40.ジャレッド・マーフィー対ワハシュ 証人2.
瞬間、ヴァールトイフェルの一員が三人現れた。ひとりの男性を抱えて。
「私はアネットに関わっている人間を拷問し、情報を得た。クレールはヨハンの子だが、レックスは違う。不義の子だ」
男は地面に投げられるとうめき声をあげた。生きている。だが、酷い拷問を受けたのだろう、いたるところから血が流れているのがはっきりと見えた。
「ありがとう。もう、いって構わない」
ワハシュは部下にそう告げると、ヴァールトイフェルの暗殺者たちはそろって礼をして消えた。
残ったのは、ジャレッドとワハシュの間に捨てられた傷だらけの男だけ。
「おい、あんた。大丈夫か?」
明らかに拷問を受けた様子の男性に駆け寄ると見覚えがあった。まさか、と震えた。
「その、お声は――坊ちゃん?」
「あんた……まさか」
見覚えがあるのは無理がないことだ。かつてジャレッドのことを護衛してくれていた騎士だ。ダウム男爵家をやめたことは知っていたが、まさかワハシュによって拷問されていたなど誰が思おうか。
「ああ、そうだ、やはりジャレッド坊ちゃんだ……ずっとお会いしたかった、そして謝罪したかった、本当に申し訳ございませんでした。私は、あの日のこと、ずっと後悔していたのです。なぜ、あの日、アネットさまの命に従ってしまったのかと、たとえ脅されようとも、騎士として、いいえ、人として恥ずべきことをしてしましました」
「脅されていた?」
「……はい。私の愛する者を危険に晒したくなければ、坊ちゃんをひとりにしろ、と。すぐになにが起きたのかわかりました。アネットさまを問い詰めましたが、私も共犯だと言われてしまい――いえ、事実そうなのです。我が身かわいさに坊ちゃんを……っ」
「もういい喋るな。気にすることなんてない。俺はこうして生きてる。それよりも、待ってろ、今手当てをしてやるから」
応急処置用に持っていた清潔な布をポケットから取りだし彼の傷に当てる。
「このまま、死なせてください」
「馬鹿言うな、この程度の傷で死ねるわけがないだろ」
今さら彼になにかを言うつもりはない。ただ、長い間悔いて苦しんでいたことがわかったので、もういいのだ。
嗚咽をこぼす彼の袖を破り止血するために布できつく縛る。
一番深い傷だけは止血処置をしたが、死なない程度に拷問された傷が酷い。痛みはある、苦しみも大きい、しかし、死んで楽にはなれない。目的が果たされるまで永遠に苦しみは続いたはずだ。
「レックスのことは本当なのか?」
「はい。アネットさまにはヨハンさまと結婚する以前から慕っていた方がいました。家庭教師と生徒の関係だったそうですが、結婚をするにあたり諦めたそうです。しかし、ヨハンさまのリズさまへのお気持ち、カリーナさまに次ぐ側室という立場に不満を覚えたせいで、不義を犯してしまったそうです」
「馬鹿な女だ。あと、あんたも馬鹿だ。拷問される前にさっさと話せばよかったのに」
「このことが誰かに知られ、ヨハンさまの耳に入れば、お心が傷つくと思ったのです」
彼は例えアネットに与してしまう形になったとしても心まで支配されていたわけではない。見えない形ではあるが、ずっと父ヨハンの忠臣のままだった。
ジャレッドは彼を抱きかかえると、父に向かう。
「あんたのためを思ってこうなった忠臣だ。手当てを頼む」
「――わかった」
「ヨハン、さま、申し訳ございません」
「構わない。今は、休め」
言葉こそ短いがヨハンの許しを聞き、忠臣は糸が切れたように意識を失った。
「大丈夫か?」
「平気だ。子供が父親を気づかわなくていい。お前はするべきことがあるのだろう。今さら気が変わることはないはずだ」
「もちろんだ。俺の意思は変わらない――なあ、親父」
「――っ、な、なんだ?」
初めて父と呼ばれ、驚くヨハンにジャレッドは言う。
「わかっていると思うけど、悪いのはアネットであってレックスじゃない」
「そのくらい僕にだってわかる。ただ、すべての結論をだすのはことが終わってからにしよう」
意識を失った彼を父に託し、再びワハシュを睨む。
「ジャレッド――」
振り向くことなく、父の言葉を待った。
「僕はアネットよりもお前のほうが大切だ。くれぐれも無理をしないでくれ、誰もお前が敗北しても責めることはない」
「ありがとう、親父」
部下を屋敷の中に運ぶ父とは反対に、ワハシュに向かい足を進める。
「あんたの言いたいことはよくわかった。本当にレックスは親父の子供じゃないみたいだな」
「そうだ。それでも、守るというのか? 血の繋がりがないとわかったはずだ」
「それで終わりか?」
「なに?」
ジャレッドは魔力を体内で練り上げていく。
今までワハシュに対し、祖父として認めたくないという思いだけがあった。今は違う。――怒りが生まれていた。
なにも知らずともいい事実を掘り起こす必要はなかった。その過程で、悪事に手を染めたことを苦しんでいる者を拷問した。
いくら娘のためだとはいえやっていいことと悪いことがある。ワハシュはその一線を容易く超えていた。
アネットも許せない。叶うなら、今すぐ殺したいとさえ思う。だからといって、今さら意見を変えたりはしない。意地でも変えるものかと固く誓う。
「レックスとは血の繋がりはない、ああ、そうなんだな。そりゃ俺のことを嫌うわけだ。アネットも俺に近づけないわけだ。ようやく理解できたよ。だけどさ、あなたはクレールもレナのことも殺すんだろ?」
「その通りだ」
「なら、俺のすべきことは最初と変わらない。レックスのことは正直嫌いだけど、殺されてほしいわけじゃない。なによりも――あいつだってアネットの被害者だろっ!」
言うまでもなく、レックスは出自を知らないはずだ。まだ幼い子供に、この事実は重すぎる。
本当の父親がどこの誰かまでは知らないが、その人間にも罪は償ってもらおう。だが、償わせるには生きていなければならない。
「では、こうしよう。私は、クレール・ダウム、レナ・ダウム、そしてレックス・ダウムには指一本手出ししないと誓う。お前の優しさ、誠実さ、愚直さを見ることができただけで満足だ。もう私とお前が戦う必要はない」
「いや、あるだろ」
練り上げた魔力を体中に伝え、身体を強化する。
音を立てて拳を突きだし、ワハシュに言い放った。
「あんたのやり方が気に入らねえ。俺だって褒められた人間じゃないが、それでも、まだマシだ」
「言ってくれる――ならば、その意思、力で押し通して見せよ」
「言われなくてもそうするさ――いくぞ、ワハシュ!」
「こい、ジャレッド・マーフィー」
合図は必要なかった。
両者は同じタイミングで地面を蹴った。




