42.目覚めとハプニング.
温かくも柔らかい温もりを感じながら目を覚ましたジャレッドは、自身が生きているのだと知った。
魂まで凍りつきそうな冷気の中、どうして一命を取り留めているのか疑問に思う。
命だけではなく、四肢を失っていないか確かめようと手を動かすと――柔らかく、温かいまるで誰かの肌のような感触が伝わった。
――よかった、腕はある。
と、そんなことを思った刹那、ジャレッドは勢いよく跳ね起きた。
「な、なに? 今の感触ってなんなのっ?」
「ジャ、ジャレッドさま、その、お体をお隠しください……お願いですから」
なぜか自分が寝ていたはずのベッドの中から聞き覚えのある声が聞こえ、嫌な予感がした。
「……エ、エルネスタ……リリー、どうして?」
声が震える。いや、声だけではない。視界さえ揺れ、気を抜けば倒れてしまいそうだった。
ベッドの中には、下着だけしか身につけていない秘書官二人が恥ずかしそうに頬を赤らめている。
「ジャレッドさま、説明はするけど、あのね、その――あなたは今裸なんだ……だから、ええと、隠してくれると色々助かるんだけど……」
紅潮した頬のリリーに言われ、彼女の視線を辿ると自らが全裸であることに気づきジャレッドは慌てた。目についた水差しが置かれている銀のトレイを手に取ると、とりあえず股間を隠す。
酷く滑稽な姿となったが、女性に全裸を晒すわけにもいかない。
秘書官たちもいまだ頬に熱を帯びながら、シーツで露わになっていた肢体を隠した。
「ど、どうして、なんで……二人が?」
「ちゃんと説明しますから、せめてこれを身につけてください……さすがにその恰好は」
大きめのタオルを手渡され、彼女たちに背を向けて腰に巻いた。
みっともない姿は変わらないが、少なくとも銀のトレイで股間を押えているよりはいい。
と、少し冷静さを取り戻したジャレッドは、自らの体がしっかり動いていることに気づく。凍傷こそ至るところに負っているが、重症ではない。
体はもちろんのこと、指先までしっかりと動く。すると、脳裏に意識を失う直前のことを思いだした。
「公爵は?」
「お父さまなら無事だよ。ジャレッドさまが自分を顧みず守ってくれたおかげで、打撲こそしていたけど元気だよ。娘として父を守ってくれたこと、ありがとう」
「いや、いいんだ。俺も公爵には助けられたから」
とりあえず公爵の無事を聞けたことに安堵した。
「俺が戦った魔術師は? いったい、なにがあったんだ?」
「順を追って説明するよ。兵たちがお父さまたちを見失ったという情報を受けて、すぐにわたしたちも捜索に加わったんだけど、見つけることができなかったんだ。でも、エルネスタが結界に気づくと同時に、凄い冷気と一緒に凍りかけたジャレッドさまと障壁に守られながら意識を失うお父さま――そして、四人の遺体が見つかったんだよ」
「四人……ひとり逃げたんだな。いや、逃げたわけじゃないか」
ジャレッドは敗北した。ゆえに、相手が逃げたと言うことはできなかった。
「現在、身元を確かめています。少なくともリュディガー公爵領の人間ではないそうです。最悪の場合も考え、あとで私も身元確認をすることになっています」
最悪の場合とは、おそらく襲撃者が王立魔術師団の一員であることだ。
「……俺はいったい、どれくらい寝ていたんだ?」
「丸一日寝ていたんだよ。出発したのは昨日の朝で、今はもう翌日の夕方さ」
「――っ」
まさかそんなにも時間が経過しているとは思ってもいなかった。
「無理もないよ。ジャレッドさまは凍傷だけじゃなく、体が凍りかけていたんだ。意識していたのか無意識だったのかわからないけど、少ない魔力によって守られていなかったら今ごろ生きていなかったかもしれないよ」
今でも鮮明に体が氷結魔術によって凍りついてく感覚を覚えている。よく助かったものだと思わずにはいられない。
「裂傷も多かったけど医師たちのおかげですべて塞いだよ。だけど、ひとつだけ問題があったんだ」
「問題?」
