22.オリヴィエとアリー3.
「まあいいわ。それよりも――あのエルネスタ・カイフのことを気にしてちょうだい」
「言われなくてもわかっているよ。ジャレッドさまが倒した――いいえ、殺した元宮廷魔術師候補バルナバス・カイフ氏の妹だからね」
「それだけじゃないわ。彼女自身からジャレッドに近づいたのよ、なにかしらの目的があるはずよ」
オリヴィエはジャレッドから、エルネスタが面談で語ってくれた心情を聞いている。
バルナバスの一件はかわいそうだと思うし、遺族が苦労したこともわかる。息子のためという身勝手な理由で彼を陥れたブラウエル伯爵にも思うことはあった。
だからといって、ジャレッドが必要以上にカイフ一族を気にする必要はない。
「本来、彼女を気にかけなければならないのは、アデリナ・ビショフとトレス・ブラウエルよ」
「気にかけているし、実際に助けもしているよ。ただ、エルネスタだけは兄を陥れた関係者と極力関わりたくないようだね」
「気持ちはわからなくもないけれど、なら兄を殺したジャレッドにも同じことが言えなくて?」
「さあ? わたしはエルネスタじゃないからなんとも言えないよ。でも、ジャレッドさまは別にバルナバス氏を殺したかったわけじゃない、止めただけ。あのまま凶行が続けば、遺族でさえどうなっていたかわからなかったはずだよ。両手放しで感謝することはできなくても、少なからず恩は感じているだろうね」
リリーもなにかしらの理由があってエルネスタが秘書官を望んだことは予想できている。だが、いくら公爵家の情報網をもってしても、人の心までは調べることができない。
「わたし自身が気になっていたから今日も一緒にきたんだけど、悪い子じゃないよ。少し影はあるけど、兄を失くしていればしかたないさ」
「あなたがそう言うのなら問題はないのかもしれないけれど、わたくしは簡単には信用できないわ」
「きみの境遇を考えれば無理はないね。あの子に関してはわたしに任せてくれないか?」
「いいの?」
「もちろん。同僚として、なにか力になることができるのなら手助けしたいんだ」
「相変わらず優しいのね」
かつてリリーは、オリヴィエが誰も寄せつけず母を守ろうとしていたとき、力になると言ってくれたことがある。だが、彼女のことさえ信用できず、拒絶した。
ときどき文が届き、心配してくれることもあったが、疑心暗鬼なっていたオリヴィエは数える程度しか返事をしていない。
今日、不意打ちに再会したリリーは、顔を会せなくなったときからまるで変わっていなかった。
「ところで……あなたはいつまでジャレッドに偽って接するつもり?」
「お気に召さないようだね?」
「当たり前よ。ジャレッドはたくさん厄介事を抱えているわ。その筆頭がわたくしの一族だから申し訳ないのだけど、だからこそ今以上負担は強いたくないの」
「オリヴィエは相変わらず優しいね。優しいゆえに、強情だし、ひとりで抱えてしまう癖がある。うん。そうだね、わたしはもう少しだけアリー・フェルという偽名を使った不思議な人でジャレッドさまと接したい。公爵家令嬢なんて肩書は邪魔だし、ありのままのわたしを見てほしいからね」
「……わたくしにも黙っていろと?」
不機嫌な表情を浮かべたオリヴィエに、リリーは頼む。
「少しだけだよ。宮廷魔術師の秘書官として本格的に仕事をはじめる前にはすべて明かすから、それまで黙っていてくれないかな?」
「もうすでに、わたくしたちが知りあいだとわかっているはずよ」
「さっきあからさまに君が驚いてしまったからね。なら、王立学園の後輩であり友達だとでも言っておいて。あとでオリヴィエのぶんまで謝るから。お願いだよ!」
「はぁ。わかったわよ。本当は嫌だけれど、あなたには借りがあるから、しばらくの間だけ黙っているわ。だけど、もしジャレッドがあなたのことで悩み、疑うような素振りを少しでも見せたらすぐに話すわよ」
釘をさすように忠告すると、リリーは受け入れた。
「うん、それでいいよ。ごめんね、オリヴィエ」
「そういうときは、ありがとう、よ」
「――ありがとう、オリヴィエ」
嬉しそうに微笑む幼なじみに、オリヴィエも自然と頬が緩む。
ジャレッドを騙すようなことは心苦しいが、リリーが結婚を本気で考えている以上、邪魔をしたくはない。
――いいえ、本当は邪魔したいわ。ジャレッドにこれ以上、女が近づくのはおもしろくないもの。でも、わたくしがそんなわがままを言う資格がないこともわかっているのよね。
婚約者と出会ってからまだ三ヶ月ほどにも関わらず、嫉妬までするようになってしまったことをオリヴィエ自身が驚いていた。
本来の予定では、気立てのよい貴族の子女をジャレッドに紹介し、縁を切るつもりだったのだから、人生とはわからないものだ。
「あなたがジャレッドのことをどう結論をだすのかまでは知らないけれど、彼になにかしたら許さないわよ――念のために、言っておくわ」
「ふふっ、わかっているよ。あのアルウェイ公爵家の問題児がすっかり恋する乙女だね」
「だまらっしゃいっ、リュディガー家の問題児のくせに!」
オリヴィエは声を大きくするも、悲しいかな問題児の自覚はある。
だからといって同じ問題児に言われたくないのだ。
「そういえば、今日はいないみたいだけど、もうひとりのかわいらしい側室さんにも今度ご挨拶したいな」
「構わないけど、あの子を舐めたら怪我するわよ――物理的に」
「おっと、それは怖い怖い」
いくらリリーが武芸を嗜もうと、生まれながらの剣の天才に勝てるかどうかわからない。
イェニーは未だ最低限の稽古しかしていないが、たったそれだけでヴァールトイフェルの後継者のひとりと互角かそれ以上に渡りあえるのだ。
まだ幼さが残る少女が戦闘を嫌っているため才能が無駄になっているものの、兄と慕うジャレッドの敵には一切の容赦なく天才と言われた素質を全力にして襲いかかってくるだろう。
側室を望んでいるリリーにも同じだ。もし、彼女が中途半端な気持ちでジャレッドに近づけば、想像するだけでも恐ろしいことになること間違いない。
「本当に、気をつけなさいよ」
――イェニーといい、リリーといい、どうしてジャレッドの近くには一癖も二癖もある子が寄ってくるのかしら?
内心、頭を抱えるオリヴィエだが、彼女も十分に癖のある女性なのだが自覚はないようだ。
このあと、アリー・フェルに戻ったリリーを連れて、ジャレッドたちを追ったオリヴィエは、母に彼女を紹介した。もちろん、ハンネローネはリリーのことを知っているのだが、何か事情があると察してくれたのか、初対面のふりをしてくれた。
ジャレッドたちにも、約束通り学園の後輩であり友人だと紹介した。リュディガー公爵家と本名、そして年齢まで偽っていることを除けば、嘘ではない。
給仕をしていたトレーネが、訝しんだ視線を向けていたが、オリヴィエは必死に気にしないことにするのだった。
こうして秘書官二名との顔あわせは、大きな問題が起きることなく終了した。




