27.母の死の真実8.
ジャレッドとヨハンが部屋をでていったと同時に、オリヴィエの目の前でカリーナがボロボロと涙と謝罪の言葉を繰り返した。
息子に支えられながら涙を流すカリーナは、長い間誰にも打ち明けることができなかったリズ・マーフィーの死を明かすことができたこと、騙してしまう形になりながらも愛情を注いで育てたジャレッドが今もなお「母」と呼んでくれたことへの喜びに打ち震えていた。
いくら脅されていたからとはいえ、リズの死を招いた原因のは間違いなくカリーナである。それにも関わらず、いまだ母と呼んでくれただけではなく、ロイクにも兄としての態度を変えることがなかったジャレッドに、彼女がどれだけ救われたのか、本人以外に知る由もない。
ジャレッドがどれほど、カリーナを母と呼ぶことが難しかったことか。
「ごめんなさい、ジャレッドさん。ありがとう」
ここにはもういないもうひとりの息子に感謝の言葉を告げる。届かないとわかっていても言わざるをえなかった。
オリヴィエは、カリーナの涙を見て胸が痛くなる。
婚約者の義母であり、ジャレッドを愛情を持って育ててくれた人。いずれは、自分にとっても義母となる方だ。
アネット・パッジのせいで辛く苦しい時間を過ごしていた彼女に、母を守ろうと長年頑なだった自分と姿が重なった。
「お義母さま――」
「……はい」
「ジャレッドを優しい人に育ててくださり、心から感謝します」
心からの礼を受け、カリーナはさらに嗚咽を漏らすのだった。
※
ジャレッドとヨハンはノックをすることなく、半ば蹴破るようにアネットの部屋の扉を開けた。
「な、なにごとなのっ?」
部屋の中にはアネットだけではなく、息子のレックス、娘でありダウム男爵家長女となるクレール、そして従姉妹にあたるレナ・ダウムが揃っていた。
四人はジャレッドがヨハンを伴って現れたことに大きく驚いている。
無理もない。今まで、ジャレッドが父親と一緒に行動することなど滅多になかったのだから。しかし、まさかアネットたちも、自分たちのせいで親子が行動をともにしているなどとは夢にも思っていないだろう。
「あ、あなた――」
「嘘偽りなく答えろ、アネット。少しでも嘘だとわかれば――お前だけではなくレックスとクレールもこの屋敷から追いだし縁を切る」
すなわち死が彼女たちに訪れることになる。
最後通告をしたのは、夫としての最後の配慮だったのかもしれない。
「いったいなにを……」
今までに見たことのない真面目な顔をしているヨハンにアネットは戸惑いを浮かべた。
「アネット、お前はカリーナを脅しリズを殺すように仕向けたな?」
「――っ、ま、まさか! そんな恐ろしいことを私がするはずがないでしょう! いくらあなたでも言っていいことと悪いことがあるわっ!」
激高したアネットだったが、ジャレッドは彼女がわずかに目を見開き動揺したことを見逃さなかった。
同時、そのことを指摘するだけ無駄だと察した。そもそも、自らの手を汚すのではなく、カリーナを脅したアネットが罪を認めるはずがないとわかっていた。それでも、ワハシュからアネットたちを守るのは、暗殺組織の流儀で裁かせないためである。
「ロイクを害すると脅し、カリーナを使い、リズに毒薬を飲ませたな?」
「していません!」
「なら、質問を変えよう。僕がジャレッドを知人に家に預けようとしたときのことを覚えているか?」
「ええ、覚えています。私が、手配をしていましたので。でもまさか、その前にジャレッドが何者かに襲われて行方不明になるとは思ってもいませんでした」
よく言う――言葉にはださずに、平然としているアネットに内心毒づく。
「僕もそうだと思っていたから誰も責めることはしなかった。だが、お前がジャレッドを非合法施設に送ったという情報が入ってきた。それに関して言うことはあるか?」
「誰から聞いたかわかりませんが、そんなのでたらめです! あなたがジャレッドの行方を捜していることは知っていました。正直なぜとは思いましたが、知っていればお伝えしていました」
