43.ジャレッドとリリー.
ひと眠りしたジャレッドが再び目を覚ますと、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「おや、目を覚ましたようだね。今、食事を用意させるから待っていてほしいな」
ベッドの傍らで、椅子に腰をかけ厚い本をめくっていたリリーは、立ち上がると廊下にでていく。しばらくすると、食事をもって現れた。
ずっと食べていなかったせいか、匂いが鼻孔を刺激し胃が動く。
「消化にいいものを作ったんだよ。野菜のスープと、パンだけで申し訳ないけど、いきなり重いものをたくさん食べるのはよくないからね。今は、このくらいで我慢してほしいな」
「これ、リリーが?」
「そうだよ。言動からよく驚かれるけど、家事は得意なんだ。オリヴィエと同じだね。さあ、こっちにきて」
テーブルのほうに招かれジャレッドはベッドに起き上がる。先ほどとは違い、今は寝間着姿だ。自分で着た記憶はないので、誰が親切にしてくれたのかは――考えないことにする。
「リリーたちは?」
「わたしたちは先にいただいたよ。さあ、食べて」
「ああ、いただきます……うまい」
大きくカットされた野菜と、出汁がよく効いたスープが胃の中に広がる。空腹な胃を刺激しないよう、ゆっくり味わいながら食べていくとテーブルを挟み対面に腰をおろしていたリリーがにこにこと表情を緩めてこちらを見ていた。
「どうした?」
「ううん、ジャレッドさまが美味しそうに食べてくれて嬉しいな、って」
「思ったんだけどさ、別に――ジャレッドさまなんて呼ぶ必要はないんだよ?」
「いいの?」
「本来の話し方に戻してるのに、俺だけさまづけにされていてもなぁ」
アリーとして最初に会ったときは、今ほどフランクではなかった。そのため、ジャレッドも彼女を「アリーさん」と呼んでいた。しかし、「リリー」の本来の性格は気さくであるため、わざわざ堅苦しくしてもらう必要はないと思ったのだ。
それに、ジャレッドも彼女のことをリリーと呼び、気さくに接しているのだから同じようにしてほしい。
「じゃあ、ジャレッドと呼ばせてもらうね。もちろん、公私の区別はつけるよ」
「そりゃどうも」
「ふふっ、実を言うともっと気楽に接したかったんだ。せっかく君に本来のわたしを晒したんだから、もっと距離を縮めたかったんだよ。それに、君はわたしのことを公爵家の娘として扱わず、あくまでも秘書官リリーとして扱ってくれるからね、嬉しいんだ」
出会ったときは少し違和感があった。なにかを隠しているとさえ思った。実際、経歴などが隠されていることは彼女自身から訊いていたが、まさか言動まで偽っているとは思っていなかった。
今はもう違和感はない。目の前で笑う、年上の彼女こそリリー・リュディガーだとわかったからだ。
「実を言うと、正体を明かすときにはもっと親しくなってからか、本格的に側室入りしたいという気持ちが固まってからだったんだ」
「あー、そういう話を今されても正直困るんだ。ここにはオリヴィエさまもいないし、家族もいない。俺だって、この場で決めるつもりはないし、考えることもしたくない」
リリーには申し訳ないが、結婚に関することを考えることは苦手だ。オリヴィエとイェニーだけで限界だと感じるときがある。イェニーはあくまでも妹分として態度を変えないので楽ではあるが、異性として意識し始めたオリヴィエとの生活の毎日が大変だ。
そこに彼女を側室にするなどと無責任なことを言えるわけがない。それは、婚約者たちにも、リリーにも失礼だ。
「うん。わたしも今は無理に側室の話をしなくてもいいかなって思うよ。君と話をする前に、おっかないオリヴィエと話しあわなければならないと思っているからね」
どう返事をすればいいのかわからず、曖昧に笑うことにした。
彼女にジャレッドの困惑が伝わったのか苦笑されてしまう。しかし、すぐに表情が変化する。
「あのね、エルネスタのことで君に聞いておきたいことがあるんだけど、いいかな?」
「ああ、いいよ」
「どうして彼女には、わたしのように接することができないのかな? どこか壁がある気がするんだ」
「それは――俺が彼女の兄を殺したからだ。殺さなければ殺されていたのは俺だけど、それでも家族を奪った相手が、奪われた相手にどう接すればいいのか正直わからない」
リリーも事情は知っているはずだ。それでもあえて訪ねてきたのは、なにかしら思うことがあるからかもしれない。
確かに壁はある。自覚もしている。だが、バルナバスのことをなかったことにはできない。ジャレッドの中では、理由があり回避できない結末であったとしても、エルネスタとの関係は加害者と被害者であることが前提なのだ。
「負い目があることは理解できるけど、君がもう少し態度を柔らかくしてあげないと彼女も歩み寄れないと思うんだ。わたしの目から見て、エルネスタは君を恨んでいない。家族を亡くした喪失感と悲しみのせいで感情が不安定なだけだと思うよ」
「だったらどうすればいいんだ?」
「エルネスタ、と名前を呼んであげてほしい。わたしのことをリリーと呼んでくれたように」
「努力してみるよ。今はこれだけしか言えない」
「ううん、それだけで十分だよ。エルネスタはいい子だ――おっと、年上の人に失礼かな? でも、本当にそう思うんだ。だから力になってあげたいし、君との関係がよいものになればいいと思っているよ」
リリーの言葉を受け、ここにはいないエルネスタのことを考える。
今は無理でも、いつか亡きバルナバスを繋がりではなく、ジャレッドとエルネスタ個人の関係になることができれば、きっと素晴らしいだろう。
恨みは抱かれたままでいい。罪悪感も抱き続けるかもしれない。それでも、彼女としっかり向きあうべきだと、リリーの言葉を受け強く思う。
「今は深く考えずに、ただエルネスタの名前を呼ぶ――そのくらいでいいと思うよ。さて、話しているうちに食事も終わったようだね」
すべて食べ終えたのを確認し、満足そうにうなずくと、彼女は箪笥から衣類を数枚取りだしてジャレッドに手渡す。
「君の戦闘衣はあちらこちらが破けているから新しく新調したほうがいいんじゃないかな。今は、兄上のものを着てね」
「ありがとう。戦闘衣は考えてみる」
「宮廷魔術師になれば新たな戦闘衣も支給されるようだし、それまでの繋ぎが準備できればいいと思うよ。じゃあ、わたしは食器を下げてくるから、着替えておいてね」
「なあ、リリー」
「うん? どうかしたの?」
部屋をでていこうとした彼女を呼び止め、立ち上がったジャレッドは小さく頭をさげる。
「色々とありがとう。食事、美味しかった。ごちそうさま」
「ふふっ、どういたしまして。じゃあ、またね――ジャレッド」
わずかに頬を赤くしたリリーは、嬉しそうに名を呼び捨てにして微笑んだ。




