13.生家訪問4. オリヴィエ・アルウェイ対アネット・ダウム.
「アネットさま……いきなり部屋へくるなりそのようなことを」
「お黙りっ。いくら正室だからって男爵家程度の家から嫁いできた人間が、子爵家の私に意見しようっていうのかしら?」
ジャレッドはため息をつく。
記憶にあるアネットは相も変わらないようだ。よくも悪くも元気なのだろうが、できることならオリヴィエに見せたくなかった。
アネット・ダウムは、貴族らしい悪癖をもった女性だ。爵位こそすべてと思っている節があり、父や祖父のことでさえときには見下す発言をする。そんな彼女だが、子育ては自らの手で行っているのだが――同じ思想をもつ息子と娘が育ってしまったので、ほとほと手を焼いているのがダウム家の現状だった。
アルウェイ公爵家に比べれば規模は小さいが、正室と側室の諍いがダウム男爵家にも存在している。
とある貴族の屋敷では、妻たちがそろって仲がよく険悪さなど微塵もない一族がいるらしいが、実に羨ましいと思う。
「来客中ですので、今はとにかくこちらからお出になってください」
「この私に命令しようと言うの?」
カリーナは、オリヴィエを前にしてぶしつけに部屋に現れたアネットに焦りを見せた。対し、アネットはオリヴィエの存在に気づいていない。
ジャレッドを一瞥することなく、カリーナに怒鳴っているのだから、彼の隣にいる婚約者が目に入っていないのだ。
「アネットさま、本当にお客様がいらっしゃいますので、どうか――」
「なによ。ジャレッドがきているくらいで、そんなに大げさ、な……」
鼻を鳴らし、ようやくジャレッドに視線を向けたアネットだったが、驚きに目を見開くこととなった。
「お、オリヴィエ・アルウェイ様っ?」
ジャレッドの隣には、静かにほほ笑んでいるオリヴィエの姿がある。婚約者であり、ともに生活しているジャレッドが見たことがない笑みだった。
感情がなく、しかし品のある、氷を連想させる笑顔は美しくも恐ろしい。
彼女が心の中でなにをどう考えているのかわからず、隣に座るジャレッドのほうが身を縮ませてしまう。
「どうして、このようなところに?」
「あなた――わたくしの婚約者になにか用事でもあるのかしら?」
震える声で疑問を口にしたアネットに、オリヴィエは冷たい声で問う。
彼女の声を聞き、ジャレッドは思いだした。
初めて祖父の屋敷でオリヴィエと出会ったとき、不機嫌と不満を隠すことなく言葉を発していた彼女も今のようだった。
あのときはまさかこうも親しい関係になるとは思っておらず、二ヶ月と少ししか経っていないことが嘘のように思える。と――隣で威圧感を放つ婚約者から逃避してみる。
「い、いいえっ、家族として、あいさつをしたく」
「嘘おっしゃい」
声だけではなく、体まで震わせはじめたアネットをオリヴィエは切って捨てた。
アネットにとって、爵位とは絶対なものだ。ゆえに、子爵家出身の彼女はダウム男爵家で傲慢に振る舞う。だからこそ、目の前に公爵家の令嬢がいることがただただ恐ろしい。
公爵家と子爵家ではあまりにも立場は違う。そういう意味では、新興男爵家の生まれであるジャレッドもオリヴィエとは釣りあわないのだが、その差を補うことができる地位こそ宮廷魔術師というものだ。
しかし、アネットはもちろん宮廷魔術師などではなく、ダウム男爵家に比べて歴史が浅い子爵家に生まれた三女でしかない。そして、今は男爵家の側室だ。
「私は、その」
「別にあなたがなにを思おうと、なにを言おうと興味はないのよ。わたくしはあなたのようは人間を嫌というほど見てきたから、今わたくしがなにかを言っても、あなたが自分を変えることはきっとないでしょうね」
オリヴィエにとって、傲慢な人間は珍しくない。オリヴィエ自身も傲慢な一面をもっている自覚がある。
