18.魔術師協会からの依頼 竜種退治……? 1.
飛竜の背に乗った空の旅はあっという間だった。
アルウェイ公爵領は王都から遠くないこともあり、一時間と聞いていたが、実際はもっと早くつくことができた。これは飛竜と竜騎士のおかげだろう。
しかし、早く着いたのはよかったのだが、問題も発生していた。
「うぉおおえええええええええぇっ――」
それは、離れた場所で嘔吐を繰り返すラウレンツ。彼は乗り物酔いしていた。
飛竜が乗り物であるかどうかはさておき、もともと船や馬車が得意ではないラウレンツは盛大に酔った。
飛竜から降りると一目散に木陰に入り嘔吐したのだ。これには竜騎士も苦笑いだ。彼らの話だと、飛竜に乗って酔った人間はラウレンツがはじめてだという。だいたいが、ジャレッドのように空の旅を喜ぶのが普通らしい。
竜騎士たちはすでに帰還している。飛竜は竜種にとって餌になることも多々あるため、いたずらに竜種を刺激しないための判断だった。
ジャレッドは竜騎士たちに感謝の礼を伝え、飛竜にもありがとうと鱗を撫でた。
それがほんの数分前だ。
ラウレンツが落ち着くまで現状確認をすることにしたジャレッドは、荷物から地図を広げる。
はっきりいってアルウェイ公爵領は広い。王都からそう時間がかからないといっても、アルウェイ公爵領土内に入ることであり、さらに時間をかけて進むことになれば時間を必要とする。飛竜が用意されたからこそ一時間で済んだのだ。
ジャレッドたちがいる場所は、アルウェイ公爵領のもっとも東側であり、竜王国との国境に近い。
公爵領は全体的に豊かであり、王都に近い方に民たちも密集しているのだが、小さな町は至る所の点々としている。事前情報によると、国境付近の町が破壊されていることを改めて聞いているが人的被害がどれくらいかまではわからない。
魔術師協会が用意してくれた医療品もあるので、できるかぎり救える人は救いたいと思っている。
「うぷっ……すまない、もう大丈夫だ」
「本当か? いきなり戦闘になる可能性もあるから、体調はできるかぎり回復させてくれ」
「問題ない。むしろ、動いていたほうがよくなる。それに、竜種を放置しておくわけにはいかないだろ」
「それはそうなんだけどさ……」
真っ青な顔をして問題ないと言われても説得力は皆無だった。だが、ラウレンツの言うことに一理あるのも確かだった。
わずかに悩むと、様子を見ながらゆっくり進むことにきめた。
「とりあえず水でも飲めよ」
投げた水筒を受け取ったラウレンツは、口をすすいでから何回か水を飲み込む。
「……感謝する。いこう」
「わかった。まずは被害にあった町に向かおう。十分も歩かない」
地図を片付けジャレッドたちは歩きはじめた。
すでに町の惨状は飛竜の背から確認できていた。建物の多くは倒壊しており、酷い有様だったのを覚えている。
「竜種が確認されたと言う割には音がしないな」
「竜種のタイプにもよるんじゃないかな。空を飛ばれたら向こうが襲いかかってくるまでわからないし、もしかしたらどこかで昼寝している可能性だってある」
「眠っていてくれたらどれだけ安全か……正直、不安でしかたがない」
会話ができるほどまで回復したラウレンツの額には汗が流れていた。
まだ四の月であるため暑くはないため、疑問に思う。
「ラウレンツ、大丈夫か? 汗が凄いぞ」
「緊張しているからだ! むしろ、お前はどうしてそう平気なんだ?」
「そういえば初実戦だったっけ。緊張するのはしかたない、こういうのは慣れるしかないよ」
緊張による冷や汗なのだと聞くと、疑問が氷解した。誰でも通る道だ。ジャレッドもまた、初の実戦はひどく緊張したことを覚えている。
「お前も同じだったのか?」
「もちろん。いきなり単身で飛竜を相手にしたんだ。一匹だって聞いていたのに、近くに別の巣があってさ。死に物狂いで倒し終えてから数を数えたら三十体もいたから、よく生きてられたなぁと自分を感心したもんだよ」
