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この度、公爵家の令嬢の婚約者となりました。しかし、噂では性格が悪く、十歳も年上です。  作者: 飯田栄静@市村鉄之助
五章

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30.ヨハン・ダウムの気持ち2.




 父の部屋に向かおうと扉に手を伸ばした刹那、近づいてくる気配を感じた。

 不機嫌な足取りは早く、駆けているようにさえ思えた。足音は、部屋の前にまでくると、速度を落とすことなく扉を開けた。


「ジャレッド! レナお姉さまが信じているようだから、私も信じてあげるわ。だから、もしも本当に実力だけで宮廷魔術師になったというなら、私たちを助けなさい!」

「……オリヴィエさま、少し訂正します。ちょっと助けたくなくなってきました」


 久しぶり声を聞いたかと思えば、あまりにも独善的な上からの命令口調の妹の登場に、さすがのジャレッドも呆れてしまった。

 ダウム家長女、クレール・ダウム。ジャレッドの腹違いの妹であり、レックス・ダウムの姉である。

 長く伸ばした亜麻色の髪、整った容姿は兄の目から見ても美しさを感じる。ダウム男爵家という武家に生まれたことから、長女でありながら剣を学び鍛えられた体躯は筋肉質ではないが無駄な肉などついておらず、すらりとしている。従姉妹のイェニーと同じ十四歳だが、クレールのほうが大人びて見えた。


 性格はきつく、わがままで、気性も激しい一面を持っている。もちろん、ジャレッドの知る以外の一面もあるのだろうが、残念なことに妹の態度はあまりよろしいとは言えない。兄として見られていないことが理由なのだろうが、口を開けば今のように見下した発言をされるため、兄妹の仲は決して良好ではなかった。

 従姉妹のレナとイェニーとは実の姉妹のように仲がいいが、ジャレッドとロイクへの態度はお世辞にもいいとは言えない。これは、アネットの教育が影響していると思われる。


「どうなの、早く返事をしなさいよ」


 無論、助けるつもりはある。こんな妹でも血の繋がった家族だ。困った部分を受け入れるのも兄としての度量だろう。

 そう思い返事をしようと口を開こうとする――よりも早く、オリヴィエがクレールの前に立ち、大きく腕を振り上げ、頬を叩いた。

 耳に心地よい音が響く。


「――っ、いきなりなに、を」

「それはこちらの台詞よ。いきなり現れたかと思えば、助けを求めるどころか兄に向かって命令するなんて。母親の所業を知りながら、よくも恥知らずにそんな口がきけるわね?」


 頬を叩かれたことで、オリヴィエを睨んだクレール。しかし、十四歳の少女の眼光など気にも留めず、冷徹な瞳が射抜く。


「お、お言葉ですが、無能な人間を兄とは思えません。それに、母はなにもしていないと言っていました。誤解から殺されたくないだけです!」


 オリヴィエに睨まれ身を竦ませるクレールだったが、彼女は必死に噛みつくように言葉を並べていく。しかし、余計にオリヴィエを苛立たせることになる。

 傍らで見ているジャレッドは、いつオリヴィエが爆発しないかと痛む胃を押えてハラハラしている。


「宮廷魔術師に選ばれたジャレッドが無能だと言うの? あなた、どれだけ頭の中がお花畑なのよ?」


 心底呆れたと言わんばかりのオリヴィエの言葉に、怒りか、もしくは羞恥なのかまではわからないが、クレールの顔が紅潮した。


「どうせ次に口を開けば公爵家の力で宮廷魔術師になったと言うのかもしれないけれど、そう思っているのなら助けを求めるようなことはしないで。わたくしは、あなた方のような人間のために、大切な婚約者が傷つくところは見たくはないの」

「なら、どうすればいいと言うのですか! 母はなにもしていない、誤解だと言っているのに!」

「知らないわよ。わたくしは、あなたたちが殺されたって痛くもかゆくもないわ」


 切り捨てるようなオリヴィエの物言いを受け、クレールは絶句した。もしかすると、彼女は兄ではなく、兄に助けを求めることで公爵家のオリヴィエに守ってもらおうと思っていたのかもしれない。

 しかし、言葉が悪かった。助けを求めるどころか、オリヴィエの怒りに触れ、見捨てられてしまうこととなる。


 オリヴィエはジャレッドが、この失礼極まりない妹を助けるために大陸一の暗殺組織の長と戦うことをやめるつもりがないとわかっている。そういう人だからこそ、自分たち家族は守られた。そんなジャレッドだからこそ、オリヴィエは惹かれ、愛したのだ。

