25.オリヴィエ・アルウェイの理由4.
オリヴィエ・アルウェイは不機嫌な様子を隠すことなく、部屋の中を落ち着きなく動き回っていた。
原因は婚約者であるジャレッド・マーフィーのせいだ。
魔術師協会からの依頼で竜種と戦うと聞いたときには酷く驚いた。さらに、その戦いの地がアルウェイ公爵領だということに、二度の驚きを覚えた。
ジャレッドに迷惑をかける父に怒りを抱いたが、命がけの戦闘に赴くにもかかわらず婚約者の自分になにひとつ連絡をよこさないジャレッドにも怒りが湧いた。
本当は気をつけてと伝えたかったが、気付けば皮肉だらけの手紙を書き終えてトレーネに渡してしまった。
やりきって満足していたオリヴィエが、「そうじゃない!」と自分の行動に後悔したのは、トレーネが帰宅してからだった。
「お嬢様、少し落ち着いてください。じきに、公爵様がジャレッド様と合流してもおかしくないので、すぐに連絡がくるはずです」
オリヴィエはジャレッドの安否を気にして、睡眠はもちろん、食事も喉に通らなかった。
母がそんな自分を案じていたが、さすがにジャレッドが竜種と戦っていて心配です、などと言えるはずもなく、ただただ必死に誤魔化した。
彼女が待っている連絡は、手紙の類ではない。父のお抱えである魔術師の使い魔だ。使い魔を経由して、情報をいち早く得ることができるのだが、その連絡がこない。
オリヴィエは自分でも驚くほど、十歳も年下の婚約者を案じていたのだ。
「オリヴィエ様はとてもジャレッド様をご心配なのですね」
「悪い噂を気にするわけじゃないけれど、ジャレッド・マーフィーが死んでしまったら、わたくしが死神だという噂が追加されてしまうわ」
「今さら噂がひとつ増えたところで痛くも痒くもないと思われますが?」
「言ってくれるわね……だけど、実際はそうなのよね。ジャレッドだけよ、わたくしの噂など気にせず、しかも先日のように言い返した男性は」
「……つまり気に入ってしまったのですね」
「違うわよ!」
トレーネの呟きを大きな声で否定するオリヴィエだが、その顔はわずかに赤い。
どこか照れた仕草を見せながら、素直になれないオリヴィエをかわいらしく思うトレーネだった。
「違うわ。偏見がないとは言えないでしょうけど、それでもああやって遠慮なく話ができたのは嬉しかったわ。今まで会った男性は、どいつもこいつも公爵家の娘でしかわたくしを見ていなかった。しかたがないとはいえ不快だったわ。だけど、ジャレッドはオリヴィエとしてわたくしを見てくれていた」
「そこに、ときめいてしまわれたのですね」
「ときめいてなんかないわよっ!」
「あまり大きな声を出されると、ハンネローネ様が起きてしまいますよ」
「……いつか復讐してやるから」
「楽しみにしています」
まだ早朝であるためトレーネの言うとおりであるので、声を潜める。
くだらないやり取りをしたおかげで少しだけ気が楽になった。
「――オリヴィエ様。使い魔がいらっしゃいました」
「ジャレッドの安否は!?」
「お待ちください」
窓の外に一羽の小鳥が音を立てずに羽ばたいていた。窓を開けてトレーネが指をそっと差し出すと、小鳥がとまり、指を突く。
同時に、トレーネに情報が流れてく。簡潔ではあるが、今一番求めている情報が伝わった。
「オリヴィエ様、ジャレッドはご無事のようです。公爵様が無事に保護なさったようです」
「……保護されるほど危険な目にあったのかしら……。竜種がどれほど強いのかいまいちわからないのだけれど、竜とつくくらいなのだから相当強いのでしょうね」
「わたしは戦ったことがありませんが、聞く限りですと、宮廷魔術師でも単身で倒した方はひとりしかいないそうです」
「……そんなのを相手にしたというの?」
驚きに目をむくオリヴィエを安心させるために、トレーネが続ける。
