28.レナ・ダウムの後悔1.
レナ・ダウムは突如現れたジャレッドに驚いた。彼だけだったらまだしも、不仲であるとされている父親と一緒に現れたのだから、驚かないほうが難しい。さらに、アネットがリズ・マーフィーを殺害するためにカリーナを脅したこと、ジャレッドを非合法施設に入れたことと、知らなかった事実が次々とヨハンから明かされていくのだから、短時間で何度も耳を疑ってしまった。
ジャレッドが一年ほど行方不明になっていたことは知っている。祖父母はもちろん、父もヨハンも捜索隊を何度も派遣していた。ジャレッドを心から慕うイェニーなどは、食事すら満足にできない状況となっていたことは、今でも鮮明に覚えている。そして、レナもまたジャレッドの安否を大いに案じているひとりでもあった。
だが、まさか、その一件にアネットが関わっているなどと思いもしていなかった。同時に納得できる。レナが、ジャレッドとイェニーに当てつけるようにレックスとの婚約を宣言してからというもの、難色を示していたアネットがダウム男爵家の当主に息子を置けるかもしれないと思うようになると、豹変したように賛成しはじめた。
決して息子のためを思ってではない。自分の地位をよりよいものにしたいからだということは、まだ子供であるレナにさえ手に取るように理解できた。
アネットが子爵家出身であることは知っている。顔をあわせるようになってから、二言目には新興男爵家の側室で終わりたくないと言っているのも聞いていた。
そんな彼女からしたらジャレッドは間違いなく邪魔だったはずだ。本人が与り知らぬところで、祖父がジャレッドを跡継ぎに考えている話は知っていた。そのためにはレナとイェニーのどちらかを妻にするという祖父母の考えも聞かされており、できることなら自分を選んでほしいとレナは願っていたのだ。
期待し、夢見ていた。ジャレッドと寄り添うことができるのではないか、と。素直にはなれず会えば口喧嘩をする関係だが、遠慮せずともいい仲であると勝手な思い込みをしていた。
結果、横から現れた行き遅れによって想い人を奪われ、妹は自分を差し置いて側室となることが決まった。
長女であるレナは、親戚筋か祖父が信頼する部下の誰かと結婚し、ダウム男爵家の跡取りを繋ぐ道具となる可能性が高くなった。いっそ父が跡目を継いでくれれば時間は稼げるというのに、父にその気はない。それどころか、伯父ヨハンが本家に帰ってくることを望んでいる節さえある。
なにもかも思い通りにならず、苛立っていたとき、イェニーに執着していたレックスがくだらない話を持ちかけてきた。レナと婚約することで、ジャレッドとイェニーの関心を向けたいということだ。
あまりにもお粗末で馬鹿らしい計画だ。どうせ二人とも気にもしない。事実、そうだった。それでもこのような馬鹿げたことにいまだつきあっているのは、なにかしていなければ気が狂ってしまいそうだったから。
いっそのこと、レックスをダウム男爵家の当主とし、アネットに好き勝手させてみてもおもしろいかもしれない――そんな破滅的なことさえ思うようになってしまう。
今日もアネットに呼びだされ、婚約に反対する祖父母をなだめるための話しあいが、いましがたの出来事だ。
「ジャレッドは、父に取り入るようにうまくやったようだな。まさか母上が正室を殺そうとしたなど、馬鹿馬鹿しい」
兄を兄と呼ぶことのないレックスは、ジャレッドが父親に取り入るためにくだらない嘘をついたと思い込み、侮蔑の表情を浮かべていた。
クレールも同じのようで、あからさまな呆れと嫌悪が浮かんでいる。しかし、レナには子供たちに隠れてアネットが動揺を必死に隠していることがわかっていた。
ヴァールトイフェルの存在は噂だが聞いたことがあった。まさか、その大陸一の暗殺組織の長が、ジャレッドの祖父になるとは思いもしなかった。そして、その人物がリズの死に関わっていたアネットたちを、自分を含めて殺そうとしているとヨハンから聞かされたとき――蒼白となったアネットの顔を見逃さなかった。
間違いなく関わっている。おそらく、ヨハンの言葉通りなのだろう。伯父は命の危機があると言うだけではなく、罪を認めて償うチャンスを与えてくれたにも関わらず、アネットは知らぬ存ぜぬを通した。
これでもう助けてもらえない。
レナもアネットの息子の婚約者である以上、殺されるらしい。実にいい迷惑だった。
幼いころからずっとジャレッドに恋をしていた。しかし、ジャレッドは妹ばかりをかわいがり、自分のことなど相手にしてくれなかった。そのせいでつい意地悪をするようになり、歳を重ねる度に素直になれず溝は深まっていくばかり。内心ではジャレッドは自分のことを理解してくれているなどと、幻想を勝手に抱き、行き遅れに奪われた挙句――彼の祖父に殺されようとしている。
あまりにも自分が哀れに思えた。それ以上に滑稽だった。
「おばさま、本当にジャレッドのお母さまになにもしていないのですか?」
「あっ、あなたまでなにを言うの、レナ! そんなに私を悪人にしたいの!?」
「そうではありません。ですが、誤解だろうと命の危機があるのならなんとかしなければいけません」
このまま死にたくない。命が惜しいのではなく、ジャレッドに嫌われたまま死にたくなかった。
ジャレッドは、レナを嫌っている。それだけなら構わない。だが、アネットたちと、母親の仇と一緒になにかを企んでいる人間だと思われたまま、殺されたくない。
誤解を解きたい。レックスなどではなく、ジャレッドが好きなのだと思いだけでも伝えたい。
「そう、よね。自衛は必要だわ」
「ジャレッドの力を借りてはどうでしょうか?」
「あなた、馬鹿じゃないの。あの無能になにができるのよ」
レナの提案を一蹴したのは、クレールだ。
頭が痛くなる。宮廷魔術師候補に選ばれ、先日宮廷魔術師になることさえ決まったジャレッドに対し、なぜ無能だと言えるのか。
元宮廷魔術師候補さえ倒したとされているのにも関わらず、いまだ彼を無能扱いする従姉弟たちに、呆れてしまう。
「ジャレッドは宮廷魔術師になることが決まっているのよ!」
「どうせ公爵家のコネでしょう! お父様から、剣の素質がないと言われて、長男のくせに後継ぎにもなれない男のどこに、そんな才能があるのよ!」
確かにジャレッドには剣の才能はないかもしれない。だが、誰が魔術師の才能までないと言ったのか教えてほしい。そもそも、彼の母リズ・マーフィーは元宮廷魔術師だ。母の才能を継いでいると、なぜ少しも疑わない。
物心つく前から、母親によってジャレッドが無能だと刷り込まれている姉弟は、本当に自らに危険が迫っている自覚があるのか疑問にさえ思う。
「おばさま」
「どうせジャレッドは私たちのために動くはずがないわ!」
「なぜですか?」
「それは――あの無能が私を母親殺しだと決めつけているからよ!」
追い詰められているにも関わらず、罪を認めようとはしないアネットにレナはもう話すだけ無駄だと悟る。
解決策を得るには、罰を受けることを承知で祖父母を頼るしかない――自らの招いた結果ではなるが、こんなことになるのなら少しでもジャレッドに対して素直になっていればよかったと思わずにはいられなかった。




