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この度、公爵家の令嬢の婚約者となりました。しかし、噂では性格が悪く、十歳も年上です。  作者: 飯田栄静@市村鉄之助
五章

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34.リズ・マーフィーの気持ち1.




 ――どれだけ言葉なく向かいあえばいいんだろうか?


 ジャレッドは、話がしたいと言ったはずの父親を前にして、無言の時間を耐えていた。

 内心では、亡き母の部屋にいってしまったオリヴィエに、早く戻ってきてくれと助けを求めている。

 せめてヨハンがなにか話してくれればいいのだが、もう十分ほど沈黙が保たれている。

 魔術師としての戦い、師アルメイダの過酷な訓練を耐えてきたジャレッドにとって、たいていのものは我慢できると思っていた。


 ――でも、これは無理だっ。


 いっそこちらからなにかを話そうと考えもしたが、なにを話せばいいのかわからず言葉が見つからない。

 今まで、それこそ物心ついたころから父親との関係は希薄であり、一時は憎悪し、殺意さえ抱いていた相手に対し、いくら愛情があった、誤解だったと言われたからといって、すぐに受け入れることができるはずもない。

 努力はしている。母に関してのことはいまだショックを隠せないが、真摯に話を明かしてくれた父に対し、自分の誠実に対応したいと思っているのだ。

 だからといって気の利いた言葉などでてくるはずもなく、困りに困っているのが現状だ。


「その、なんだ、僕とお前には色々なことがあった。僕のせいで辛い目にも遭わせたことは理解したし、お前が僕を恨んでいることも承知している」


 必死になって言葉を捜していたジャレッドに、ヨハンがようやく口を開いた。


「ジャレッド――お前には本当にすまないことをした」


 父の口からこぼれ落ちたのは謝罪の声だった。

 言葉こそ弱々しいものだったが、父の眼差しはまっすぐジャレッドに向けられている。視線があっても逸らすことない態度に、心からの謝罪であると理解する。


「気にするな、とは口が裂けても言えない」

「わかっている」

「隠されていたことはショックだった」

「もちろんだ。すまない」

「だけど、もうあんたを恨んでいるわけじゃないし、今さらなにかをしたいわけでもない。もう謝らないでくれ。一度だけ謝ってくれればそれでいい」


 すべてを水に流すことはきっとできないし、過去が変わるわけでもない。

 ジャレッドにとって、辛い思いをしてきた過去でも、よい出会いがあった。培った力で大切な人を守ることができる。

 だから、もう、いいのだ。


「振り返れば、意外と恵まれた人生だったと思う。だから、もういいんだ」


 嘘偽りないジャレッドの本心だった。

 自分でも驚くほど簡単に気持ちを伝えることができたのは、きっと今が幸せだからだ。

 家族だと言ってくれるオリヴィエたちがいる。

 敵として戦ったが不思議と寝食をともにするプファイルたちもいる。

 友人にも恵まれ、兄と、よき師とも巡りあえた。知人たちもいい人ばかりだ。

 悪意ある人間にも会ったことは多々あるが、それでも、自分は恵まれていると思えるほど、周囲は明るい。

 ジャレッドの言葉を受け、ヨハンは小さく感謝の言葉を述べたのだった。

 そんなときだった、


「ごめんなさいっ、でも、ジャレッドっ、お義父さまっ、わたくし見つけましたわっ!」


 扉を蹴破る勢いで現れたオリヴィエによって、父子はそろって驚いた。


「な、なんですか、オリヴィエさま?」

「これよ、これを見てちょうだい!」

「日記、ですか?」

「そうよ、日記よ。これは、先ほどリズさまのお部屋で見つけたのよ!」


 母が日記を書いていたことは記憶にある。しかし、興奮して持ってくるほどのものではない。


「本当にその日記帳はリズのですか?」

「ええ、リズさまのものですわ」

「しかし、見覚えがありません。遺品の整理も僕が整理したはずですが……」


 父が母の物かと疑った声に、オリヴィエが腰に手を当て日記帳を掲げた。


「女性なら自分のためだけの日記帳くらい用意しているものですわ。男性でもそういう方もいるのではなくて、ほら、浮気を隠しているとか、よくあるじゃないの」

「あー、ありますね、隠し日記というか、死んだあとも誰にも見せたくない黒歴史が書かれているものって。もしかして、オリヴィエさまも?」

「ば、馬鹿なことを言わないでちょうだい。わたくしは、そんなことをしないわ。日記は書くけれど、人に見せられないようなことは書いていないわよ。そもそも日記なんて他人に見せるものではないでしょう」


 その通りだ、と納得するジャレッドに隠れてオリヴィエは動揺していた。

 公言した通り、隠し日記はない。ただし、もっと酷いものを隠している。

 日々のストレスや鬱憤を晴らすように書き綴った妄想小説。少々描写が過激で、いかにも恋愛せずに恋愛小説ばかり読んでいた女性が書くような妄想垂れ流しの内容が密に書かれているのだ。もし第三者に、たとえ心から愛している母に見られたとしても、恥ずかしさのあまり死んでしまうこと間違いない。


「オリヴィエさま、本当にその手に持っている日記はリズの物なのですか?」

「はい。そして、わたくしが求めていた物でもあります」

「どういう意味でしょうか? 僕には、オリヴィエさまがおっしゃりたいことが、わかりません」


 ジャレッドの父に同感だった。

 オリヴィエが宝物でも発見したように母の日記帳を持っているが、その内容にどれだけの意味があるのだろうか。無論、生前の母の記憶は知りたいが、父の話を聞いたこともあり、それも少し怖い。

 そもそもいくら死者とはいえ、他人の日記を勝手に見ていいものかと疑問にも思う。


「わたくしは、リズさまが本当のお心が知りたかったのです。失礼を承知で、部屋の中を捜し、見つけました。そして、内容はわたくしが思っていた通りのものでした」

「……そんな、まさか」


 ようやくオリヴィエの言葉の意図が理解できたヨハンが、不安と期待から声を震わす。

 ジャレッドも似たようなものだ。母が望んでいた子供ではあるが、そこに愛情がなかった。しかし、もしも、それが間違いだったら――そう考えてしまうのは、子供ゆえに仕方がないことである。

 母に愛されていた記憶はあっても、もしかしたら――と不安になってしまう。


「すでにわたくしが目を通してしまいましたが、ぜひお義父さまにもご覧になってください。あなたが知るべき事実が書かれています」


 そう言って、オリヴィエはヨハンのもとへ進み、日記を手渡した。

 息子と、その婚約者の視線が集まる中、ヨハンは古びた日記帳の表紙を撫でる。かすかに亡き妻の愛用していた香水の香りがした。

 懐かしさを噛みしめることで、不安と戦い、そっと日記帳を開くのだった。



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