「ですが、ご友人のラウレンツ・ヘリング様もご同行したとのことですので、単身で戦うなどという無謀はなされないようですね。――おや、もう一羽使い魔がきました」
外から窓をくちばしで突く小鳥を発見し、トレーネが指を差し出す。一羽目と同じように情報を持って現れた使い魔から伝わってきた内容に、無表情のメイドが珍しく苦笑する。
「珍しいこともあるわね、どうかしたの?」
明らかに表情を変えたのがわかったトレーネにオリヴィエが驚きの声を上げた。
「いえ、ジャレッド様は実におもしろい方だと思いまして。竜種を倒しに向かったはずが、傷ついた竜種を助け、竜種を狙った冒険者と戦い捕縛したようです」
「――なにそれ」
「どうやら竜種が暴れているというのは誤報だったようですね。冒険者が竜種を襲ったせいで、町に被害が出てしまったというのが正しいようです」
だとしても本来倒すべき竜種を助けていると聞けば、使い魔が正しい情報を持ってきたのかどうか疑問に思ってしまう。
「冒険者ね……わたくしは冒険者は嫌いだわ」
「わたしもです。何度、排除したかわかりません」
「まったくよ……。とにかくジャレッドは無事なのね?」
「はい。ご無事です」
「ならよかったわ」
婚約者の無事を知ることができたオリヴィエは大きく安堵の息をはくと、ベッドに力なく腰を降ろした。
「それほどご心配ならもっと素直になればよろしいかと。ジャレッド様もお喜びになるはずです」
「それができない理由はトレーネだって知っているでしょう」
「しかし、事情をすべてお話すればジャレッド様ならお力になってくださると思います」
「わたくしが嫌なのよ。父と祖父が親しいからと十歳も年上の、それも悪評高いわたくしと婚約者になっただけでもかわいそうなのに、わたくしの問題にまで巻き込めないわ」
オリヴィエの表情は暗く、悲しげだ。
トレーネはそんな主になにも言えなくなる。
「ジャレッドには悪いけど、お母さまが気に入っているからしばらく婚約者ごっこに付きあってもらいましょう。第三者がこの屋敷に住めば、襲撃もなくなるはず。彼が成人する前に、気立てのいいお嬢様を紹介してお別れとなるまで、少しだけわたくしも楽しみたいの」
「オリヴィエ様はすべてを諦めているのですか?」
「違うわ。諦めていないわ。戦っているからこそ、他のことができないのよ」
「結婚する気があると言ってくださったジャレッド様なら――」
「トレーネ」
静かに、だが有無を言わせない力強さを秘めた声でオリヴィエはメイドの名を呼んだ。
「わたくしはジャレッド・マーフィーと結婚する資格がないわ。母を守らなければならないわたくしの問題に、ジャレッドを巻き込んではならないの。いいわね?」
「はい。申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げるトレーネに、気にしないでと伝えると、ベッドから立ち上がり、声をかける。
「無事がわかったらお腹がへってしまったわ。少し早いけれど、朝食にしましょう」
「では、紅茶とスコーンを用意いたします」
「わたくしも手伝うわ。お母さまもそうだけど、わたくしも家事は好きなの」
ジャレッドの無事を確認できたオリヴィエは、晴れやかな笑みを浮かべて部屋を出た。
彼女のあとに続く、トレーネはオリヴィエの笑顔が本心からの笑みではないことを気付いている。
確かにジャレッドが無事であったのは喜ばしい。だが、オリヴィエがこれだけひとりの人間を心配したことは、母とトレーネ以外にはじめてだ。
不器用な主が初めて気に入ってしまった異性は十歳も年下の婚約者だった。
オリヴィエは認めないだろうが、付き合いの長いトレーネには彼女の想いが手に取るようにわかった。
トレーネは願う。
ジャレッドがこの屋敷にどれだけ住むかわからないが、オリヴィエの問題に気付きますように、と。そして、問題に気づいた上で、オリヴィエから逃げ出しませんように、と願わずにはいられなかった。