「初実戦が飛竜三十体か……僕なら死ねるな」
「やってみれば意外と死なないもんだよ。死にたくないってがむしゃらだったから、恐怖は途中で消えた。そうすると不思議でさ、次に浮かんできたのは怒りだったんだ」
「怒りだと?」
懐かしむようにジャレッドは語る。
「ああ、怒りだ。情報が適当だった魔術師協会への怒り、裏付けをしなかった自分への怒り、ひとりで飛竜一体くらい平気だと思った甘さへの怒り、すべてに怒りが湧いて、当たるように戦った。飛竜を殺しても怒りは収まらなくて、魔術師協会に乗り込んで依頼を担当した職員を本気でぶん殴ってやった」
「それは、なんというか、災難だったな」
「災難かもしれないが、俺にも責任はあったんだよ。まあ、一年も前の話さ」
「僕も早くジャレッドのように平常心でいられるようになりたいものだ」
「ラウレンツならすぐになれるさ。それに、はじめての実戦が竜種なんて俺よりも凄いぞ! これからの依頼が、多分、大したことないと思えるんじゃないか?」
「ならばいいのだが……」
まだ不安なラウレンツを元気付けるように言葉を続けるが、彼の表情は曇ったままだ。
無理もない。初の実戦だ。緊張しないほうが難しい。
なにもラウレンツが戦いの素人というわけではない。ウェザード王立学園では実習訓練も行っており、多くは生徒同士の対人戦が主となるが、ときには下位クラスの魔獣と戦うこともある。
ジャレッドにとっては生徒同士の対人戦の方がよほど怖い。いくら生徒同士で、ある程度の加減をしているとはいえ、魔術とは純粋な力なのだ。些細なはずみで相手を殺しかねない。
学園の長い歴史の中で、訓練中の事故死は珍しくない。その多くが生徒同士の訓練なのだ。
それに比べれば攻撃することに遠慮も躊躇いも必要ない相手は、実に戦いやすい。
しかし、その考えはあくまでジャレッドのものであり、ラウレンツに押しつけることはできない。
「そういえば、よくご両親に許可がもらえたな」
「ん? ああ、母上のことを誰かから聞いたのか?」
「聞いた。悪かったな」
「いや、気にしなくていい。母上が過保護なのは昔からだった。だが、はじめてだ――ああも母上に反抗したのは」
足を進めながら、ラウレンツは少しだけ恥ずかしそうに笑う。
「僕は母上に逆らったことがなかった。おそらく逆らえないまま生きていくのだと思っていた。決して悪い母ではない、だが、心配しすぎることに少々重荷を感じていた。ベルタやクルトも母によって幼少期からつけられている。今でこそ大切な家族だが、当初は見張りのように思えて嫌だった」
「そんな母親にはじめて反抗できたってわけだ」
「自分でも驚いている。本当は父にだけ話をしようと思っていたら運悪く母も居合わせてしまったんだ。もちろん反対されたが、僕は意志を貫き通すことができた。母も父も驚いていたよ。だけど、反抗できてよかった。これで僕は僕として生きることができる」
どこか晴れやかな表情を浮かべるラウレンツには、今までない余裕が感じ取れる。
相変わらず初の実戦に緊張していることは変わらないが、それとはまた違う人間的な余裕が確かにあった。
「そろそろ町が見えてくるはずだ。上から見た限りでも結構酷かったから、住人が無事ならいいんだけどな――っておい! 見えたぞ!」
「僕にも見える。しかし、これは……」
森を抜けた二人が目にしたのは、蹂躙された町の成れの果てだった。
建物のほとんどは倒壊し、見るも無残な姿を晒している。
「……あまりにも酷い。これが竜種なのか――僕たちはこんなことができる相手と戦うのか!」
ラウレンツの叫びが周囲に木霊した。とっさに彼の口を抑え、静かにするように合図を送る。
どこになにが潜んでいるのかわからない状況で大声を出すのはまずい。とくに、まだ町に竜種がいる可能性もあるのだ。
「手を放すぞ、大きな声は出さずに町の様子を見にいくぞ」
ゆっくりラウレンツから手を離すと、ジャレッドたちは町の中へ向かった。