13.眠れぬ夜.
ヴァールトイフェルの後継者のひとり、プファイルは夜の王都を駆けていた。
色素の薄い水色の髪を風に揺らし、軽快に民家の屋根を音もなく蹴る姿は、暗殺者というよりも風と遊ぶ精霊のよう。
戦闘衣を着こみ、弓を片手に矢筒を背負った彼だが、別に戦闘に向かっているわけではない。
アルウェイ公爵家別邸で暮らすようになってから欠かさず行っている、周辺の警戒だった。はじめは本当に屋敷の周りだけを。次第に範囲を広げていく。今では王都の中心部を時間こそわずかだがこうして自らの足を使い、気にしていた。
「……私らしくもないな」
毎夜、同じ言葉を繰り返している。
もともと時間を持て余して始めたことだった。不思議と、ヴァールトイフェルの長ワハシュからの任務がなくなったのだ。それは同じ後継者であり、ワハシュの娘であるローザ・ローエンも同じこと。
彼女は気にしておらず、これ幸いと気配を消して公爵家の末息子の様子を見にいっているようだが、個人的な行動を咎める気はなかった。
プファイルは今の生活が気に入っていた。ジャレッドたちと出会い、はじめて平穏な暮らしを手に入れたと言えるだろう。今まで過ごしてきた日々が不幸だと嘆くつもりはなく、ヴァールトイフェルを捨てたいとは微塵も思わないが、幼いころ否応なく暗殺者になる選択をし、愛する家族を失ったことを考えれば――ここ三ヶ月の間は夢のようだ。
「やはり、私らしくない。だが、それもいいのかもしれない」
屋根を蹴り高く跳躍すると、月明りに照らされてプファイルは小さく微笑んだ。
少なからず自分に変化があった自覚はある。気づけば屋敷で暮らす人たちを守りたいと思うようになっていた。だからこそ、こうして屋敷を中心に王都に気を配っているのだ。
すでに今夜も盗みを働いていた男たちの足を矢で射抜いている。一件、平和に見える王都も軽犯罪が多く、ときには脈絡もなく人が死ぬこともある。
暗殺者だが、好んで人を殺したことがないプファイルにとって、罪のない人間が理不尽な目に遭うことは見逃せなかった。おそらく、これも変わったせいだろう。
「――ん?」
視界の中に、気になるものが映る。
屋敷の二階から窓を開け外を眺める女性の姿があった。
プファイルは多くを考えずに足を向ける。そろそろ屋敷に戻る時間だったが、構わない。
足に力を込め、大きく跳躍すると、女性が覗く窓のすぐそばに立つ大木の枝に降りた。
「え? ――きゃあっ!」
女性は突然現れたプファイルに驚きの声を発し、部屋の中に尻餅をついてしまう。
「驚かせてしまったな。すまない」
だが、声に聞き覚えがあったのか、立ち上がると恐る恐る窓を再び覗く。
「……その声は、プファイル殿、ですよね?」
「私のことは呼び捨てで構わない」
「あ、はい。では私のこともエルネスタとお呼びください」
女性――エルネスタ・カイフは王立魔術師団に所属する優秀な魔術師である。一度は、驚いたものの、すぐに冷静を取り戻していた。ただし、なぜ彼が現れたのか疑問を抱く。
「偶然あなたのことが目に入った。眠れないのか?」
「はい。リュディガー公爵領から戻って三日になりますが、未だなぜ外で倒れていたのか思い出せなくて。あの、私のことを助けてくれてありがとうございます」
「礼はもう聞いている。記憶がないことが不安か?」
エルネスタは首肯した。
屋敷に戻ってきた彼女は、まるで思い出せない記憶に不安を覚えていた。家族には言えない。心配をさせてしまうのは嫌だった。一度、医者に見てもらいもしたが、外傷はなく、体になにも問題がないことから精神的なものではないかと言われてしまう始末だ。
「もしかしたら覚えていないわずかな時間に――私になにかあったのではないかと考えると恐ろしいのです」
「なににそう怯える? 医者はなにもないと言っているのだろう?」
「わかりません。私自身、どうしてこんなにも怖いのか……」
記憶がないことが心配で、なぜこんなにも不安に駆られるのかわからず怖い。
言葉にできない直感が、まるで警告を鳴らしているようだとエルネスタがはじめて弱音をこぼした。
「私は日課として住まわせてもらっている屋敷を中心に見回りをしている」
「えっと、はい。お疲れさまです」
「そうではない。もし、あなたが望むのであれば、不安を覚えた夜は今日のように窓を開けておくといい」
「それって……」
「ひとりで抱えていても、不安は大きくなるらしい。私でよければあなたの話を聞こう」
自分でも柄ではないことを言っている自覚があった。だが、なぜかエルネスタをこのまま放置することができなかった。
今までであれば、勝手に悩んでいると一蹴していたかもしれない。いや――そもそもこのように彼女を見つけたからと声をかけることもなかったはずだ。
思えば、リュディガー公爵領で倒れているエルネスタを見つけてから、気づけば気にかけていることを自覚する。
「ご迷惑ではないでしょうか?」
「迷惑だと思っていれば、提案などしない。もちろん、数える程度しか会話をしたことがない私に不安を話すことは不安かもしれないがな」
「いいえ、そんなことは……」
むしろ関わりが少ないからこそ話せることもあるとエルネスタは思う。だが、彼の好意に甘えていいものかと迷う。
「私はあくまでも提案しただけだ。強制するつもりはなく、無理やりあなたの不安を聞きだそうとも思わない。無論、あなたが私になにかを言っても口外するつもりもない」
「どうして私を気づかってくれるのでしょうか?」
「さあ――私にもわからない」
不思議そうに笑うプファイルを見て、エルネスタは頷く。魔術師としての直感が、いやエルネスタ・カイフという人間の直感が、彼なら大丈夫だと言っている。
「窓を開けていれば、今日のようにきてくれますか?」
「必ずとは約束できないが、可能な限り」
「では、窓を開けておきますね」
「それはあなたが決めることだ。では、今夜はもういこう。眠れそうか?」
「ええ、こうして話ができたから気が楽になりました。今夜は眠れそうです」
「ならばよかった」
まだ十代半ばほどの少年の声は優しく穏やかだった。
「おやすみ――エルネスタ・カイフ」
耳に心地よい声がそう言うと、音もなく少年の姿が消える。
しばらく彼の姿を探すも、気配すらない。まるで最初からいなかったのではないかと思うほど、静寂に包まれていた。
プファイルが消えてしまったことを少し残念に思いながら、いつしか胸に宿る不安が小さくなっていたエルネスタは窓を閉めようと手を伸ばすと、
「おやすみなさい」
届かないはずの声を、もしかしたら聞いてくれているのではないかと期待して呟く。
窓を閉め、ベッドに戻ると不思議と穏やかな眠りにつくことができた。
――この日から、エルネスタ・カイフとプファイルは日課のように夜、顔を合せ他愛ない会話をしていくことになる。