「そうか……」
否定し続けるアネット。こちらもワハシュからの情報のみであるため、これだという証拠を突きつけることができないのが悔しい。
だが、必死に隠しているがアネットから伝わるのは、戸惑いではなく動揺だ。
前者であれば、なぜこんなことを聞かれるのかと疑問に思っているのだとわかるが、後者であれば、なぜ今ごろになってというなにかを隠すようにも思える。
事実、アネットはうっすらと汗をかいていた。
レックスたちはなにがなんだかわからないと呆然としているので、関わっていないことはもちろんだがなにも聞かされてはいないのだろう。これで、少なくとも嫌われていようが弟と妹を守ることができる。
「二年ほど前、ジャレッドの一件に関わっていた僕の部下が体調不良を理由にやめたが、今ではお前の実家、パッジ子爵家で働いているそうだな?」
「え、ええ、私も反省しましたが、ジャレッドをひとりで行動させたという負い目からこの屋敷にはいられなかったそうです。不憫に思い、父に頼んで雇ってもらいました。なにか問題でも?」
「いや、そういう理由ならしかたがない。では、最後に――パッジ子爵家がダウム男爵家を乗っ取ろうとしていることは事実か?」
ヨハンの問いかけに、今度こそアネットは目に見えて驚愕した。
「な、なにを……」
「信用できる筋からの情報だ。お前が僕の側室のなったのはアルウェイ公爵家の派閥を裏切ったパッジ子爵家の命令だということ、そしてダウム男爵家を乗っ取ろうとしていること。その過程で邪魔であるリズを殺そうと企み、カリーナを脅し弱みを握り、最後にはジャレッドさえ消そうとした」
子供たちと従姉妹が、アネットにかけられている疑いに驚きを露わにする。
すべてを知らなかったのか、それとも知っていた以上に母が悪事に手を染めていたことを驚いたのか、ジャレッドには判断できない。
ただし、レナだけがジャレッドに泣きそうな顔で視線を向けていた。一度だけ、目があったが、言葉をかけることなく視線を外す。
「まったく気づかなかった僕も間抜けだが、正直よくもここまでやってくれた。憤りを通り越して感心さえしている」
「誤解です! 私は、いいえ、父もあなたがおっしゃるようなことには一切かかわっていません!」
「事実か? 僕は、お前を信じていいのか?」
「もちろんですとも。私はあなたの妻です。子供だって二人もいるんですよ。あなたの、いえダウム男爵家に害を与えることなんてするはずがないじゃないですか。それに、リズやジャレッドのことも不幸な事故です。私はなにも関わってはいません」
あくまで身の潔白を唱えるアネット。悔しいが、証拠がない以上彼女が罪を認めない限り、たとえワハシュの調べ通りだったとしても罪を裁くことができない。
だが、ワハシュならば証拠をもっている――そう思えた。しかし、当のワハシュは証拠があろうとなかろうと、アネットを含め関係者を根絶やしにしようとして言うので関係ない。
いっそ、アネットが罪を認めれば、しかるべき機関に預け守ることもできるのだが、難しいだろう。
「本当に、違うんだな? 関わっていないんだな?」
「当たり前です! こうも否定しているのに疑うなど、酷いと思いませんか? 妻が夫を信じるように、夫は妻を信じるべきです。いくら側室とはいえ、この扱いには不満を覚えます!」
「そうか……それならよかった。疑ってすまなかったな」
「いいえ、リズの死をあなたが今も引きずっていることは薄々気づいていました。誰かを疑いたくなるのもしかたがないでしょう。カリーナを脅したことや、ジャレッドの一件をどなたから聞いたのか知りませんが、あまり真に受けないようにしてください」
謝罪したヨハンに気づかれないよう安堵の息を吐くアネットだったが、ジャレッドにははっきりと見えていた。
嘘をついているなどと、問わずともわかる。
怒りよりも、もっと演技力を高めてほしい――と呆れさえ浮かんだ。
