16.生家訪問7. 婚約者と父1.
「お話し中にごめんなさい……でも、あの、父上が帰ってきました」
訪れたロイクから伝えられた言葉に、ジャレッドは席を立った。
「ああ、もうそんな時間か……オリヴィエさま、帰りましょう」
「え? 兄上、もう帰ってしまうのですか?」
驚いたというよりも、悲しそうに目を伏せたロイクに罪悪感が湧く。
兄でありながらいつも構うことができず、理由もなくこの屋敷にくることがないため、以前とは違いあまり兄らしいことをしてやれていないことを気にしていたのだ。
しかし、父親と顔をあわせれば屋敷の空気が悪くなる。父親も不機嫌になってしまえば、帰るジャレッドはともかく、カリーナたちは気まずくなるはずだ。
ロイクも父との不仲は知っているはずだ。もしかすると、弟なりに親子の仲をなんとかしたい――など思っているのかもしれない。
「今度またゆっくりくるよ、ごめんな」
「……兄上はいつもそう言っています」
「本当に、ごめん」
寂しがる弟に近づき、頭をそっと撫でる。涙ぐむ弟に心底すまないと思いながら、オリヴィエに帰りましょう、と目で合図をする。
「わたくしは、まだ帰らなくてもいいのよ。もちろん、ジャレッド次第だけれど」
ロイクに気づかってくれたのか、はっきりと帰ろうと言わなかったことに感謝する。ジャレッドもできることなら、ロイクと少しぐらい遊んでやる時間がほしかった。
「ありがとうございます、オリヴィエさま。でも、今日は帰りましょう。そして、また一緒にきてください」
「ええ、わかったわ」
考えた結果、やはり父親と顔を合わせる必要はないと判断し、帰ることを決める。
オリヴィエはそれ以上なにかを言うことなく、席を立つ。
すると、
「ジャレッドさん――一度だけでも、ちゃんと旦那様とお話しするべきではないでしょうか?」
「お母さま、それは」
「きっと宮廷魔術師の件も喜んでくれると思います。他ならぬリズさまと同じ地位に就かれることになるのですから」
本当にそうだろうか。義母に言葉をジャレッドは受け入れられない。
ジャレッドが知る、父ヨハン・ダウムは宮廷魔術師であった母を愛していなかったと聞いている。そんな父が、母と同じく宮廷魔術師になった息子を、それも剣の才能がないからと当主を継がせないと断言し、一度は施設に入れようとしたにも関わらず、「よくやった」などと言うことは――残念ながらないだろう。
「ジャレッドは嫌がるかもしれないけれど、できることならわたくしはあなたの婚約者としてお父上と挨拶がしたいわ」
「オリヴィエさままで、そんなことを」
意見を変えた婚約者に困った顔をする。
「でも、わたくしとあなたが婚約するきっかけをつくったのは、あなたのお父さまがわたくしの父に話をしたからよ。どのような理由があったのか、知りたいじゃいないの」
「私も気になっていました。なぜ、ジャレッドさんとオリヴィエさまを婚約させようとなさったのか、私にはなにも教えてくださいませんでしたので」
「お母さまも、オリヴィエさまも、勘弁してくださいよ」
「あなたはおかしいと思ったことはないの、ジャレッド?」
急に問われ、ジャレッドは首を傾げた。
「オリヴィエさま、なにが言いたいんですか?」
「ヨハン・ダウムさまは、息子のあなたを快く思っていないと公言しているわ。お祖父さまの跡目も継がせたくないとまで――ならばどうして、公爵家との縁談を? いくらわたくしに悪い噂がつき纏っているとはいえ、ジャレッドと結婚すれば不都合になるのはお父さまのほうではなくて?」
言われれば確かにそうだ。あまり気にしていなかったが、辻褄があわない。
父は自分を疎んでいた。理由は定かではない。ただ、まだ母が生きていたころ、一度だけ剣を振らせてもらったときから、自分と父の縁は希薄となった。
思い返せば、剣を振ったときそばにいた父の顔を覚えていない。母の顔もだ。
失望に満ちた顔をしていたのか、それとも笑っていたのか、幼かったとはいえなにも記憶になかった。
そして、父が「お前に当主を継がせない」とまだ幼かったジャレッドに告げたときも、どのような顔をしていたのかわからない。
理由も、祖父から剣の一族でありながら剣の才能がなかったと判断した父の独断で、自分が次期当主から外されたと聞いた。今もそうだが、当時にジャレッドも当主はもちろん貴族そのものに興味がなかったため、とくに思うことはなかった。
母が亡くなったこともあり、それどころではなかったというべきかもしれない。
――俺は父親についてなにも知らない。
きっと父も自分のことをあまり知らないだろう。だが、なぜ自分を疎むのか理由すらしらないのだ。
一度は殺したいと思った。だが、行方不明になっていた自分を案じていた父親を見て、わけがわからなくなった。そして、目に見えて心配していた父親に気づいてしまったジャレッドは、掲げた復讐心がどうでもよくなってしまったのだ。
「直接聞いてみましょう」
「ちょっ、オリヴィエさま!」
「だって、気になってしまったのだから、このまま放置するのは気持ちが悪いわ。それに――」
「それに、なんですか?」
「いいえ、なんでもないのよ」
言いかけていた言葉を止め、オリヴィエは言葉を濁した。
彼女は内心――もしかすると、ヨハン・ダウムとジャレッドの仲が改善できるのではないかと思っていたのだ。
父を嫌っていた自分の心を解きほぐしてくれたように、ジャレッドに対して同じことをしてあげられるのではないかと思った。
大きなお世話なのかもしれないが、ジャレッドの祖父を名乗るワハシュの登場、そして、父から聞かされたリズ・マーフィーの死の一件を含め、少しでもジャレッドの心の重荷を軽くしてあげたいと思わずにはいられないのだ。
オリヴィエ自身、心の整理ができていない。父からジャレッドを含め他言するなと言われているが、不用意に事を起こすことができないのも事実。ゆえに、今日ジャレッドについてきたのだ。
この彼の生家で、彼の家族と会い、その上で――心の整理がつけば父の言いつけに反し、ジャレッドにすべてを伝えよう。そう、オリヴィエは決意していたのだ。そのためには、まず、ヨハン・ダウムに会いたかった。