。もし、出会いが違っていたら、リリーがジャレッドの愛情を受けていたかもしれない。
「嫌なら嫌だとはっきり言ってほしい。なあなあとされるほうが辛い」
「そうね――でも、わたくしが駄目だといって諦めるような性格はしていないでしょう」
「酷いな、一応分別はあるよ。でも、そうだね。君たちの関係は壊したくないけど、同じくらい諦めたくないな」
想い人への愛情と、幼なじみへの羨望を自覚した以上、取り繕うのはやめた。
今日こそが最後のチャンスだと思い、隠すことなく打ち明けていく。
「わたくしはリリーのことが好きよ。わたくしのせいで一度は疎遠になってしまったけれど、こうしてまた会うことができて嬉しいわ。もしも、あなたが心からジャレッドのことを愛しているのなら――拒絶はしないわ」
「正直、驚いているんだけど――いいのかい?」
散々、嫌だと言っていた彼女の言葉とは思わず、幼なじみを丸くした目で見つめる。
「嫌だと言ってやろうと思っていたのだけれど、言えなくなってしまったわ。本当は頭で理解しているのよ。ジャレッドを支えるのなら、あなたのような人間が必要だと。でも、わたくしのわがままな気持ちのせいで……ごめんなさい」
それだけではない。側室が、それも同じく公爵家から増えることを考えると、かつての母の苦労が思い浮かぶことも間違いない。それだけ辛い時間を送ってきたのだ。
「謝る必要なんてないよ。普通のことさ。誰だって未来に不安になるはずだよ」
気づかう幼なじみの優しい声に「ありがとう」、と呟き感謝する。
わがままを言うことでリリーを傷つけているかもしれないという罪悪感もあるが、それ以上に心中を打ち明けてくれる彼女に対し、自分も偽りなく感情を吐露したかった。
自分たちは幼なじみであり、対等だ。ジャレッドをめぐることでも、堂々としていたい。――そう願っている。
奪われる不安、離れていく恐怖はあっても、立ち向かおうとしているのだ。
「あなたには感謝しているわ。あなたのおかげでわたくしは自分の感情を自覚して、向きあうことができたわ。きっとジャレッドにも、リリーが必要だと思うの」
「それって……」
「でも、もう少しだけ時間をちょうだい。他ならぬジャレッドを置き去りに、これ以上話を進めたくないの。それに――あなたも、わたくしではなくジャレッドに想いを直接言うべきだわ」
オリヴィエは己の胸に巣くう感情をすべて抑え込み、言った。
自分のためではなく、愛する少年のためにリリーを受け入れた。実に大きな進歩である。
「――ありがとう」
幼なじみの覚悟に、リリーは涙が溢れそうになった。
不意打ちだ。ずるい。と泣いてしまう。
オリヴィエはジャレッドを愛しているし、大切に想っている。だが、長年の友人である自分のことも大切に想ってくれていることをリリーは知った。
あとは後悔することなく、リリー自身が行動するだけだ。幸い、時間だけならまだたくさんある。
「ほら、泣かないの。わたくしもあなたも少しずつ前に進みましょう」
「――うん、うん! ありがとう、本当にありがとう」
「いいのよ。公爵家の令嬢が、下着姿になってまでジャレッドを人肌で温めてくれたお礼もしたいと思っていたもの」
刹那、ときが止まった。
流していた涙が凍ったように止まり、代わりに冷や汗が出てくる。
――落ち着け、リリー・リュディガー。わたしはなにもやましいことはしていないっ!
自らを叱咤して、先日の食人鬼と立ち向かった以上の気力と勇気を胸に幼なじみの顔を見る。
「――あ、はははは、知ってたのかい?」
「ええ、知っているわ。ジャレッドがいつ打ち明けてくれるのか待っているの」
とりあえず笑ってごまかすことにした。――が、笑い声だけが虚しく部屋に木霊するだけ。
蛇に睨まれた蛙のごとく、汗を流し、胸を鳴らしていると、不意にオリヴィエが張りつめていた空気を壊して苦笑した。
「冗談よ。命を救ってくれた処置に、嫉妬したりしないわ。ごめんなさい、少しだけからかってみたかったの」
おそらく、オリヴィエなりに空気をかえようとしてくれたのだろう。が、心臓に悪い。
「ジャレッドのことを怒らないでほしい。救命措置だったし、きっと彼も言い辛いんだと思う」
「怒ってはいないわ。ただ――」
「ただ?」
「打ち明けようとしてわたくしのことをおっかなびっくり伺っているジャレッドがかわいくて、知らないふりをしているのよ」
「うん。やっぱり君は性格が悪いや」
自分のよく知るオリヴィエも健在だ――。
婚約者の怯える姿を見て悦に浸っている幼なじみに、ついついため息がこぼれる。これもひとつの愛情だと思うと、愛ってなんなんだろう、と思う。
こうして、ジャレッドの知らないところで公爵家の令嬢同士が話し合った結果、リリー・リュディガーが彼の側室になるかどうかは、他ならぬ本人次第と言うことになったのだった。