「うん。傷も塞ぎ、凍っていた体も魔術師たちによって取り除かれたけど、ジャレッドさまの体温はあまりにも低く、最悪の場合も考えられた。だから、そのね、わたしとエルネスタが人肌で温めることになったんだ」
だから同じベッドにいたのだと理解ができた。
「そ、その、ジャレッドさま、リリーさんだけでは温めきれるかわからず、魔力をお送りすることで回復が見込めるとことから私もお手伝いさせていただきました」
「二人とも、助けてくれてありがとう。そして、その、ごめん。嫌な思いをさせてしまった」
「いいえ、秘書官として当然です。私たちこそ、婚約者がいる方へいくら治療行為とはいえはしたないことをしてしまい、すみませんでした」
「実は、助けられた恩を返す――なんて言って、父上が全裸でジャレッドさまを温めようとしたんだ。しかも、兄上たちと一緒に」
言葉を失った。
治療行為とはいえ、体格のいい強面の武人とその息子たちに裸で温められる光景を想像し、不謹慎ながら彼女たちでよかったと思ってしまう。
とはいえ、そんなことを考えることができるのは、ひとえに命を失っていないからだ。
「お母さまたちが、それでは命が助かっても心が死んでしまうのでおやめなさいと止めてくれたんだけどね。その代わりにわたしたちが大役を仰せつかったんだ。もちろん、明け方まで部屋はもっと暖かくしてあったんだよ」
聞けば、身を凍らし体温を奪われていたジャレッドは低温のせいで震えていたという。エルネスタとリリーのおかげで熱を取り戻し、容体が安定したのが夜中で、明け方までは部屋も暖かくして様子を見ていたらしい。
心配ないと医者が判断してもなお、念のためとこうしてそばにいてくれたのだ。
「今のジャレッドさまの様子を見ると、もう元気のようだね。安心したよ」
「二人のおかげだよ、ありがとう」
「お礼はもういいよ。じゃあ、わたしはお父さまに報告をしてくるね。そのあと食事にしよう。栄養のつくものを用意してもらっているから、たくさん食べてほしいな」
頷くと、うしろを向くように言われて従う。
背後で二人の動く小さな音が聞こえ、意識しないように徹する。
「もういいよ」
言われて振り返ると、もともと用意してあったのだろう二人は簡素な寝間着を身につけていた。
「あとで呼びにくるからもう少し横になっていてほしいな」
「わかった。もう少し休ませてもらうよ」
正直、彼女たちがいたベッドに戻ることに少々抵抗がある。だが、いきなり飛び起きたため、体がまだ横になっていたいと訴えてもいた。
無理をしても現状は悪くなるだけだと判断したジャレッドは、大人しくベッドへ入る。
「じゃあ、あとで呼びにくるね――あっ、そうだ」
「どうした?」
部屋をでようとしていたリリーが足を止め、こちらを振り返った。彼女の顔には悪戯めいたものが浮かんでおり、つい身構えてしまう。
「嫁入り前のわたしたちの体の触り心地はどうだったかな?」
彼女の発言に、同僚は顔を真っ赤にして俯き、ジャレッドは返答に窮する。
目覚めたとき彼女たちのどこに手を伸ばしていたのか、できるだけ考えないようにしていたのだから。
「ふふっ、冗談だよ。もちろん、オリヴィエには言わないから、今度お願いを聞いてね」
「秘書官に弱みを握られるって……」
落ち込むジャレッドをしり目に、声をあげて笑うリリーと恥ずかしがりながらチラチラとこちらを伺うエルネスタも、
「では、私も、その、なにかあればお願いを聞いてください」
そんなことを言うのでもう苦笑するほかない。
「わかったよ。わかりましたよ」
投げやりに返事をすると、満足したのかリリーが「ゆっくりしてね」と言い残し、エルネスタが頭をさげて部屋をあとにした。
残されたジャレッドは、ベッドの中に残る彼女たちの匂いに包まれながら、できるだけ意識を嗅覚に向けないようにする。
やましいことはしていないはずだが、王都にいる婚約者を思い――しばらくしてから後ろめたいなにかを覚えてしまった。
そうこうしているうちに、ゆっくりと睡魔が近づいてくる。まだ万全ではない肉体を少しでも回復させようと、ジャレッドは目を閉じ眠りについた。
――無論、悪夢に魘された。