無作法に部屋に現れたことも、あいさつしろといいながらまともなあいさつができないことなども、どうでもよかった。
この手の人間は、好き勝手に生きている。立場が上の人間には媚びへつらうが、いなくなれば舌打ちをすることのできる人種だ。
相手にするだけ無駄であり、面倒なのだ。
父親の側室にも似たような人間はいるので、オリヴィエにとって対処は簡単だ。しかし、許せないこともある。
「でも――ジャレッドに対してその態度は許せないわ」
静かな怒りにアネットが大きく体を震わせた。ただし、その震えは恐怖だけではない。
「あなたがどれほどの人間なのか知らないけれど、ジャレッドはわたくしの大切な婚約者なのよ。彼に悪意をぶつけたいのか、それとも利用したいのか、あなたの考えなんてどうでもいいのだけれど、彼に余計な面倒をかけさせないでちょうだい」
静かだが強い口調で言い放たれた言葉を受け、アネットは恐怖以上に屈辱を覚えた顔をしていた。
「お返事は?」
「かしこまり、ました」
「聞こえないわ。ちゃんとお返事してくださる?」
「か、かしこまりました!」
深くオリヴィエに頭を下げたアネットがどんな顔をしているのかジャレッドには見えない。
体を震わす父の側室が、恐怖と屈辱のどちらに支配しているのかさえわからない。
だが、オリヴィエは気づいているようだ。そして、その上でさらに畳みかける。
「顔をあげなさい。そして、ジャレッドとお義母さまにも謝罪なさい」
「――っ、それは」
「あら? できないの?」
頭を上げたアネットは、オリヴィエの要求に表情を歪ませた。明らかに、謝罪などしたくないことがはっきりと見てとれる。
アネットにとってオリヴィエは爵位が上の一族の人間であるため、頭を下げることにも我慢できたのかもしれない。だが、ジャレッドとカリーナは違う。そう思っている以上、謝罪などしたくないのだと口にしなくても伝わってくる。
ことの成り行きを青い顔をして見守っていたカリーナがなにかを口にしようとするも、それよよりも早く、オリヴィエが発した。
「子爵家程度の家のあなたが、公爵家の娘であるわたくしの命令が聞こえないというの?」
「――っ、そんなこと、ございません」
「なら、はやく謝罪なさい」
「カリーナ……」
「カリーナさま、でしょう。さ、言い直して」
「……カリーナさま、ジャレッドさま、大変申し訳ございませんでした」
怒りで顔を真っ赤にしながら、公爵家令嬢の前で感情的にはなれないアネットは、言われるがまま謝罪の言葉を口にした。
「正直、心がこもっていない謝罪は嫌な気分になるわね。そもそも、なにに対して謝っているのかもわからないわ。でも、いいわ。もう消えなさい」
「は、い。失礼、致します」
謝罪したにも関わらず、辛辣な言葉を受けたアネットがオリヴィエを睨むも、彼女は平然としている。
アネットの顔が、より屈辱に歪んだ。公爵令嬢に対し、胸の内では罵詈雑言を吐いているだろう。
間違いなくすべてを察してほほ笑んでいるのだから、性質が悪いと、嫌いな側室を少しだけかわいそうに思ってしまった。
自業自得とはいえ、オリヴィエによって屈辱を味わったアネットは、足早に部屋をあとにする。扉が閉まると、勢いよく部屋から離れていく足音が聞こえる。そして、しばらく経つと奇声となにかを壊す音が耳に届いた。
「ひさしぶりだからすっきりしたわ」
見事アネットを撃退してみせたオリヴィエは、なにかを成し遂げた表情を浮かべる。心なしか生き生きとしているのはきっと気のせいではないだろう。
婚約者の知られざる一面を見たことにより、
――ああ、これは悪い噂も流されるよなぁ。
つい、そんなことを思ってしまうジャレッドだった。