29.ヨハン・ダウムの気持ち1.
衝突寸前だったジャレッドとヨハンは、なかなか戻ってこないことを心配したオリヴィエによって止められた。
アネットだけならいざしらず、父親でありながら子供を見捨てようとしたように見えたヨハンに、ジャレッドは我慢ができなかった。アネットは確かに、知らぬと言い張った。だが、子供たちは違う。事情を知らないと思われる。ならば、助けるべきだ。
いくらジャレッドを兄として思っていなかろうと、血のつながりがある兄弟が死んでいくのを放ってはおけない。
父が子供たちのことまでどう思っているのか、ジャレッドにはわからない。しかし、アネットと会話しただけで――例え、罪を認めようしない態度にうんざりしたとしても、せめて子供たちにも声をかけるくらいはするべきだった。
「お義父さまは、丁寧に荷物を整理してくださったみたいね」
「みたいですね」
オリヴィエが間に入ったことで衝突こそしなかったが、一緒にはいられないとジャレッドは自室に向かった。背後から追いかけてくるオリヴィエの足音と、「私は自室にいる、落ち着いたらこい」という父の言葉を耳にするも、振り返ることはしなかった。
久しぶりに訪れた自室は綺麗に片づけられていた。
埃など落ちておらず、まめに掃除がしてあるのだと思われる。使われていないベッドや机も同様だ。
「愛されていてよかったわね――と、言ったら怒るかしら?」
父が片づけたという荷物の中から、小さなボールを取りだしてオリヴィエはほほ笑んだ。かつて、自分を構ってくれない父がどこかで買ったくれたものだ。しかし、与えてくれた父とボールで遊んだことはない。相手をしてくれたのは母だ。少年のように庭を駆け回り、ボールを投げていた姿は今も鮮明に覚えている。
「怒るなんて……でも、わかりません。ワハシュのせいで父のことを考える時間もないんですから」
だが、ワハシュのおかげで母の死の真実を知ることができたのも事実だ。もし、今日この屋敷に居合わせなければ、自分の知らないところですべてが終わっていた可能性だってある。
あとで事実を知ったときに、なにもかもが終わっていた――では、悔やんでも悔やみきれなかったはずだ。
「お母さまのことは残念だったわ」
「俺も残念です」
「できることならお会いしたかった」
「俺もまた母に会いたいですよ」
昔ほど回数は減ったが、今でも母を思いだす。宮廷魔術師になることが決まった自分のことをどうおもうのか、喜んでくれるか、自慢に思ってくれるのか。
「今のあなたにこんなことを尋ねるのは酷なのかもしれないけれど、カリーナさまとはどうするつもりなの?」
「母との約束通り、俺を心から愛してくれた人を恨むことなんてできませんよ。父がどうするかまでは俺にはわかりませんけど、俺は許します。それに、あの人だって被害者だ」
大切な息子を守るために母を毒殺しようとした。だが、少量の毒では死なず失敗した。毒を致死量飲み、死を選んだのは母の意思だ。きっかけこそカリーナにあったが、彼女が殺したわけではない。
「そもそも元凶はアネットとパッジ子爵家です」
側室とはいえ、母の死の元凶の名を呼ぶだけで怒りが込み上げてくる。冷静になれと言い聞かせ続けているからこそ我慢できるが、先ほどだって白を切り続ける姿に、いつ感情が爆発するのかわからなかった。
「あの方はどうするつもり? 司法に任せるというのはわかるけど、ジャレッドの気持ちは?」
「もちろん許せません――殺してやりたい。それが俺の本音です。だけど、ワハシュに殺されるのはなにかが違う。なによりも、アネットとパッジ子爵だけならいざ知らず、無関係な子供たちまで殺すなんて間違っています」
「そうね。あの男の怒りは理解できなくはないけど、やりすぎよね」
もしかするとワハシュが殺すと言ったことにより、ジャレッドは正反対の結果を求めたのかもしれない。
祖父を名乗るワハシュを、彼が語った事実を認めたくないという気持ちが、アネットに復讐することなく司法に任せると判断したのかもしれない。
だが、どちらにせよ同じだ。アネットがワハシュに裁かれようと、司法に裁かれようと、あの女自身が罪を認めなければ意味はない。レックスとクレールまで殺すことには絶対に賛成できないのは変わりない。
そう思いながらも、アネットが母の死に関わっていないと最後まで白を切るつもりであれば――自らの手で殺そう、と考えている自分もいるのだ。
ジャレッドの頭の中はぐちゃぐちゃになっている。
母の仇であるアネットが憎い、しかし母は自ら死を選んだ、弟と妹が殺されるのは許せない、従姉妹のレナまで巻き込むことも許せない、だけど、できることなら感情のままに制裁をくわえたい――繰り返し感情が揺れ動く。
いっそ、母が自殺ではなく、本当に殺されていればこうも悩まなかったのかもしれない。
「そろそろ冷静になれたでしょう。お義父さまのところにいく?」
「父に会ったら冷静さを失うかもしれません。俺は、アネットはともかく、レックスとクレールには死んでほしくないです」
「血の繋がりは簡単には切れないわ。いっそ他人であればと思うこともあるでしょう。わたくしだって、今まで兄妹に関することではたくさん悩んできたわ。でも、やっぱり弟は弟だし、妹は妹よ。憎たらしく思うことがあっても、死んでほしいとまでは思えなかったわ」
「俺も同じです。向こうは、俺のことなんてなんとも思っていないでしょうけど、それでもやっぱり俺は兄なんです」
兄らしいことをしてやった記憶はない。唯一自分のことを兄と慕ってくれるロイクですら、幼少期から二年ほど前まで時間があれば遊び、いじめから守ったくらいだ。関わった時間だけなら、祖父の屋敷にいたイェニーとのほうが多い。
兄という自覚だって、今まであったかわかったものではない。施設でルザーと出会い、兄として守ってくれた彼の背中を見て、こうなりたいと願った。その願いは、今も変わっていない。大きく影響を与えてくれた彼の強さと優しさは、今ジャレッドが戦おうとしている理由でもある。
「荷物はあとで取りにきましょう。さあ、お義父さまともう一度だけ話してみなさい」
「わかっています」
どう父と向きあえばいいのだろうかと迷うのも、父を受け入れることができないのも、すべては――愛情があったというワハシュの指摘に否定こそしなかったが、他にはなにも言おうとしないからだ。
せめてなにかを言ってくれればもっと楽なのに、と思わずにはいられない。
今の自分を、いや、自分たちを見たら、亡き母はどう思うだろうか。呆れるか、嘆くか、それとも馬鹿な奴らだと笑うのかもしれない。
できることなら、亡き母に誇れるような自分でありたいと思うのだった。




