28.エルネスタ・カイフの気持ち.
「エルネスタさんは、トレスさまの前ではなにも口を開かなかったね?」
「……申し訳ありません。トレスさまが私のことを気づかってくれていることも、先ほど助けていただいたことも感謝していますし、家族のこともそうですが――それでもブラウエル伯爵が兄にしたことを思うと許せないのです」
王立魔術師団の詰め所からの帰路、ジャレッドは秘書官のひとりエルネスタ・カイフが暗い顔をしているのに気づき声をかけたが、彼女の返事は言葉に困るものだった。
先ほどまで一緒にいた宮廷魔術師トレス・ブラウエルとの話でも、もうひとりの秘書官アリー・フェルは積極的に会話に参加していた。ときどき気をつかいエルネスタに言葉を振るも、「ええ」「はい」「そうですね」と短い返事しかしてくれない。
これにはアリーも苦笑いだった。
「アリーさん、せっかく気をつかってくださったのにごめんなさい」
「構いませんよ。あなたの事情は知っていますので、無理しないでくださいね。でも――ひとつだけ助言させてください」
「……はい」
「トレスさまはあなたのお兄さまのご友人です。ブラウエル伯爵のしたことは決して許されないことでしょうが、だからといってトレスさまに頑なになっていてはおかわいそうではないですか? 昔からの知りあいなのでしょう?」
思わず足を止めて、うつむくエルネスタ。白い髪が彼女の顔を隠し、どのような表情をしているのかわからない。
「わかって、います。トレスさまは兄の友人で、私にとってはもうひとりの兄のような人でした。だからこそ、感情が許せないと叫んでいるんです!」
いくらトレスがバルナバスを陥れたのではなくとも、彼の父親が主犯である以上彼女の心境は複雑だ。
いっそ彼がエルネスタに関わらなければ話は違ったのかもしれないが、彼女と一族の境遇を見て見ぬふりなどできるはずがなく、宮廷魔術師の力を利用して守ってくれた。
彼が善人であればあるほど、エルネスタは口でなんと言おうとも心から恨むことができないのだ。
曖昧な感情を抱え、感謝と恨みの板挟みになることは辛く悲しい。
「できることなら私だって以前のように、と思います。でも、今はまだ無理なんです」
「……ごめんなさい。わたしが言い過ぎたわ。でもね、このままではトレスさま以上に、エルネスタがどうにかなってしまいそうで怖いのよ」
アリーの言うとおりだった。
エルネスタは今、心が押しつぶされかけている。兄を失い、王立魔術師団での居場所もない。トレスを心から恨むこともできない。
不安定な感情の中、彼女が兄を殺した自分と関わっていいものかとジャレッドは悩む。
「大丈夫です。私は、大丈夫です」
まるで自分に言い聞かせているような物言いに、ジャレッドはもちろんのことアリーも不安を隠せない。
しかし、彼女にこれ以上、どう言葉をかけるべきかわからず、三人は無言のまま帰路を歩き始めたのだった。
※
屋敷に戻ったエルネスタは、家族に帰宅したことを知らせると話もそこそこに自室に戻って、ベッドに体を横たえた。
家族が王立魔術師団の中で立場が悪い娘のことを心配してくれていることは知っているが、今はその気づかいが辛い。
なにも考えずに無心となりたいが、静かな部屋の中にひとりぼっちだと自然と兄のことを考えてしまう。
エルネスタにとって、兄バルナバスはよき兄であり、誇れる魔術師だった。
宮廷魔術師候補に選ばれたときも、エルネスタはもちろん家族が皆、自分のことのように喜んだのを未だ忘れたことはない。
仮に宮廷魔術師になることができずとも、兄なら王立魔術師団に入り上を目指すことだってできると思っていた。
しかし――兄は予想もしていなかった行動にでてしまう。
宮廷魔術師になれなかったことを恥、悔やみ、そして己を呪った。
慰める妹の言葉も耳に届かず、家族に謝罪すると消えてしまったのだ。
行方も知れず、宮廷魔術師になったトレスが居場所を探してくれたが、結局見つからなかった。
バルナバスが家族と再会できたのは、ジャレッドによって倒されてから。結局、生きた姿で再会することは叶わなかったのだ。
ブラウエル伯爵に陥れられ、宮廷魔術師になれなかった兄が復讐者となったのはすべてが終わってから知った。
多くの人を傷つけ、ひとりをのぞき宮廷魔術師候補を殺害し、友人であったトレスまでも殺しかけた事実は、エルネスタに大きな衝撃を与えた。
そして、彼女は石と化した兄と再会し、涙した。
なにをしてでも兄を捜しだし、連れて帰るべきだった。家族として支えになってあげるべきだったと己の行動を悔いた。
続いて、元凶であるブラウエル伯爵を、事情があったとはいえ兄を貶める手伝いをしたアデリナ・ビショフを、我が子かわいさに兄からすべてを奪った男の息子トレスを恨んだ。
なによりも、兄を殺したジャレッドを憎んだ。
「……だけど、結局私の自己満足なだけ」
すでにブラウエル伯爵は罰を受けている。彼に与した人間も同じだ。エルネスタが、どれだけ恨もうと、憎もうと、元凶はもういない。
結果――兄のように復讐することもできず、感情をもて余し、エルネスタは苦しむこととなった。追い打ちをかけるように、一族の立場が悪くなり、王立魔術師団の中で犯罪者の妹として扱われるようになった。
そんな自分と家族を守ってくれたのが、皮肉にもトレス・ブラウエルとアデリナ・ビショフだった。
彼らは善人だった。悲しいほど善人だった。いっそ悪人であってくれれば、と何度も思った。助けられながら、これ以上恨むことができないと思いながら、感謝しつつも頑なに彼らを恨もうとした。
でも、できなかった。
ジャレッドの秘書官に応募したのは、彼に伝えたように兄が目指していた高みを知りたかったから。それ以上に、ジャレッドなら恨むことができるかもしれないと期待したからだ。
だけど、やはりできなかった。
悪名高きオリヴィエ・アルウェイの婚約者なら、似たような人間だと勝手に思っていた。しかし、彼は兄の死を悼み、受け止め、その上で自分と向かいあってくれた。
話を終えると、エルネスタの心にはジャレッドに対する負の感情は残らず、身勝手なことばかり言った自分を受け入れてくれた彼に感謝だけが残った。
結局、エルネスタは中途半端な感情をもて余してしまった。
兄の死は悲しい。だが、復讐する相手も責める相手もいない。トレスたちは善人であり、兄と同じとはいえないが被害者であるとわかってしまった。
だが、心はそう簡単に受け入れられない。
ゆえに、申し訳ないと思いながら自分のために彼らを恨むことを続けたのだ。
「もう限界……」
今日も助けられてしまった。ジャレッドは心ない言葉を受けた自分のために心底怒ってくれた。トレスは本当に優しく気づかってくれる。同じ秘書官になったアリーの優しさも申し訳ないくらい伝わってくる。
嬉しかった。こうも自分のことを思ってくれる人たちがいることが、嬉しくてたまらなかった。
「ごめんなさい、兄さん」
エルネスタは謝罪する。
「もうこれ以上、優しいあの人たちを恨めません――どうか許して」
涙を流しながら、ゆっくりと瞼を閉じる。
今日はもう寝てしまおう。朝、起きたらシャワーを浴びて、気持ちを切り替えよう。
そして、もう――誰かを恨むのではなく、兄のためにも家族のためにも、誇れる人間になろう。
そう決意するのだった。




