20.母の死の真実1.
「もとはと言えば、お前が放置した男が作った施設じゃないか。始末の悪い部下にすべてを任していたくせに、俺を止めるんじゃねえよっ」
ジャレッドは腕を掴まれたまま怒声と射抜くような眼光を向けるが、ワハシュの手は緩まない。どれだけ力を入れても、腕を自由にすることはできなかった。
「そのことに関してはすまないとしか言えないが、ヨハンを責めることはできん。なぜなら、この男は本当にお前がどこにいるのかを知らなかったのだ」
「嘘、だ。そんなこと、信じられるわけがないだろ!」
「嘘ではない。確かにヨハンはお前を遠ざけようとしていた。しかし、信頼できる知人のもとへ送ろうとしていたのだ。お前が施設に入れられたことにはまったく関わっていない。むしろ、想定外だったのだ。ヨハン自身が知らぬところで、お前はさらわれてしまった。そうだろう、ヨハンよ?」
「――はい」
ワハシュの言葉を認めた父を見て、ジャレッドが膝をついた。
「ジャレッドっ」
そんなジャレッドにオリヴィエが駆け寄り強く抱きしめる。年下の婚約者は今にも泣きだしそうに見えた。
オリヴィエは、親鳥が雛を守らんとする意思のごとく、精一杯腕に力を込める。そして、ワハシュとヨハンを睨んだ。
「もういいでしょう。お義父さまがジャレッドを嫌っていないことも、施設に収容しようとしていなかったこともわかりました。ですから、わたくしとジャレッドは帰らせていただきます。今のジャレッドに、これ以上なにかを告げないでください」
オリヴィエは今さらながらに後悔をしていた。
かつて、自分と父の関係を改善してくれたジャレッドのように、彼と父親の関係を間然することができるかもしれない――などと、思わなければよかった、と。
オリヴィエは父からリズ・マーフィーに関することを聞いていた。すべてではないが、重い事実だった。ゆえに、ジャレッドが受け入れることができるか不安だった。その不安が、父親との関係を改善させることで、真実の重みが分散されることを願ったのだ。
――だけど、こんなことを望んでいたのではないわ。
しかし、ワハシュから突きつけられた事実は、父親が息子を愛していたというもの。家族としての愛情などないと信じて疑っていなかったジャレッドにとって、青天の霹靂である。
腕の中で戸惑いに震える少年は、宮廷魔術師に選ばれるほどの強者とは思えない。オリヴィエにとって初めて見る、弱さを露わにしたジャレッドだった。
幻滅などしない。むしろ、弱さがあることに安堵するし、愛しいとさえ思う。だが、その気持ちと現状は違う。なによりも、まだワハシュはすべてを語っていない。もっとジャレッドに真実が重く圧しかかる前に、この場から彼を連れだしたい。
「いや、それはだめだ」
「あなたがいくらジャレッドの祖父を名乗ろうと、わたくしたちを止める権利はないわ」
「そうかもしれないが、最後まで聞いてもらおう。下手なことは考えないほうがいい、私は目的のためなら手段は問わない」
オリヴィエの願いをワハシュは切って捨てた。それどころか、場合によっては手荒な真似さえすると言う脅しまでつけ加えられてしまう。
「偶然とはいえ、私がこの屋敷にやってきたこのときにジャレッドと君が居合わせた。これは運命だと私は考えている。ここまで真実を知ったのだから、すべてを知っていけ。辛いだろうが、乗り越えろ」
腕の中でぴくりともしないジャレッドを守ろうと、オリヴィエは首を横に振る。だが、彼女にはそれだけしかできなかった。
ジャレッドは確かに父ヨハンを今は恨んでいない。だが、かつては恨み、憎み、復讐することを夢見て生きながらえていた。短い時間ではあったが、ジャレッドにとっての生きる目的だったのだ。
