35.リュディガー公爵領 食人鬼退治2.
「いくぞっ、ジャレッド殿!」
「はいっ!」
ムラスタの街はリュディガー公爵領の北部に位置する街のひとつだ。さらに北に町や村が存在しているが、北部ではもっとも栄えた街である。
食人鬼はムラスタに続く一本の街道を伝って進んでいた。
そこへジャレッドとフーゴを先頭に、騎士たちが突っ込んでいく。
「さあジャレッド殿、我が娘が惚れこんだ力を存分にみせてくれっ!」
ランスを振るい食人鬼の頭部を馬上から一撃で潰した公爵が獰猛な笑みを浮かべて吼える。
返事に困るため、ジャレッドは獣のように身を屈めて疾走すると、ナイフを両手に構え食人鬼の首と四肢を次々に斬り落としていった。
背後には槍を構えたリュディガー公爵家の兵がおり、そのうしろに今まで戦っていた兵士たちを撤退させている。
傷を負った者は多く、エルネスタとリリーには彼らの手当てを任せたと同時に、街道以外から街に近づく食人鬼を見つけ次第殺すよう役割を与えてある。
前線に立つつもりだった秘書官二人は後衛であることに口にこそださないが、不満を覚えたようだった。しかし、ジャレッドだけではなくフーゴからも頼まれことから反対はなかった。
そのフーゴ自身は最前線で戦っている。公爵自ら命の危険を冒していいのかと失礼を承知で尋ねると、代々リュディガー公爵家は民のために兵とともに戦うのだと誇られてしまった。公爵であるからこそ、民のために常に先頭に立って戦う。死んだらそれまでだ、と豪快に笑っていた。
すでに前線で戦っていた兵はすべて引いた。彼らの頑張りのおかげで食人鬼の数は減っているが、それでもまだ二百以上いると偵察隊から方向を受けている。
驚くべきことは、負傷した兵も、今まで戦い疲弊した兵の誰もが戦意喪失していないのだ。
「俺の部下は戦いが好きな奴らから、家族を守りたい奴らまで様々だ。だから強く、自慢だ!」と誇らしいフーゴは、「だからこそ死なせたくない、ジャレッド殿に迷惑をかけるが、頼む」と願った。断る理由などあるはずもない。
ジャレッドはフーゴと並び食人鬼を次々に殺していく。できるだけ後方へ逃さないようにするも、数が多すぎるため打ちもらしがでてしまう。しかし、手際よく兵が長槍で食人鬼の頭部を破壊するため、現在は被害がなくことが進んでいた。
「――キリがない」
ぐしゃり、と地面に転がる食人鬼の頭部を踏みつぶし、ジャレッドは舌打ちをする。
すでに十体ほど殺したが、減ったという感覚はない。眼前には言葉にならない声を発し、歩いてくる食人鬼が列をなしている。
大半が人間に見える。ゆえに殺せば気分もよくない。
「どうしたジャレッド殿、手が止まっているぞっ! 俺の一族に加わるのなら、笑って戦えるくらいにならんと、なっ!」
見事なランス捌き繰り広げるフーゴに、曖昧な笑みを浮かべると、無詠唱で黒曜石の槍を生成し、放つ。十の槍は真っすぐに群れに飛んでいき、戦闘の食人鬼の頭部を貫通し、背後と、そのまた背後を歩く食人鬼の頭部をも貫いた。
脳漿をまき散らし、体を痙攣させ地面に伏す人食い鬼たち。
後方から歓声があがる。今の一撃で、ざっと二十は減ったのだから無理もない。
もう昼近い。このままのペースで駆逐していけば、夜が訪れる前に食人鬼は一掃できるはずだ。だが、余裕をもっておきたかった。
街道を片づければ、周辺の捜索もしなければならない。無論、街の守備は固めているので、間を抜けて街に被害がでることはないだろうが、万が一ということもある。
なによりも心配なのが、蛮族の存在だった。行動を予測できない奴らがいつどこから襲ってくるかわからないのだ。
ならば悠長に食人鬼を相手にしている時間はない。
「公爵、そろそろ本格的に魔術を使います」
食人鬼の首を刎ねながら伝えると、馬上からランスを振るう武人は待っていたとばかりに口を吊り上げた。
「是非とも頼む!」
「では公爵を含め、兵を俺の後方へ。打ちもらした食人鬼を頼みます」
「応っ! 聞こえたなっ、ジャレッド殿を先頭に、俺たちは下がって陣を組むぞ!」
視界に映る食人鬼はざっと百体ほど。さらに後方にまだ百体いると考えると、実に面倒だ。幸いと言うべきか、餌であるジャレッドたちが眼前にいるため街道を進む奴らは一直線に向かってきてくれる。
ジャレッドは魔力を最大限まで高めると、両手を組み頭上に掲げた。
誰もが視認できるほどの魔力が両手に集中すると同時に、背後からどよめきがあがった。
兵士たちの声を無視し、高めた魔力を精霊に捧げ力へと変換していく。魔力に属性が加わり、色を変える。透明に近かった魔力光が土色の変化していった。
食人鬼ができるだけ近づくのを待ち続ける。
「ジャレッド殿っ、それ以上は危険だっ! 撃てっ!」
すでに数歩先まで人を食らう鬼は迫っていた。フーゴの叫びに魔術を放ちたくなったが、堪える。まだだ。まだ引き寄せる必要がある。
中距離しか届かない魔術であるため、多くの敵を屠るのなら撃つタイミングを遅らせるしかない。
食人鬼の腕がジャレッドの伸びようとしたそのとき――渾身の魔力を込めた一撃を振りおろした。
「――地竜の慟哭」
地属性最強の魔術であり、現代では失われたはずの石化魔術。それが地竜の慟哭だ。
まるで愛しい我が子を失った母竜が泣き叫ぶがごとく、耳を塞ぎたくなるような切なくも狂おしい悲鳴が魔力の本流となって食人鬼の群れを襲っていく。
ジャレッドに腕を伸ばしていた食人鬼が一瞬で石化した。続けて、すぐ後ろにいた食人鬼が音を立てて石となり地面に倒れ砕けていく。
食人鬼たちは連鎖するように次々と石化していった。魔力の本流が悲痛な声をあげて食人鬼を飲み込めば飲み込むほど、哀れな石と化していく。
「……これが古代魔術……石化、か」
フーゴの呟きに返事をする余裕はなかった。
一見すると、魔力を撃ち終わったように見えるが、そうではない。
ジャレッドは今も魔力を放出し続けていた。五十の鬼を石に変えてもまだ、石化魔術を放ち続ける。
一分ほどの短くも長い時間を経て、百体ほどの食人鬼が石となった。
「はぁっ――はぁっ、さすがに疲れる」
息を切らせたジャレッドの姿に、誰もが彼が大きく消耗しているのだとわかった。だが、制止の声を発するよりもはやく、宮廷魔術師の腕が振るわれ石化した食人鬼を砕いた。
まるでそれが合図だったのかのように、続けて彫像となった食人鬼たちが砕けていく。
かつてバルナバス・カイフを殺した石化魔術によって、百を超える食人鬼をジャレッドはたった一度の石化魔術で倒したのだった。