 ゆえに、傷つくことを覚悟しているジャレッドを侮辱するような言動をオリヴィエが見逃せるはずがない。


「よくお聞きなさい。仮に、あなたたち親子の命が助かっても、わたくしは決して許さないわ」

「な、なぜ……」

「本気で尋ねているの?」

「当たり前です! だって、私たちはなにも悪いことなどしていません!」

「本当に呆れたわね。お義父さまもあなたの母親が情報通りに、リズ・マーフィーを殺そうと企み、実家と一緒になってダウム男爵家を乗っ取ろうとしていると確信しているのよ。だからこそ、自ら直接尋ねたのよ」


 ワハシュの言葉を信じるつもりがないのなら、はじめから真偽など問わない。

 ヨハンはアネットが罪を認めることを望んだ。罪さえ認めれば、罰することはするが命を助けようと行動できる。

 しかし、アネットは罪を認めなかった。ゆえにヨハンは助ける気がなくなってしまったのだ。無論、今は感情的になっているだけであり、冷静になれば見捨てるという選択肢はとらないだろう。だが、アネットがヨハンの差し伸べた手を払った事実は変わらない。


 クレールも口では必死に母はなにもやっていないと言っているが、彼女からは焦りが伺えた。

 心から母親が無実だと思っているのなら、もっと堂々としているべきだ。今のクレールは、確信に至っていないものの、母が嘘をついていると感づいている。そうオリヴィエの目には見えた。

 せめて娘である彼女だけでも、素直に助けを請えばよかったのだ。母親がなにかをして隠しているかもしれないが、助けて――そう、素直に一言だけ言えばジャレッドは躊躇いなく助けようとしただろう。オリヴィエだって、内心では気に食わないが、悪いのはアネットとパッジ子爵家であり、クレールたちは悪くないと思うこともできたに違いない。

 もうすべてあとの祭りではあるが、すべてはクレール自身が招いたことだ。


「わたくしは、あなたやあなたの母親と弟が気に入らないわ。わたくしのジャレッドに対する今までの態度はもちろん、お母さままで奪ったあなたたちを絶対に許さないから。覚悟なさい」


 顔を蒼白に染めたクレールは、膝を震わせる。助けを求めるようにジャレッドを見るも、彼の視線は妹に向いていないため気づかれもしない。

 ようやく自分が失敗したと悟ると、クレールは部屋を逃げだすようにでていった。

 扉の外から小走りで離れていく足音を耳にして、オリヴィエは控えめな胸を大きく張り、してやったと言わんばかりに笑顔を見せた。


「すっきりしたわ」

「……オリヴィエさま、やり過ぎです」

「あら、言葉にしただけですませてあげたんだから、感謝してほしいくらいだわ。そもそも、あなたが怒らないからわたくしが怒ったのよ。いくら家族だといっても、していいこととわるいことはあるわ。ジャレッドの優しいところは好きだけど、兄として甘いだけではあの子たちのためにはならないわ」


 言葉通り、ジャレッドは家族に甘い。さすがにアネットにまで甘くはないが、彼女の子供たちを守ろうとしているのは正直甘いとオリヴィエは思う。もし、ジャレッドの立場であったら、オリヴィエはクレールたちを躊躇いなく見捨てる。

 ワハシュに与することは決してしないが、自業自得だと切り捨てることくらいはする。

 それ以前に、クレールたちのジャレッドへの態度が気に入らなかった。仮にも兄に対し、暴言ともとれる言動は見過ごせない。跡目争いのためいがみあっているアルウェイ公爵家の兄妹でさえ、最低限の礼儀はある。


 クレールとレックスは、命が助かってもダウム男爵家から追放される恐れがある。守ってくれるはずの母親と子爵家の悪行が明るみにでれば、子供たちは放逐され、貴族でなくなる場合もあるのだ。

 子供に罪はなくとも、親のせいで放逐されることは珍しくない。

 今まで貴族だからまかり通ってしまっていたことは、平民となればそうはらない。

 オリヴィエはクレールの態度に怒りを覚えた。同時に、彼女が心を入れ替えるチャンスを与えたつもりだ。オリヴィエの指摘に、曇っていた眼をちゃんと開き、母が本当に罪を犯したのかそうではないのかを見極めるべきだ。子供からの懇願を受ければ、母親なら罪を認めるかもしれないという思いもある。

 すべては、アネット次第であるのだ。


 できることなら、罪を認め、司法に裁かれてほしい。それが無理ならば、例えワハシュが許しても、公爵家を裏切ったパッジ子爵家関係者は公爵家が許さないはずだ。

 ジャレッドが兄妹を守ろうと傷つく覚悟をしているのだ。できることなら、生きて罪を償ってほしい。そうオリヴィエは願う。


「肝に銘じます」

「よろしい。では、今度こそ、お義父さまのもとへいきましょう」



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