22.母の死の真実3.
今度は誰もが絶句する――ということにはならなかった。アネットの気質を考えると、納得できてしまう面があったからだ。
初対面であったオリヴィエさえ驚きはしなかったのだから、アネットの人格は察する以上だ。
「アネットが、まさか、どうしてそんなことを……」
ただし疑問は残る。
怒りに声を震わせたのはヨハンだ。無理もない。彼はジャレッドを遠ざけようとしたが、信頼できる知人に預けようとしていたのだ。まさか暗殺組織の非合法施設に息子が入れられたなど、つい先ほど耳にするまで知らなかったのだ。そして、その段取りをしたのが側室だと言うのだから、ヨハンの心中は激しい後悔と自己嫌悪に陥っていた。
自分が息子を遠ざけようとしなければよかったのか、と思わずにはいられないが、すでにもう終わってしまったことだ。どれだけ後悔しようと、己を責めても、過去は変えられない。
「調べたところ、理由は複数あったが、自分の息子をダウム男爵家の当主にしたかった。実に愚かだが、貴族には珍しくないよくある話ではある」
ワハシュの言うとおり、実によくある話だ。
貴族社会では、その一族の当主こそが貴族なのだ。家督を告げなかった人間は、貴族であって貴族ではない――そう思う者さえいる。
一族によって、長男が家督を継ぐ場合や、優秀な子供が継ぐ場合など違いはあるが、共通するのは誰もが自分の子を当主にしたいと思うことだ。
それは、正室であろうと側室であろうと関係ない。正室の子が当主になれないことも珍しくないのだ。
「そして、我が子を当主にするためにはジャレッドが邪魔だった。才能がないと言い、当主を継がせないと断言したジャレッドが、邪魔だったのだよ」
「なぜだ! ジャレッドは当主にさせないと僕は言った! 後継ぎではないじゃないか!」
「それでもだよ。正室だったリズの息子であり、長男であるジャレッドは彼女にとって脅威に見えたのだろう。そして、お前の父親が、自身の後継者にジャレッドを選んでいたことも動機のひとつでもある」
よくもそこまで調べあげたものだとジャレッドは他人事のように感心した。
だが、もうどうでもいい。母が自殺だということ、母の死に慕っていた義母が関わっていたこと、優しかった家人が自分を追いやるために加担していたこと――すべてが重くのしかかっている。
オリヴィエの温もりを肌で感じていなければ、とうにこの場から離れていただろう。
そんなジャレッドの心情に気づくことなく、残酷にも話は進んでいく。
「なによりも、アネット・ダウム――いや、こう呼ぶべきだな、アネット・パッジは、生家のパッジ子爵家からダウム男爵家を乗っ取るように命じられていた」
「まさか、そんなことが……」
知りもしなかった妻の事実に、ヨハンは唖然とした。
ワハシュが自分に嘘をつく理由がないことはわかっている。今まで、会ったことは数える程度しかないが、暗殺組織ヴァールトイフェルの長でありながら、ワハシュという人間は――誠実だ。
無論、人を殺める組織にいる以上、善人ではない。
それでもヨハン・ダウムの知るワハシュという人間は、恐ろしくも誠実であり、必要な人間だった。
人を殺めることが単純に悪とされるのなら、ヨハンをはじめ父も、そしてジャレッドすら悪人になる。
ヴァールトイフェルの全貌は知らないが、暗殺組織もこの複雑な時代には必要だと理解もできている。
その組織を率いるワハシュが、愛した妻リズの父である彼が、自分に嘘を――しかも、得にもならないような嘘をつく必要がない。そうわかっていながら、受け入れることもできない。
「事実だ。乗っ取りをする過程で、自分の息子の将来が約束されるのだから嫌だとは言わないだろう。ただし、リズが邪魔だった。いくら宮廷魔術師を辞する際、爵位を返却したとしても、元宮廷魔術師という肩書は強い。それこそ、子爵家など相手にならないほどに」
「だから殺そうとしたのか? だけど、リズをそうそう殺せるわけがないでしょう」
「その通りだ。同じ宮廷魔術師であっても、娘は殺すことなどできない。ただし、アネット・パッジは少々短絡的な思考のもち主だったようだ」
ワハシュは言葉を一度止めると、カリーナに視線を向ける。
事実が暴かれていくたびに、彼女の顔色は悪くなっていた。
「安心していい、カリーナ・ダウム。私と、ヴァールトイフェルが、あなたと息子を守ることを約束しよう」
「……本当、ですか?」
「あなたは利用された。愛する息子を脅かされてしまえば、選択肢などないに等しい。あなたの境遇には同情している。ゆえに、アネット・パッジとその関係者から、守ることを誓おう」
「……感謝いたします」
深々と頭を下げるカリーナに頷くと、ワハシュはヨハンに向けて再び言葉を発した。
「アネット・パッジは、リズを殺そうとした。ただし、自分の手を汚すことを嫌がった。そこで選ばれたのが、カリーナ・ダウム――あなただ」
カリーナは視線が集まる中、今度は沈黙することなく、肯定した。
「その通りです。アネットさまは、息子の命を脅かすと脅し、私にリズさまに毒殺するように命じました。私は拒むことができず実行したのです」
「だが、失敗した。そうだな?」
「はい。今なら、理由がわかりますが、当時は毒をもったのに平然としていたリズさまに驚きました。ですが、同じくらいほっとしたのです。姉のように慕い、妹のようにかわいがってくだったリズさまを手にかけずにすんでよかった、と」
過去を思い返すように、カリーナは語る。
まるで、当時を鮮明に思いだしているかのごとく、安堵の息を吐いた。
「しかし、このままではアネットさまによってロイクが害されてしまうと怯え、震え、泣きだした私にリズさまは事情を尋ね、すべてを明かしてしまいました。どうしていいのか、わからず、なにかにすがりたかったのです。ですが、それはしてはいけなかったのです」
息子に支えられながら、カリーナは悲しみと怒りに体を小刻みに震えさせた。
「すべてを説明し、許しを請うた私にリズさまはおっしゃいました。愛する息子がいるのは同じだからわかる、と。そして、ふたつだけ約束をしてくれれば――自ら命を断とう、と」
ワハシュを含め、カリーナの言葉を一言一句聞き逃すまいと呼吸さえ殺す。
誰もが知りたがっていた、リズの死の理由がようやく明かされたのだ。
「約束事は、とてもリズさまらしいものでした。ひとつは、ジャレッドさんを実の我が子として愛し、育てること。もうひとつは、旦那さまをリズさまのぶんまで愛し、お支えすることでした」