だが、否定された。違うと知ってしまった。ショックが大きいのは当たり前だ。
単に父親から、愛していなかったわけではない、と告げられたのではない。
父親の隠していた愛情という事実が第三者から急に告げられたのだ。まだ、十六歳という未成熟な心ではすべてを受け入れることができない。
「やめてください。あなたが、ジャレッドの祖父だというのなら、お願いします」
「――ふむ。オリヴィエ・アルウェイ。君はなにを動揺している?」
「動揺など、していません」
「いや、している。私には君の鼓動がよく聞こえているから隠すことはできない。もしかすると――父親からリズの死の真相を聞いていたかな?」
「わたくしは、なにも知りません!」
「嘘だな。今は、声も動揺し震えていた」
ワハシュの指摘に、ジャレッドを抱きしめていたオリヴィエの身が無意識に強張った。そして、その変化は腕の中のジャレッドに伝わってしまった。
「オリヴィエ、さま?」
婚約者が自分の名を呼ぶ声に、オリヴィエは抱きしめていた腕により力を込めた。
同時に、隠すことができないと抵抗するべきではないと冷静な自分が、焦りを浮かべた自分を説得しようとしている。
オリヴィエは、覚悟する。疑問と戸惑いを浮かべるジャレッドに、
「わたくしはあなたのことを心から愛しているわ。ごめんなさい。だから伝えることができなかったの――」
真実を告げる決意をした。
この場にワハシュがおり嘘を見抜かれてしまうのならば、嘘で嘘を塗り固めるのではなく――自分の知る事実を自ら明かすことを選択したのだ。
「あなたのお母さまの死因は確かに毒だったわ。でも、毒殺ではなかったの。――自殺だったのよ」
「――え?」
ジャレッドは大きく目を見開いた。彼女の腕をほどき、まっすぐ見つめる。目があうも、彼女は目線をあわせたまま今にも泣きそうな顔をしていた。
オリヴィエの言葉が理解できない――いや、したくなかった。
「ごめんなさい。隠しておくつもりはなかったの。でも、わたくしもお父さまも信じられなくて……なによりも、あなたにどう伝えていいのかわからなかったのよ」
離れてしまったジャレッドを再び抱き寄せ、謝罪する。
ごめんなさい、ごめんなさいと何度も繰り返す。
「オリヴィエ・アルウェイ。確かに君の言うとおり、リズは自殺だった。その理由は知っているかな?」
「いいえ、ただ自殺しただけと」
「ならば、私が教えよう。いや、それとも――自分で言うかな?」
ワハシュの瞳が、ジャレッドとオリヴィエからヨハンに向けられる。
「僕はなにも知らない! リズがなにを考えてそんなことをしたのか、一番知りたいのはこの僕だ!」
「違う。お前ではないよ、ヨハン」
ワハシュの瞳は確かにヨハンに向いていた。だが、正確に言うならば、ヨハンの背後で息子とともに事の成り行きを見守っていた、
「――あなただ、カリーナ・ダウム」
ジャレッドにとっては義母にあたるカリーナ・ダウムに向けられていたのだ。
「おかあ、さま?」
ロイクが戸惑った小さな声で母を呼ぶと、カリーナの体が跳ねた。
「まさか……そんな、馬鹿な……」
ジャレッドは信じられないと、声を震わせる。ジャレッドだけではない。オリヴィエも、ヨハンまでもが、信じられないとカリーナを見た。
カリーナは否定しない。肯定もしない。なにも言ってはくれない。それが、家族たちの不安を大きくする。彼女が唯一したことは、口元を手でおおい、体を震わせることだけ。
「カリーナ……お前はなにを知っているんだ?」
「……旦那さま」
「教えてくれ、カリーナ。なぜ、リズは自殺した? どうして、リズが自ら命を断たなければならなかったんだっ!」
ヨハンは妻の肩を掴み大きく揺さぶる。
しかし、カリーナはなにも語らずただ首を横に振るったのだった。