「ところで、あなたに愚かなことを吹き込んだ人間はどこのどなたですか? お許しいただければ、私が仕置きしますが?」
「リズの父だ」
「――え?」
アネットは言葉を失った。
ヨハンがなにを言ったのか理解できず、いや、理解したくないとばかりに硬直する。
「お前も知っているだろう。暗殺組織ヴァールトイフェル」
「え、ええ、与太話だと思っていましたが、あなたが知っているとなると、実在するのでしょうか?」
「実在する。そして、リズの父親はヴァールトイフェルの長だ」
「……な、なな、なんで、すって?」
「聞こえなかったのか? リズの父親は、ヴァールトイフェルの長ワハシュという男だ。父と何度か戦場で戦い、敗北させた唯一の男だ」
ヴァールトイフェルが実在するかどうか真偽は知らなかったようだが、噂だけなら知っていたはずだ。そして、大陸一の暗殺組織が実在し、率いているのがリズ・マーフィーの父親ワハシュであることを知ったアネットの心情はいかがなものか。
小刻みに震えているのは決してジャレッドの気のせいではない。
「義父はリズの死を調べていた。その過程で、すべてが繋がっていると突き止めた。そして、関わっている人間とその関係者をすべて殺すと宣言した。あの方ならそれも可能だ」
「で、ですが、私はなにもっ、関わってさえいません!」
「わかっている。ならば堂々としていろ。義父は慎重であり、誠実な方だ。本当にお前が関わっていないのなら、なにもされることはない。安心していい」
ヨハンの言葉を聞き、安堵したのは子供たちだった。
無関係にも関わらず巻き込まれて死ぬのだけは誰だってごめんだ。しかし、アネットだけは体の震えが止まらない。
「どうした?」
「い、いいえ、なにも――ですが、万が一、リズの父上が無関係な私を関係者だと決めつけ襲ってきた場合は、旦那さまは私を守ってくださるのですよね?」
「もちろんだ。しかし、あまり期待はしないでほしい」
「どういうことですかっ!」
「義父に勝てる人間など僕は知らない。僕と父上、そしてジャレッドが束になって立ち向かっても、勝てるかどうか……だが、安心しろ。お前が本当に関係ないのなら、義父もわかってくださる。その上で、もう一度尋ねる。本当に、お前はリズの死に関わっていないな?」
命の危機があると脅した上で、最後のチャンスを与えるヨハン。
しかし、
「何度も聞かないで! 私は、なにもやましいことなどしていないわっ!」
差し伸べた手をアネットは払ってしまった。
「……そうか。わかった。疑って悪かったな」
そう言い放ったヨハンの顔には失望が浮かんでいた。もしかしたら、罪を認めてさえくれれば許すつもりだったのかもしれない。
だが、もうその気はないように見える。
「いくぞ、ジャレッド」
「おい、待て、いくってどこにだ」
「いいからこい」
腕を掴まれ、ジャレッドは無理やり部屋の外へだされてしまう。
扉が閉められる寸前に、蒼白なアネットの顔が見え、不安に染まるレナと瞳があう。彼女がなにかを言おうと口を開こうしたが、それよりも早く扉が閉じられた。
「おいっ、どういうつもりだ! このままだとワハシュに殺されるぞ!」
「僕は償うチャンスを与えた。だが、最後まで知らぬ存ぜぬを通そうとしたのはアネットだ」
「だからって、あんたの子供もみんな殺されるんだぞ!」
「僕は忠告した! もし、本当に子供のことを思っているのなら、自らの命を差しだしても守ろうとするはずだ。だが、あいつはそうしなかった」
「お前がそれを言うんじゃねえよ! いくらあの女がどうしようもなくても、あんたは父親だろ、なら子供を守ってやれよ!」
腹立たしいヨハンに拳を握りしめた刹那、
「やめなさい、ジャレッド!」
静かだが力強い声によって、動きが止まる。
「……オリヴィエさま」
「まったく、しょうがない親子ね。心配して見にきて正解だったわ」
どこか困った顔でこちらを見ていたオリヴィエは、衝突寸前だった親子にため息をつくのだった。




